ルネサンスから『ダ・ヴィンチ・コード』まで(5)

ミケランジェロさんとボッティチェリさんの接点は、ミケランジェロさんの大理石の彫像「ダヴィデ」を設置するための設置委員会にボッティチェリさんが参加しています。この彫像はフィレンツェ市からの要請で作られ、何処に設置するかで意見がわかれたのです。ミケランジェロさんは外が良いと主張。ボッティチェリさんやダ・ヴィンチさんは外は痛みが激しいからと別の場所をすすめたのですが、ミケランジェロさんの要望が通りました。

現在は、本物はフィレンッェのアカデミア美術館にあり、市庁舎そばの本来の位置にはレプリカが立っています。

ボッティチェリさんも、1481年にシスティーナ礼拝堂に壁画を描いています。ミケランジェロさんが天井画描き始めたのが1508年で4年後に完成。そして「最後の審判」を始めたのが1536年で完成が1541年です。ミケランジェロさんが誰にも見せず描いたのに対し、ボッティチェリさんは皆にみせつつ描いたそうです。

システィーナ礼拝堂の天井画と壁画の「最後の審判」は、『ミケランジェロ展』でも詳しく解説を書いてくれていましたが、出品リストにも図入りで説明を加えてくれていまして今みても参考になります。天井画は<天地創造の物語><アダムとエヴァの物語><ノアの物語><旧約の7人の預言者>など一つ一つに意味があるのです。映画『E.T.』のポスターで、少年と宇宙人との人差し指の触れて合うのが印象的でしたが、天井画にあるアダムと神の絵と相似しているのであれが原点かなと話題になりました。

「最後の審判」は上が天国で下が地獄。左は善で、天国に迎えられる人々が描かれ、右は悪で地獄におとされる人々が描かれていていて、上下の人の流れがわかります。やはり説明がないと宗教画はわかりません。「最後の審判」は、メディチ家出身のクレメンス7世に要請されています。

星形の要塞の建築図面もありました。サン・ピエトロ大聖堂にかかわったり、メディチ家の礼拝堂にたずさわったりと、権威者に色々要求されて晩年も大変なミケランジェロさんでした。15歳の頃からその天分をロレンツォに認められ、ロレンツォの館でロレンツォの子どもと同じような扱いをうけ、88歳まで生きられたということもあります。サン・ピエトロ大聖堂にあるあの「ピエタ」が24歳の時の作品ですから、メディチ家もミケランジェロさんを放しませんよね。

イタリア・ルネサンスの全盛期の三大巨匠は、ダ・ヴィンチさん、ミケランジェロさん、ラファエロさんなのですが、ラファエロさんの展覧会は今回なかったのでラファエロさんは抜かしました。

  • ボッティチェリ    1444年頃 ~ 1510年(65、66歳没)
  • ダ・ヴィンチ     1452年 ~ 1519年(67歳没)
  • ミケランジェロ    1475年 ~ 1564年(88歳没)
  • ラファエロ      1483年 ~ 1520年(37歳没)
  • ヴァザーリ      1511年 ~ 1574年(62歳没)

ヴァザーリさんが生まれた時は、ミケランジェロさんしか師とする対象の人はいなかったことになります。ラファエロさんは早くに亡くなられていました。

ルネサンス期は感染病のペストが何回か流行し、隔離するということがわからずフィレンツェの人口が半分に減ってしまうという事態の時もありました。死と隣り合わせの時代でした。

こうした流れの中での、『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』へとなるわけですが、この流れがなければ宗教画中心のこの展覧会には行かなかったとおもいます。アカデミア美術館所蔵とありまして、えっ!「ダヴィデ」はフィレンツェよねとはてなマークになりましたら、<アカデミア美術館>は、ヴェネツィアとフェレンツェにそれぞれにあるということです。

ルネサンスはフェレンツェからローマそしてヴェネツィアへと波及していきます。今になって『カラヴァッジョ展』(国立西洋美術館)も観ておけばよかったと残念がっております。