ルネサンスから『ダ・ヴィンチ・コード』まで(3)

ボッティチェリさんは、ダ・ヴィンチさんより7歳年上です。接点は、ダ・ヴィンチさんが負かしてしまった師匠ヴェロッキオの工房です。

ボッティチェリさんは、フィレンツェの革なめし職人の家に生まれ、金細工の工房に弟子入りし、絵の才能があることから、修道士画家リッピの工房へ。師匠のリッピの息子がのちにボッティチェリの弟子となり、リッピ親子の作品も『ボッティチェリ展』にも並んでいました。その後がヴェロッキオの工房に移ります。ボッティチェリさんが24、5歳でダ・ヴィンチさんが16歳ころです。二人は終生良き関係を保っていたようです。

ボッティチェリさんはその後独立します。銀行家仲買人のラーマの注文で「ラーマ家の東方三博士の礼拝」を描きますが、ここにメディチ家の人々が描かれていて、ボッティチェリさん自分をもしっかり描いているのです。<東方三博士>というのは、新約聖書にでてくるイエスが誕生したとき訪れて拝した三博士・三賢人のことです。<新約聖書>はイエスが生まれたあと、<旧約聖書>は生まれるまえのことが書かれたものということで、「受胎告知」は旧約聖書に書かれていると思われます。

宗教画は苦手です。枠と決まり事があって、少しわかると構図や描き方などそれぞれの画家の違いを比較ができたりもしますが、同じに見えてしまうのです。

この「ラーマ家の東方三博士の礼拝」は『ボッティチェリ展』にきていたのです。コジモ・イル・ヴェッキオ公(コジモ)がイエスの可愛らしい足に手をかざしています。ひれ伏している赤いマントの人物がコジモの息子のピエロ、その隣がピエロの弟のジョヴァンニ。あとは色々説があるようですが、コジモの後ろに帽子をかぶって立っているのが、のちに豪華王といわれたピエロの息子のロレンツォ・イル・マニフィコ(ロレンツォ)、それと対称的に右に立っているのがロレンツォの弟のジュリア―ノ、その右端に立ってこちらを見ているのがボッティチェリです。描いているのがボッティチェリでその中で「どう、この絵」といっているようにこちらを眺めているのですからまいります。美男子のジュリア―ノはのちに暗殺されてしまいます。

ロレンツォは、左側の剣を持っている人物とも言われていますが、何となくイエスを中心に向かって囲んでいるような気がします。注文者の人物はジュリアーノの後ろでこちらを見ている人物です。そうすると、左端でこちらを見ている人も気になりますがわかりません。

フィレンツェは、メディチ家のゴジモ、ピエロ、ロレンツォ三代によって、共和制でありながら君主のように統治していました。

ボッティチェリさんはメディチ家の要請で「プリマヴェ―ラ(春)」、「ヴィーナスの誕生」等を描きます。メディチ家の豊富な資金力からギリシャ・ローマ神話の世界を絵や彫刻などに表現させるのです。このあたりが<ルネサンス>の古代の再生といわれるところとなるのでしょう。

メジチ家の栄華と財力は『メディチ家の至宝 ルネサンスのジュエリーと名画』や映画『フィレンツェ,メディチ家の至宝 ウフィッィ美術館』での公開となるのです。ウフィッィ美術館には、「プリマヴェ―ラ(春)」、「ヴィーナスの誕生」などボッティチェリさんの多くの作品やそのほかイタリア・ルネサンスの作品が納められています。

ボッティチェリ展』に展示されていた「美しきシモネッタの肖像」のシモネッタはジュリア―ノの恋人で、「プリマヴェ―ラ(春)」、「ヴィーナスの誕生」のモデルだともいわれています。

神々を人間の美しさで表すあたりや、色の美しさなど、中世のキリスト教会に押しつぶされていた人間賛歌ともとれ、「書斎の聖アウグスティヌス」の深く思索する様子は、いままでになかった精神的表現ともいえます。

メディチ家の贅沢三昧の生活をに批判的なドミニコ会の説教師・サヴォナローラが出現します。ロレンツォが亡くなり息子の代になると力が弱り、フランス軍の侵攻となりメディチ家はフィレンツェから追放されてしまいます。サヴォナローラは華美なもの官能的なものを禁じ焼却させます。ボッティチェリさん、サヴォナローラの説教に共感し入信します。そのため裸体の素描は提出し、焼却されたようです。しかし人々はあまりの禁欲生活に嫌気をさし、サヴォナローラは逮捕され火刑に処せられてしまいます。

その後ボッティチェリさんは、キリスト教の宗教画しか描かなくなったようなのですが、その前とその後の絵に関しては比較していませんので違いは書けません。サヴォナローラに心酔したのも、メディチ家の実態を知っていたがためであり、その前から精神的な葛藤はあったのでしょう。ルネサンスは決して平安な時代ではありませんから、メディチ家をパトロンとする自分の芸術家としての自分の位置になんらかの想いもあったのであろうと想像します。