国立劇場『研修発表会』『神霊矢口渡』(2)

『研修発表会』の前に<お楽しみ座談会>があり、これは先輩方が若手のためにお客さんを呼び込んで下さっている一因にもなっている。そして今月の国立劇場での芝居のことも聞けるので、観客にとっても有益である。

司会・織田紘二/出演者・中村吉右衛門、東蔵、芝雀、錦之助、又五郎、歌六

吉右衛門さんが若手のためお見苦しいところはご勘弁をと言われる。<焼餅坂の場><由良兵庫之助新宅の場><道念庵室の場>は百年経っての上演であるから、皆さん初役である。そのため<初々しく>が合い言葉となり、場内笑いが。吉右衛門さんが、平賀源内は土用の丑の日にウナギを食べることを考えたり、浄瑠璃も江戸発信で江戸周辺を舞台にしていて、時代は南北朝時代で、平賀源内さんと新田家の子孫のかたが訪ねて下さり、今に繋がっていることに驚かれていた。歌六さんが、新田神社の破魔矢を出されて、この破魔矢を考えたのも源内さんであると。又五郎さんは、又五郎さん演じる南瀬六郎宗澄の子孫の方も訪ねてこられたということで、吉右衛門さんは、ずっと昔のことでも歌舞伎は今につながっておりますので、歌舞伎をどうぞ宜しくと歌舞伎の宣伝もしっかりとされる。

源内さんは恐らく歌舞伎を色々調べて『神霊矢口渡』を書かれたであろうから、他の作品にもと思わせる場面があり、東蔵さんは、色々な引き出しを開いて、こうであろうかと毎日考えているので、まだ固まっていないと言われる。それを受けて歌六さんは、違う引き出しを間違えて開かない様にしなければと。子息の米吉さんのお舟のことを聞かれると、芝雀さんに全てお任せしているので。芝雀さんは、筋の良いご子息なのでと言われ、自分は身体が硬いので、訓練して何んとか海老反りにもっていってますと言われ、五代目雀右衛門襲名については、すでに緊張の毎日とのことである。

又五郎さんは、六郎は、兵庫之助に対等な役と思うので兵庫之助に負けない心構えですと。錦之助さんは、義岑の役と思っていたのに若い人に取られ、線が細いので心配ですが、敵役的な竹沢監物と義興の霊をやり、義興の霊は気持ちの良い役なので、次にこの芝居に出る時には義興の霊がやりたいと笑わせられた。

通し狂言『神霊矢口渡』を観たあとでのお話しだったので、役と較差させて楽しく聞かせてもらった。

序幕<東海道焼餅坂の場>は、東海道の戸塚宿に向かう途中にある坂で、武蔵と相模の国境にある。その坂は焼餅坂と名付けられそこで茶店と宿を兼ねている亭主(吉三郎)が旅人に焼餅坂の名の由来を教えようとするが旅人は時間がないと聞いてはくれない。

ご亭主あなたがその坂で焼餅を売っていたので焼餅坂と言われたと現代の案内板にありました。別名、牡丹餅坂の名もあります。戸塚の東海道の絵には、焼餅坂の様子と焼餅を食べている旅人の姿が描かれています。

序幕から歩いた場所で、江戸の人にとっても身近な場所と思える。上方で人気があった演目ということで、上方からすると遠い江戸のことのほうが、想像力が喚起され楽しんだのかもしれない。容易に行けない場所が芝居で見れるという感覚を源内さんは判っていて当て込んだのかもしれない。

戸塚宿の手前の焼餅坂で、義興の奥方・筑波御前(芝雀)と家老・由良兵庫之助の妻・湊は馬子と雲助に戸塚宿と言われ騙されてしまう。馬子の寝言の長蔵(吉之助)と雲助願西(又之助)は、筑波御前と湊に言い寄るのが目的であったが、湊が機転をきかせてその場を逃げてしまう。筑波御前と湊は生き別れとなった徳寿丸を捜しての旅の途中であった。

その後に、南瀬六郎が徳寿丸を笈(おい)に隠し背負い巡礼者となって坂にさしかかるが、長蔵たちに褒美の金目当てで襲い掛かられるが、怪我をしつつも追い散らす。

役の名前など、どこか源内さんが楽しみつつ付けたような感じがする。馬子と雲助が湊に見事騙されてしまう可笑し味の場面であるが、東蔵さんの気強い柔らかさに対し吉之助さんと又之助さんは可笑し味を誘うまでの柔らかさが足りない。こういう役どころが難しい。もう一人の雲助野中の松の吉兵衛さんは元相撲取りで儲け役であった。

芝雀さんはお舟との二役なので、女形としての奥方と娘役の二通りを見せて貰えるのである。女形の被膜を被り、そこにさらに、役の被膜が加わると言うことで、アニメ的にはならないということがどういうことであるかが解かって貰えると思う。そこに女形の難しさとやりがいがあるところであろう。

歩いたところなので、出だしから楽しませてもらった。

 

国立劇場『研修発表会』『神霊矢口渡』(1)

10月に続いて、若い役者さんの『研修発表会』が開催された。今回の通し狂言『神霊矢口渡』の序幕<東海道焼餅坂の場>と三幕<生麦村道念庵室の場>は百年以上上演がなく、二幕<由良兵庫之助新邸の場>は百年目の上演である。

大詰め四幕目の<頓兵衛住家の場>は、『神霊矢口渡』となればここの場しか上演されていなかったので、お舟という娘が一目ぼれした相手のために命がけで太鼓を叩く話しとして記憶されている。それと、お舟の父親の極悪非道さである。身代わりとなった娘を刺しておきながら、賞金が手に入らなくなると言ってさらに娘をなじるのである。

この父親・頓兵衛の一番の見せ場は、賞金のかかっている落人を追い駆けるため花道を駆けだすのであるが、その引っ込みが<蜘蛛手蛸足(くもでたこあし)>と言われる動きで、さらに刀のつばをカタカタ鳴らすのである。

作者が、様々なことに挑戦した平賀源内さんで、福内鬼外の名でこの浄瑠璃を書いたのである。<ふくうちきがい>と読ませているが、福は内、鬼は外である。頓兵衛の引っ込みも弁慶の引っ込みに対抗して考えたのではないかと思ってしまう。

その後、お舟の見せ場で下男六蔵に邪魔されつつも、死に物狂いで太鼓を打つのである。この芝居を初めて観たときは、八百屋お七に似ているなと思った。この太鼓は、落人が捕まったから包囲を解いてもよいという知らせなので、太鼓を叩くことによって落人が逃げれるのである。

お舟が一目惚れしたのは、足利尊氏との争いに負けて逃げる新田義岑(にったよしみね)である。善峯の兄の義興(よしおき)は、渡し守頓兵衛が舟の底に穴を空けていて水死していたのである。それが、この矢口の渡しである。頓兵衛は報奨金も手に入れ、さらに善岑を捕らえ褒美の金を手に入れようとの強欲な父親である。

しかし、神は許さなかった。義興の霊が現れ、頓兵衛は義興の怨念の一矢をうけるのである。この最後に義興の霊が現れることによって、話しがぴしっと納まった感じがした。

もう一つ、義岑は恋人の傾城うてなを伴って、頓兵衛の家に一夜の宿を頼むのである。一目惚れしたお舟はうてなが妹であればよいと思い義岑に尋ねると妹だという。お舟は、大胆にも言い寄るのである。義岑もその願いを叶えるとしたところで、二人は何かによって気を失ってしまう。それを見たうてなは、新田家の白旗をかかげると、目覚めるのである。この現象でお舟のほうは、何か神がかり的な暗示をもらったのではないかというのが、私の推理である。人目惚れの恋心の力だけで、刺されていながら太鼓を打つまでのあのエネルギーが出せるであろうかと思ってしまうのである。それぐらい長丁場なお舟のしどころである。それは個人的考えなのでこちらに置いておく。

研修会の配役

お舟(米吉)、義岑(蝶之介)、うてな(京由)、下男六蔵(吉兵衛)、船頭八助(吉二郎)、しっかり候兵衛(蝶一郎)、二ぞろのびん助(蝶三郎)、三とめの十蔵(吉助)、義興の霊(京純)、頓兵衛(吉之助)

船頭八助が仲間に紐でつないだ銅錢の一束を渡すことによって、頓兵衛がどうして振る舞うだけのお金があるかがわかる。こういう台詞がきちんと聞こえるか聞こえないかで、芝居の理解度が違う。それと役者さんの向きで聞こえづらいときもあるが、しっかり聞こえた。

お舟の米吉さんの出は可愛らしいが、義岑を思うしぐさなどは、可笑し味もある場面であるが、まだ身にしっくりとはいっていず、アニメ的な可愛らしさであった。それが、変貌してくるのが、頓兵衛に刺されて、頓兵衛と向かい合い海老反りになったあたりからである。六蔵と渡り合い、六蔵を斬り殺し、刀の鞘を持ち太鼓を打つまでは若さの勢いで見せてくれた。

頓兵衛の吉之助さんは、憎憎しさなどの表現はまだであるが、大きな頓兵衛になる可能性を秘めている。花道の引っ込みも可笑しさに欠けるが、しっかりと身体を動かしていた。

六蔵の吉二郎さんは、お舟の動きに合わせようと努めていて、自分の役を出すまでには至らなかったように思える。その他の役者さんも、一生懸命で、10月でも思ったがもう一回位は演じさせてあげたかった。

10日ほど先輩たちから指導を受けたそうで、歌舞伎としては異例の練習時間である。ドキドキ、ハラハラの激動の経験であったであろうが、先輩たちもかなり気にかけておられた様子であった。これから国立劇場観劇の方は、一段とゆとりのある大きな芝居が観れるかもしれない。

豊島区民センターで 舞台写真家・福田尚武さんの「歌舞伎写真展」を開催している。23日の今日までであるが、最終日は2時までのようである。池袋東口から歩いて5分くらいの場所で無料である。迫力があり、役になりきった役者さんの姿とお顔は、舞台の神様に微笑みかけられたような一瞬で圧倒されました。