歌舞伎座 11月『江戸花成田面影』『元禄忠臣蔵』

旅で戯言の言わない友人から「あなたの歌舞伎は上から目線よね。」と言われる。来ました。戯言は言わないが、ツッコミはくるのである。それが許せる仲ではあるが。「勘三郎さんと三津五郎さんの喪失は、次の世代には兎に角痛手でこれを埋めるためには若い役者さんたちに頑張ってもらうより方法がないと思っているので、大先輩達がいるうちに、学んでおいて欲しいのよ。」

歌舞伎は良い意味で大家族主義であり、血縁関係主義である。これが、長く続いてきた根源でもある。しかし、<芸>を考えるなら実力をつけて頂かなくては、伝統芸能の意味がない。伝統芸能だからというブランドで観るのか、<芸>があるからこそ伝統芸能であると認めるのか、それは観る側の問題でもある。

演劇とか芝居とかは、スポーツのように一位です二位ですとか、勝ちました負けましたという判定がつけられるものではないし、好みもあるし厄介なしろものであり、同時にだからこそ面白いという事もある。そして、こちらも迷走しつつ楽しんでいるのである。そういう楽しみ方をしていると、思い入れも加わり、友人に指摘される観方になってしまったということである。

11月の顔見世は十一世市川團十郎五十年祭ということもあってか、昼夜、重い演目が並び、舞踊は曾孫の堀越勸玄さんの初お目見得ということもあって『江戸花成田面影』だけである。初お目見えと初舞台は同じと思っていたが、どうも別らしい。役がついての初登場が初舞台らしい。芸者の藤十郎さん、鳶頭の梅玉さん、染五郎さん、松緑さんと艶やかで粋で華やか踊りに、仁左衛門さん、菊五郎さんも加わり、誠に御目出度い一幕であった。千穐楽までもう少しの頑張りである。

今月で一番面白かったのは、初めての『元禄忠臣蔵』<仙石屋敷>である。心理推理小説の舞台をみているようであった。討ち入りを果し仙石屋敷にて、内蔵助を筆頭に浪士たちがそろい、伯耆守(ほうきのかみ)からの尋問に答えるのである。300余人いた浪士がなぜ四十七士にまで減ってしまったのか、仇討ちの真意は、吉良邸での灯りに松明は使ったのか、など次々尋ねていく。これは、台本がないと正確に書けないがその答えが心理情況も踏まえ聞かせるのである。雪あかりと月あかりで外は明るかったとか、引き上げるときは、世情を騒がせぬため両国橋は渡らなかったなど、耳をそばだてる。以前、深川の芭蕉記念館に寄ったとき、赤穂浪士が通ったところとしていたので不思議であったが、映画に出てくるような江戸庶民に騒がれるような引き上げかたでは無かったのかもしれない。

仙石伯耆守の梅玉さんが尋ね、大石内蔵助の仁左衛門さんが答える。内蔵助の語りは、浪士たちの苦労を踏まえての一致した心情を雄弁にかつ、奢ることのない語り口で、伯耆守も深く感じ入る。

他の浪士たちも、尋ねられると本懐を遂げた安堵感からか、それぞれの役目など話していく。そして、それぞれがお預けの屋敷が伝えられ最後の別れを惜しむのであるが、内蔵助と15歳の主税は別々の預かり場所となる。内蔵助は主税が最後に見苦しき振る舞いをしないことのみ願い、主税は大丈夫であることを父の前に再度手をつきしっかり父を見つめるのである。主税が千之助さんである。相手が仁左衛門さんであるから、情愛と臨場感が増す。

それぞれの役者さんのセリフのトーンが頭に残っているうちに、もう一度、文字で確かめたい作品である。長いセリフは観客を引っ張り通す<芸>が必要である。