ルネサンスから『ダ・ヴィンチ・コード』まで(2)

レオナルド・ダ・ヴィンチ - 天才の挑戦』のお勧めの絵は「糸巻きの聖母」でした。「モナ・リザ」につながる作品とされ、ダ・ヴィンチが考え出した<フスマート>といわれるぼかし法で、ボッティチェリなどは細い輪郭線がはっきりしていますが、ダ・ヴィンチはぼわーんとしています。

「糸巻きの聖母」はマリアがイエスを膝にのせ左手で抱えるようにしていて、イエスは糸巻きを縦にしてに持っており、その糸巻きが十字架を暗示しているようで、マリアの表情は穏やかですが、右手が「あっ!」と驚くように大きく開かれています。ダ・ヴィンチさんの絵は何か謎めいた物語性を感じさせます。『モナ・リザ』も美しいほほえみに見えたり、角度によっては皮肉っぽい笑みに見えたりします。

この展覧会のときは、鳥の飛翔に関する手稿、簡単に組み立てられる橋の図、正確なデッサン、医学的人体デッサンなどが展示され、絵を中心に考えていたので肩透かしをされた気分が少しありました。

ところがその後、DVDで『ダ・ヴィンチ1 ~万物を知ろうとした男~』『ダ・ヴィンチ2 ~危険な関係~』を見て、<天才の挑戦>がわかってきました。

小さいころから何でも観察するのです。鳥はどうして飛べるのかと羽根とか空気の流れとかをじーっと観察するのです。鳥って飛べていいなあ!では止まらないのです。子どものころ文字をきちんと学ばなかったこともあり、絵で表現していて、絵の才能もあったので、文字で表すより絵で表すほうがダ・ヴィンチさんにとっては速い表現方法だったのかもしれません。

大人になれば自分の考案したものを実際に作りたいという、科学者としてのダ・ヴィンチさんでもあるわけです。そのために、嫌われ者のミラノ公のもとでは、パーティーの演出を任され、ロボットのようなものを登場させたりと参加者を驚かせ愉しませています。

さらに、冷酷非道といわれたチェ―ザレ・ボルジアに近ずき、戦争を悪だといいつつ、戦さに使うためのものを考案します。城を包囲されたら空を飛んで逃げるパラシュートとかグライダー、敵にわからないように船を沈没させるため、水の中を潜って進むための潜水服のようなものを考えたり、戦車のようなものも考えます。

DVDでは、これらをダ・ヴィンチさんの設計図で実際に作って実験していました。最初は失敗するのです。次に、設計図の横のほうにメモが沢山あって、それが鏡文字なのですが、そのメモを使って修正すると成功するのです。これは、自分の発明を他の人にはわからないようにしてのこととも思われます。そういう意味でも、ダ・ヴィンチさんの謎解きの研究がなされるゆえんなのでしょう。ダ・ヴィンチさん左手書きなのです。

とにかくなんにでも興味があり、死体の解剖をして解剖図を描き、鏡文字があったりしますから、教会に呼ばれ妖術家の疑いをかけられたりします。

血液中のコレステロールも調べていて、年齢とともにたまるということまで調べていましたが、不浄な行いとして研究は続けられませんでした。

壁画や絵画の仕事を引き受けても、完全主義ということでしょうか、そこに描く一人一人を街を歩く人から選びデッサンをして納得いくまで実際の仕事にかからないので、「東方三博士の礼拝」など未完成の作品も多いです。

20歳ころには「キリストの洗礼」を師匠ヴェロッキオと共作し、左の二人の天使を描きますがそちらに目がいくように工夫するのです。その通りとなり、ヴェロッキオは弟子の腕に驚きその後絵筆をとらなかったともヴァザーリは評伝に書いているそうです。

「モナ・リザ」は常にそばにおき、死んだときもそばにあり、忘れかけていた彼の名も『モナ・リザ』で世間に知らしめたとDVDではしめくくっています。確かにそうです。こんなに色々なことに精通していたとは知りませんでした。

イタリアのトスカーナで生まれ、フィレンツェ、ミラノ、、ヴェネツィア、フィレンツェ、ミラノ、ローマと移り住み最後はフランスで亡くなっています。