ルネサンスから『ダ・ヴィンチ・コード』まで(4)

メディチ家の至宝 ルネッサンスのジュエリーと名画』は、フィレンツェに300年に渡って君臨したメディチ家の人々が身につけたであろう宝石類や肖像画などの展覧会です。

フィレンツェを追われたメディチ家は再びフィレンツェに戻ってくるのです。アレッサンドロは君主となりますが暗殺され、フィレンツェはトスカーナ大公国となりメディチ家からコジモ1世がうまれます。ここまでメディチ家は、兄脈でコジモ、ピエロ、ロレンツォ ~ アレッサンドロと続いていたのですが、コジモ1世(初代トスカーナ大公)からは弟脈のほうが第7代トスカーナ大公まで続くのです。

メディチ家の至宝 ルネッサンスのジュエリーと名画』は、この弟脈のトスカーナ大公時代のものの展示がほとんどでした。あまりの沢山のジュエリーに、宝石に関しては猫に小判の者としては、さらさらと眺め、それよりもメディチ家の家系図が手に入りニンマリでした。肖像画に描かれている宝石類のほうには眼がいきます。ジュエリーの高価さよりも、それをどう身につけているかということには興味があります。可愛らしい女の子が大きな玉の真珠の首飾りを首に巻きさらに垂らしているのを見るとお気の毒とおもわざるえません。とにもかくにも栄華を極めていたことはたしかです。

兄脈のほうにはローマ教皇になった人物もいて、ロレンツォの息子が教皇レオ10世に、暗殺されたジュリアーノの息子が教皇クレメンス7世になっています。このお二人はミケランジェロさんとかかわってきます。教皇も当時の芸術家にとっては、強力なパトロンだったわけです。

映画『ウフィツィ美術館』は、古代ローマ時代の彫刻からイタリア・ルネサンス時代の巨匠たちの美術品を中心に、さらにその後の名品が展示されているウフィッィ美術館を紹介するもので、メディチ家の歴代のコレクションです。

イギリスの俳優・サイモン・メレルズさんが豪華王のロレンツォになって解説してくれます。フィレンツェの街からウフィツィ美術館の中まで3D・4Kテクノロジー映像とやらで、例のメガネをかけてみるのですが、ウオン、ウオンと飛び込んできて奥行ができたりと、私は普通の映像でいいと思いました。気が散ってしまいます。

ミケランジェロの「ダヴィデ」などは、下から見て顔が小さく見えないように大きくしているので、そうした彫刻の立体感や大きな頭などはわかりますが、ダ・ヴィンチ未完の「東方三博士の礼拝」があったらしいのですが記憶が飛んでいます。普通の映像で再度観てみたいものです。

ウフィツィ美術館は、コジモ1世がヴァザーリに設計させて作らせた当時の官庁としての事務所で、その後、美術館となったのです。このヴァザーリさん少年のころ、ミケランジェロさんのアトリエに入門するのですが、ミケランジェロさんローマ教皇に呼ばれてローマに行ってしまい、直接教えを受けていないのです。しかしミケランジェロさんを師として機会があると助言をしてもらったようです。ミケランジェロさんはダ・ヴィンチさんのBBC制作のDVDの中でも何日も入浴しない変わり者として扱われていましたが気難しい人で、ヴァザーリさんには気を許していたようです。

ヴァザーリさん画家で建築家であると同時に評伝家でもあって、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ、ラファエロなどの多くの芸術家の『芸術家列伝』を書いていて、当時の文献として貴重な役割をはたしているのです。

ヴァザーリさんは、コジモ1世のお抱え画家で建築家でもあり、ヴェキオ宮殿の改装、ウフィッィ宮殿の建築、その二つを結ぶアルノ川にかかる橋のヴァザーリの回廊などを作りあげています。

ミケランジェロ展』は、ミケランジェロさんの彫刻、絵画、建築の三つの柱の建築を中心にして、その装飾についても言及していました。

函館の五稜郭で、こちらは司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』を読んで、もう剣の時代ではなかったよなあなどと思いつつ、新選組副長土方歳三が死を賭けて最後に飛び出した橋はここかなどと思いつつ中に入ったのです。函館奉行所の展示室に五稜郭のジオラマもあって、そこで係りの人が他の人に説明していました。「星形のお城は、もとをたどればミケランジェロが考えたんです。日本に函館ともう一つ長野にあります。長野のほうは五稜郭の中に学校が建っています。」

長野の佐久市にあって龍岡城五稜郭といわれ、星の中に佐久市立田口小学校が建っているのです。

ミケランジェロさんと建築が結びついた一瞬でした。

ミケランジェロさんとダ・ヴィンチさんは仲が悪かったようです。ダ・ヴィンチさんが「画家は優雅だが、彫刻家は汚い労働者のようだ」と言ったらしく、ミケランジェロさんカチンときたんですね。BBCの映像でも、ミケランジェロさん、ダ・ヴィンチさんに挑戦的でした。23歳年上のダ・ヴィンチさんに突っかかるのですから、天才の負けん気でしょう。

この天才二人の作品での対決があるのです。ベェッキオ宮殿(市庁舎)の<五百人広間>の向かい合わせ壁画の制作でした。BBCの映像では、仕組んだのはマキアヴェリとしていましたがフィレンツェの政庁から戦闘図を描くように依頼されるのです。ダ・ヴィンチさんは「アンギアリの戦い」、ミケランジェロさんは「カッシーナの戦い」を描きます。ところが、ミケランジェロさんは下絵の段階でローマにいってしまい、ダ・ヴィンチさん、またや新しい絵の具を試し失敗してしまうのです。そのあとで完成させたのが、ヴァザーリさんなのです。

ミケランジェロ展』には、ヴァザーリさんの『美術家列伝』も展示されていました。初版が1550年でその後の1648年に刊行されたものです。