民俗芸能『早池峰神楽』『壬生狂言』『淡路人形芝居』(3)

淡路人形芝居』は、人形浄瑠璃成立よりもずーっと前からあったのです。上方で人形浄瑠璃が盛んになるとそれを取り入れて座を作り巡業にでたのです。一番盛んなときは、40座以上あったそうで、今は淡路人形座だけとなりました。南あわじ市福良港に専用劇場があて定期公演をしているので、そこに行けば手軽に観劇できそうです。

女流義太夫の竹本駒之助さんのお話を聞く機会があり、駒之助さんが淡路島のご出身でその原点に興味があったのですが、この空気の中で頭角をあらわされていたのだとその才覚の一端に触れたような気がしました。 邦楽名曲鑑賞会『道行四景』

文楽では上演されない演目もあり、今回の『賤ヶ嶽七本槍(しずがたけしちほんやり)』もそのひとつでした。本能寺の変で小田春永(信長)が亡くなり、武智光秀も滅び、そのあとの跡目相続で争う柴田勝家と真柴久吉(秀吉)との賤ヶ嶽の戦いの中で、翻弄される足利政左衛門(利家)とその二人の娘がからむ複雑な人間関係の話しであります。

娘の深雪は出家して清光尼になり庵室にこもっています。そこへ、遠眼鏡を持参して父が現れ、久吉にも勝家にも加担しないで遠眼鏡で戦を見物するというのです。さらに、清光尼に還俗するようにうながすのです。遠眼鏡といい、還俗といい、何が始まるのであろうかと観ている方も謎が解けるのが楽しみです。

女中たちが遠眼鏡をのぞき、いい男がいるから清光尼に覗いてごらんなさいとすすめます。清光尼はこばみながら覗いてびっくりです。叶わぬ恋とあきらめて出家した相手、恋人の柴田勝家の息子・勝久が戦っている姿がみえたのです。父には還俗など何んという事をといっていた清光尼が恋人を眼にした途端に破戒するとして袈裟から姫の姿へともどってしまいます。浄瑠璃も歌舞伎もお姫様は大胆です。

観客席の後方からほら貝の音がして、戦う勝久と兵士たちの人形が登場し、深雪姫が見ている戦いの状況を通路にて再現してくれるのです。人形浄瑠璃では、初めての光景です。

父・政左衛門は、勝久は討死するからこの世では添えられぬ仲あの世で添い遂げよと告げ、父の本心を語ります。深雪の姉・蘭の方は、実は父の恩人の娘で久吉が後見の三法師の母君なのです。蘭の方はさらに滝川家に養女に入り、その養父が小田家に反逆した者なので、三法師の母として相応しくないから殺すように久吉から政左衛門は言われているのです。そのため義理ある蘭の方の身代わりになってくれと打ち明けます。

勝久が討ち取られたと知った深雪は、生きている意味もないと、父の手にて浄土へと旅立ちます。

政左衛門は、本当に久吉が三法師を奉るか疑って三法師を隠していました。そこへ、蘭の方の首実験のためにせ三法師を従えて久吉が現れます。疑う政左衛門の前で、連れていたのは実子・捨千代で、三法師への忠心のため久吉は自らの手で捨千代の命を奪ってしまいます。これが<清光尼庵室の段>です。

そのあと<真柴久吉帰国行列の段>で三法師を守り安土城へ向かう久吉の行列が続き<七勇士勢揃の段>では、賤ヶ嶽の先陣での久吉に仕える加藤清正ら槍の七勇士の戦支度の姿が紹介されたり戦いぶりが披露されて久吉は勝ちどきをあげるのでした。

戦いの場では、遠くの崖の上での戦いとして小さな人形を使い崖から落ちたと思ったら、前面で本来の大きさの人形が戦うといった趣向もあります。

文楽にくらべると、淡路人形はかしらが大きく、早替わりなどの趣向があるのが特色で、『仮名手本忠臣蔵』の二つ玉や『妹背山女庭訓』の入鹿御殿の段の早替りなどもあるようです。

とにかく長い歴史の中で培われたり守ってきた民族芸能ですから、まだまだ解説がありますが、個人的興味のあるさわりだけ参考にさせていただきました。こうした民族芸能がこれからも人々に広く知られ楽しまれ、永く受けつがれていくことを願うばかりです。

現地に行くことが出来たならば、芸能は観られなくても、想像のアンテナが反応してくれることでしょう。