国立劇場 新春歌舞伎 『しらぬい譚』

国立劇場の新春歌舞伎は『通し狂言 しらぬい譚(ものがたり)』でした。

さてお話は・・・いえいえ書きません。テレビ放映があるようですので。

「プレミアムステージ」(NHK BSプレミアム)
放送予定日:2月6日(月)0:00~2:55《5日(日)深夜》

私も録画します。そして、上演台本を購入していますので、一言、一言、チェックすることにします。それは冗談ですが、とても判りやすい内容です。ちょっと物足りない感じでした。もう少しひねってくれてもよかったかな。役者さんが揃っておられるのに少しもったいなかったです。

歌舞伎に馴染のないかたは、海底の様子から始まり、化け猫が出てきたり、菊之助さんの宙乗りがあったり、乳母が、育てた若様に恋狂いしたりと、驚き桃木山椒の木状態かもしれません。気軽に観られれば良いとおもいます。

個人的には、人が合体して、北斎さんの寄せ絵のように猫の顔を作ったのですが、その動きを映像でしっかりとらえたいと思っています。

左近さんの名前があったのですが、なかなかでてこなくてどうしたのかなと思っていましたら、最後に居並ぶ面々のなかでともにしっかり収まっていました。竹松さんは足利家の家臣として萬次郎さんの指図に従っていましたが、『あらしのよるに』のはくがぴったりだったなあなどと思いつつ、のんびりとお正月気分での観劇でした。

今年は、竹の子の伸びの速さが思われる新春歌舞伎でした。と言っているうちに早、もう少しで如月となります。

 

映画『ざ・鬼太鼓座』(1)

ざ・鬼太鼓座』 <映画監督加藤泰 生誕100年 幻の遺作 遂に封印が解かれた!>のチラシの文を見た時は、加藤泰監督がドキュメンタリー映画を撮られていた、それも鬼太鼓(おんでこ)を、と驚きと好奇心で観なくてはと心がはやりました。

1月21日公開 渋谷・ユーロスペース。そう長くはやっていないであろうと気にかかり、やっと観れました。朝10時からの一回上映で金曜日までは上映しているようです。カラーのデジタルマスターになっています。チラシの少ない映像部分を見ても、加藤泰監督ならドキュメンタリーからはみ出した映像なのではないだろうかと想像していましたが、やはりそうでした。

加藤泰監督の映像美学に鬼太鼓座の一人一人がはめ込まれ、そこから一人一人が飛び出すといったような感じです。

映画を観つつ、佐渡の四季ってこんなにはっきりと美しい四季なのであろうか。私が行ったときは、バスの中から見た、美空ひばりさんの歌「佐渡情話」の ~佐渡の荒磯岩かげに ~咲くは鹿の子の百合の花~ の風景と宿から見えた海に沈む大きな赤い夕陽が印象づけられていて、もう少し色調の素朴な感じに思えていました。

見終わってチラシをよく読んでみますと、『ざ・鬼太鼓座』の脚本・助監督の中倉重郎さんの文があり、撮影は1979年2月から1981年2月までの2年間で撮られ、最初の年は佐渡には雪の無い冬だったので、雪を求めて新潟の小出市へ、春は桜を求めて御殿場へ、秋は会津の裏磐梯、宮崎の都城と回っていました。納得です。

やはり加藤泰監督は、監督の美意識の中に組み込んでいたのです。それを知ったからといってそれがドキュメンタリーとしておかしいとは思いません。鬼太鼓座の人々の走る姿、太鼓と闘う姿は、それだけの自然に対峙して負けないだけの意気込みがあります。

映画館のロビーに映画の企画書が張られていて、<四季>を軸にしたのは「四季の変化は自然の変化にとどまらず、心の変化でもあるだろう」とあります。秋の風景の中には、座員の剣舞の姿があったり、冬には津軽三味線を弾く姿があったりと、民族芸能としての位置を季節とともに探し求めぶつかっているようで、それと向き合う心の変化でもあるとも思えます。

そういう意味あいからも、美しい四季の自然の映像を享受できる立場に座員の人々はいるのです。衣裳の色の組み合わせも綺麗です。

加藤泰監督の生誕100年は昨年でした。その時、どこかの映画館で「東映キネマ旬報」という小冊子を手にしまして、そこで女優・富司純子さんが監督について語られています。「加藤さんはいつも、女性を愛おしく描いてくださいました。」

この映画でも、男性陣には語らせませんが、女性達だけには本音はどうかなという女性陣の会話を入れています。男性と同じように走る彼女たちにだけ、語る機会を与えられているのです。監督の女性に対する愛しさととれました。ひばりさんの歌の恋の部分は彼女たちにとっては、どうやら鬼太鼓座への恋となって走り続けるようです。

映画の中で、「櫓のお七」の人形振りの踊りがでてくるのですが、企画書によりますと、この演目が鬼太鼓座の単独公演のときはいつも冒頭に設定されていたようで、全くの映像用として作り挿入しています。

面白いのが、「昨冬、歌舞伎座で玉三郎がお七を演じ、その人形振りが評判をとったのは耳新しい。」と記されていることです。玉三郎さんの評判が人形振りだけを入れるきっかけになったと取れます。

その後、「鬼太鼓座」は新たに佐渡を離れて活動され、佐渡に残った人々が「鼓童」となります。そして「鼓童」と玉三郎さんが関係するとは、加藤泰監督が知ったら驚かれることでしょう。

映画に行かれましたら、是非この企画書お読みください。加藤泰監督やスタッフのこの映画に対する思いがわかります。

「生まれて初めて思う通りのことをやれた映画」と監督が語ったという映画ですが、長い間一般公開されませんでした。この機会に、劇場で観れたのは嬉しいかぎりです。この映画にも加藤泰監督ならではの真骨頂が出ていました。

ユーロスペースさんの承諾を得ていますので、長くなりますが、企画書の 【 7、映画<鬼太鼓座>の目指すもの 】を書きしるします。

「この映画には、セリフは殆どない。登場する鬼太鼓座の若者たちは、決して、自らをかたらない。若者たちは、ただ黙々と太鼓を打ち、三味線を弾き、笛を吹き、踊り、そして走るのみである。かれらの扱う楽器は、伝統的な邦楽器だけであり、その集大成である。その意味で、この映画はまさしく、日本の音だけによる音楽映画である。そしてまた、若者たちの寡黙に音と格闘し、走る、その一途な姿の哀しさが、私たちに彼らの青春のひたむきさを伝えてくれる。その意味で、この映画はまさしく、青春映画なのである。」

電子音楽が入るのですが、それがまた違和感なく邦楽と合い、映像を高めています。セットの中での演奏も、自然との対比でこれまた面白い場面となって奏者の肉体の力と迫力を伝えてくれます。

加藤泰監督と鬼太鼓座の若者とが、作品を作るうえでの音と映像のぶつかり合いが伝わって来て、清々しい心地よさでした。

 

映画『ざ・鬼太鼓座』(2) | 悠草庵の手習 (suocean.com)