旅の前の戯言

歌舞伎座11月、話題は「十一世市川團十郎50年祭」に血筋の堀越勸玄さんの初お目見得であろう。花道から海老蔵さんに手を引かれての堂々の登場である。舞台正面にきちんと正座して、子供独特の言い回しでの自己紹介である。その可愛らしさとあどけなさと真摯さはどの役者さんもかなわない。プロとしての初舞台大成功である。

幼い頃からプロとして舞台に立つ運命であり、そこを成長に従ってどう埋めていくのか測り知れない道が続くのである。先輩の左近さんが『勧進帳』の富樫の太刀持ちをしている。左近さん、10月は丁稚長松を無難にこなされた。今月はじーっとお行儀よく、富樫のこれぞというときに太刀を渡す。大先輩たちと同じ舞台にあって、その空気を意識せずに身体に吸い取っていくのであろう。

勸玄さんもそうした経験をこれから沢山積んでいくわけである。煩い外野の声を聞きつつ答えのない道を歩き続けるわけである。初舞台の真摯な目で、観客席をにらみ返すことを願っている。

その勸玄さんに銘じて余計なことを少し。『若き日の信長』の海老蔵さんの発声に疑問。籠ったたような声を押し出して響かせていたが、信長の人物の味を薄めてしまう言い回しの発声である。

『河内山』では、目での演技が多く、河内山の腹がない。ふっと小馬鹿にしたような視線はいいが、絶えず心のうちの視線であろうか動く。腹の座った愛嬌は何回も見せては価値がさがる。玄関での見せ場があるのであるから。

これまた、左近さんに免じて松緑さんへも一言。義経の台詞の声は、工夫が伺え松緑さんの初めて聞く声質である。それは良い。しかし、義経の顔の作りが濃すぎるように思えた。『若き日の信長』での藤吉郎では、癖ある藤吉郎をあえて信長の影に隠れて仕えるという押さえた顔の作りでよかった。義経は品格を持っての隠れての逃避行である。口の赤さも気にかかった。

気の置けない友人との旅の前のあわただしさの中で、言わなくても良い戯言を言ってしまった。旅の準備にかかる。雨の日がありそうだ。本数の少ない路線バスを使う日にぶつかりそうである。言わなくても良い戯言は言わない友人たちなので、大いに助かる。