民俗芸能『早池峰神楽』『壬生狂言』『淡路人形芝居』(2)

壬生狂言』は正しくは、壬生寺で行われる「壬生大念仏狂言」をさし、親しみを込めて「壬生さんのカンデンデン」とよばれていて七百年続いているそうで、この「カンデンデン」はお囃子を聴くとなるほどと思います。

お囃子は金鼓と太鼓と笛の三つで、始まりは単純な繰り返しで、狂言も無言のパントマイムの様相を呈しています。金鼓というのは、銅鑼のような感じで、木槌のようなもので打つのですが、それが<カン>となり太鼓が<デンデン>で、それに笛がはいるのです。金鼓のひとは、演者や観客に背を向けられていて、演者の様子は何んとなく感じているのでしょうが、単純なだけに集中力を持続するのが大変であろうなどと思いました。

起源は円覚上人が仏の教えを伝えるために始められた無言劇だったものに、能や物語を取り入れ庶民が楽しみやすい内容へと広がったようです。演者は全て面をつけます。

今回は、「道成寺」「愛宕詣(あたごまいり)」「紅葉狩」でした。「道成寺」は能と同じように白拍子が鐘の中に入り、中から蛇体が現れるというかたちをとり、上半身が鱗文様の衣装になっています。最初に僧が二人でてきてその二人が鐘を持ち上げようとして落としたり責任のなすりあいをして頭をかく様子などで可笑しさを加えてくれます。上手側の僧の仮面は伊藤若冲らが寄進したものだそうです。

「愛宕詣」は愛宕山の茶屋に母と娘があらわれ休んでいます。そこへ、供を連れたお金持ちがあらわれ、愛嬌者の供と茶女の駆け引きがあり、その内お金持ちは笠をかぶった娘がきになります。なんとかねんごろになりたいと思い供に言い渡します。着物の刀も差しだしてやっと承諾を得たのに、笠をとった娘は想像していたような美しい娘ではなかったという話しで、土器(かわらけ)投げのかわりに、おせんべいを観客に投げるという趣向つきです。

「紅葉狩」は、戸隠山での平惟茂(たいらのこれもち)の鬼退治ですが、この鬼は惟茂の刀を奪います。惟茂の夢枕に地蔵尊があらわれ、太刀を授けてくれ、地蔵尊の加護によって見事鬼を退治します。壬生寺の本尊が地蔵尊でもあります。惟茂がたすきをかけるとき<早たすき>といわれ、これも見ものの一つで、鬼が下がっている青紅葉をむしりとり苦しむあたりもこの狂言の独特な「紅葉狩」の面白さがあります。

壬生寺の大念仏堂(狂言堂)は能舞台のように橋懸りがあります。そして本舞台のほうには低い囲いがあり、演者がそこへ腰かけたり、足を乗せて凄さをみせたりという能舞台とは違う動きをもみせてくれます。壬生寺に行った時は新撰組がらみで『壬生狂言』の注目度ゼロでした。狂言のやっていない時でも狂言堂はみれるのでしょうか。見れるなら見たいです。今週には2月の節分会での狂言があり賑わう事でしょう。『壬生狂言』の定期公開は年間三回あるようです。