歌舞伎座 壽初春大歌舞伎『井伊大老』『越後獅子』『傾城』『松浦の太鼓』

夜の部からの観劇で、楽しみにしていたのが鷹之資さんの『越後獅子』だったのです。<五世中村富十郎七回忌追善狂言>の<上>で<下>が玉三郎さんの『傾城』です。長唄の詞のほうは流れをつかんでおきました。

越後の名物の<小地谷縮(おぢやちぢみ)>も詞にでてくるのですが、その時、太鼓の二本のバチを横に持ち、一本は固定させ、もう一本を機を織るように動かすのです。初めて気がつきました。獅子頭をかぶり、太鼓をお腹の前にくくりつけ元気に軽快な長唄に乗っての登場でした。足さばきが富十郎さんのようで、よく踊り込んであって心持ちがよかったです。

一本歯の下駄で、白い長い布を新体操のように振るのですが、これも小地谷縮のさらす風俗を踊りに取り込んでいるわけです。鷹之資さんはまだ背も低いので、布を短くするのかなと思っていましたら長いままでした。ゆうゆうと扱っていて、途中で右手のほうの布が絡まってしまいました。あまり無理してもどさなくてもいいわよと思いつつも、もどれ!とこちらは気合いを勝手に布に送りました。少しその都度動きに合わせて動かし無事に形を大きく崩すことなく元のように綺麗に二つの布がゆれています。

鏡獅子での二枚扇のとき、受けるために体の形を崩してはいけないといわれ、玉三郎さんは一度落とすと二回目もさりげなく落とし何事もなかったように踊られていました。

鷹之資さん、しっかりと追善狂言を踊り通されました。お見事です。沢山踊り込んでまた見せてもらえるのを愉しみにしています。

八丁八枚の長唄お囃子連中をバックにしていた関係からでしょうか、その後の玉三郎さんの『傾城』も吉原の仲ノ町の花魁道中の場からはじまり、恋人への手紙を新造に届けさせる場面としました。そして再び幕があがると、紫地に孔雀に牡丹の打掛で、さしがねの蝶々と手に持つ懐紙を泳がせつつ戯れながら踊ります。

これも予習してました。初桜の春、夏衣の夏、秋の三日月の秋、雪の肌(はだえ)の冬と四季が織り込まれていて、クドキ、痴話喧嘩、音頭と流れていきます。最後は黒地に雪と錦糸の鳥の打掛を着て初春にふさわしい豪華さで終わります。衣裳の打掛けの模様が、舞台の情景をも表してしまうあたりが玉三郎さんの演出です。

越後獅子』と『傾城』の舞台をがらっと変えるのであろうかと思っていたのですが、舞台の雰囲気を継続させ、越後獅子の子どもと傾城の大人の世界のどこか共通する健気さと意気地の裏おもてを匂わせつつの二つの舞踏でした。

今回の演目『将軍江戸を去る』『井伊大老』は幕末の歴史的事柄の内部劇であり、『松浦の太鼓』は忠臣蔵の討ち入り当日の外伝物で、どれも台詞劇です。

井伊大老』は、桜田門外で殺される間近の日々の井伊直弼(幸四郎)の心情と、直弼に近い人々との関わり合いをえがいています。<大老>となった時代の流れの中で、直弼はそれから逃れることの出来ぬ自分と大局との折り合いのつけかたに悩みつつも突き進む意志を幸四郎さんは、次第に包み込むような大きさへ変化する台詞術で動かしていきました。

正室・昌子(雀右衛門)は正室ゆえに、直弼のもとに訪れる政治関係の人々の動きを知っています。それゆえ、長野主膳(染五郎)のやり方に批判的で、主膳が連れて来た中泉右京(高麗蔵)にも、良い態度は見せません。雀右衛門さんの昌子は井伊家の正室としての役割を自覚している様子です。そして高麗蔵さんの京貴人風の台詞まわしが、井伊邸にも東西の風が入り込んでいることを思わせ幕末の風がみえます。こういうところにも脇の重要性があります。

下屋敷のほうでは、側室のお静が(玉三郎)が彦根の埋木舎からの馴染みである仙英禅師(歌六)に自分の昌子に対する焼きもちの気持ちや本心を打ち明けます。歌六さんの禅師は、昔から知っているというだけではなく、本心を語れるような穏やかさと世捨て人の明るさがあります。それでいて、小屏風に直弼が書いた「いかなれば 田毎に影の見えながら 空にぞ月の独り住みぬる」から凶兆を感じとります。直弼が下屋敷に寄り、禅師が来ていることを知り、着替えたらすぐこちらに来ると伝えられますが、その何でもないような台詞に、直弼も禅師とゆっくり語りたい気持ちが伝わります。しかし禅師は笠に「一期一会」と書き残し、直弼に会わずに去ります。

直弼とお静は二人だけで、幼き娘の命日と重なるひな祭りの前夜を、彦根のお酒を飲みつつ埋木舎のころに心をもどします。お静は側室ゆえに、直弼と会っている時が全ての観があります。直弼はお静の心の不安さを感じつつ、何があっても身のふりかたは心配するなと語り、お静は思いもよらない埋木舎から今の身の変化から、何があろうとどう思われようといいではありませんかと直弼を励ましつつ、今の時間をいとおしむのでした。

時代の渦として、直弼を殺そうとして失敗する水無部六臣の愛之助さんが、直弼と対峙しつつ直弼の論説に恭順し、直弼の迷う心を染五郎さんが、表情、声質を変えずに冷静な軍師どころを印象づけていました。激しい流れに立ち向かう大きさのある幕末の大老の幸四郎さんです。

松浦の太鼓』は、吉良家の隣の松浦の殿様が赤穂浪士がいつ討ち入りをするかと待ち望んでいますが、いっこうにその気配がないのでご機嫌斜めで、俳諧師の其角の紹介で勤めている大高源吾の妹・お縫いにも、不甲斐ない赤穂浪士の縁続きということで、辛くあたるのです。そんなことを知らない其角は昨夜大高源吾に会って「年の瀬や水の流れと人の身は」の其角の句に「明日待たるるその宝船」と返したと言われ考え込む殿様。そこへ山鹿流の陣太鼓の音。指を折って数える殿様。同門の大石に間違いない。助太刀に行こうとするとき、大高源吾が報告のため訪れれます。態度が一変する殿様。

殿様の身勝手な我儘さも見える演目で、密かに赤穂浪士の討ち入りを待つ、庶民だけではなく上のほうの心情をあらわすお芝居です。播磨屋の持ち役で初代に続いて二代目吉右衛門さんの当たり役でもありますが、染五郎さんが昨年から挑戦されています。

可笑し味と殿様としての風格が必要な役で、まだ風格には時間が必要のようですが、染五郎さんの任に合っています。今回染五郎さんは四役、台詞の工夫に腐心されてるようで、吉右衛門さんの形を踏襲され、この役も座ったままで声を張らせて意識的に伸ばされています。左團次さんのどこかひょうひょうとした感じの其角さんが、若さと殿さまの巾を脇からカバーされています。

お縫の壱太郎が浅草歌舞伎を終わって駆けつけ、殿様の風向きに困りはててかしこまっています。愛之助さんの大高源吾、討ち入り前のすす竹売りが晴れて松浦の殿様の前に義士として現れます。愛之助さん、声が良いだけに役どころが同じように見えてしまい、器用にこなしているなとおもわされてしまうのが損なところです。

新春の歌舞伎座の最後は明るく幕となりました。

 

ルネサンスから『ダ・ヴィンチ・コード』まで(6)

ヴェネツィア・ルネサンスの祖といわれているのがベッリーニさんで聖母子像を沢山描かれているらしく、『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』チラシの絵「聖母子」がベッリーニさんの作品で通称<赤い智天使の聖母>といわれていて、マリアとイエスの上に雲から顔を出す天使が描かれていてその顔が大きくて赤い色をしているのです。ながめていると<聖>を強調するユーモアさえ感じます。

ティントレットの「聖母被昇天」にも昇ってゆくマリアの周りには羽根をつけた天使の顔が取り囲んで飛んでいます。象徴さを表したかったのでしょうか。

巨匠のひとりであるティツィアーノの晩年の傑作といわれる「受胎告知」が日本初公開でした。マリアに受胎を告げるのが、大天使ガブリエルで純潔の象徴である白い百合を持っていますが、ティッィアーノさんの絵にはマリアの足元のガラスの花瓶に生けられているのが白百合なのだろうと思いました。

<受胎告知>でも、大天使ガブリエルがいなくてマリア一人が描かれているのもあり、どこかに<受胎告知>のヒントはないかなと思ってみるのも面白いとおもいます。

ティツィアーノさんの「聖母子」は、抱かれているイエスの右腕が下がっていて死を意味するともいわれています。マリアの悲し気な眼。

その他の「聖母子」にはマリアが縫い物をしていて、横に立つイエスがハサミのようなものを持ち、これも死を暗示しているのかなとおもわせます。宗教画としなければ普通の親子の日常の一コマで、いたずらな子どもともとれて微笑ましい光景でもあります。

ヴィーナスの絵もあって、裸体のヴィーナスにあわてて何かを羽織らそうとする者がいますが、ボルドーネの「眠るヴィーナスとキューピッド」はキューピッドが掛けようとしているのか取ったのかわからない状態で赤い掛物と悪戦苦闘しているようで、その様子が可愛いいです。

豊満な裸体身のヴィーナスは、多産や繁栄や健康の守り神として、結婚の記念に贈ったり描かせたりもしたようです。ボッティチェリの「プリマヴェ―ラ(春)」もピエルフランチェスコの婚礼のために描かれて、彼の妻のセラミデがモデルで「ヴィーナスの誕生」のモデルも彼女であるとの説があります。セラミデさん、シモネッタさんとの血筋がつながっているそうですので、まあどちらでもいいですが、ヴィーナスの絵に役割があったのは面白いです。

苦手だった宗教画も観方によっては楽しいではないかとおもえるようになったのでルネサンスもまんざらではなかったということです。

さて、その宗教も解釈が色々あるようです。やっと『ダ・ヴィンチ・コード』となりますが、ルーヴル美術館の館長が殺されて、裸になって自分の身体に血で五芒星(ごぼうせい)の印を残していて、館長殺しの犯人とされてしまった宗教象徴学専門のハーヴァード大学教授が謎を解いていくのです。

五芒星(ペンタクル)はキリスト教以前の自然崇拝にまつわる象徴でもあり、男神と女神が力の均衡を維持する世界として、男女のバランスがとれていれば世界は調和がとれていて、バランスが崩れると混沌がおとずれるとしています。そして異教の象徴であり悪魔崇拝とされています。

<シオン修道会>は、コンスタンティヌス帝とその後継者である男性の皇帝たちは、聖なる女性を公然とこき下ろし、女神を永久に消し去ることで、母権的な異教社会から父権的なキリスト教社会への転換をなしとげたと考えています。イエスは優れた預言者で、妻がいてそれが<マグダラのマリア>であったとしていて、小説ではマグダラのマリアはイエスの子を身ごもっていて、その血脈が密かに守られているということがからんでくるのです。

館長は、ダ・ヴィンチの円のなかに内接した手脚を伸ばした男の裸体図<ウィトルウィウス的人体図>の形で亡くなっています。さらに、犯人とされた教授を助けるフランス司法警察暗号解読官である優秀な女性がダ・ヴィンチの絵「モナリザ」や「岩窟の聖母」から謎の暗号の品物を見つけるのです。

十字軍やテンプル騎士団の話し、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵の解釈が出てきたりして、小説では<13の金曜日>の説明もありなかなか興味深いです。映画と小説の比較も楽しかったです。

この本と映画のお陰でその関連ツアーが人気になったそうで、DVD『ダ・ヴィンチ・コード・ツアー』では、そのツアーの映像版で旅をさせてもらったのです。

どう解釈するかは別としてティッィアーノさんの「マグダラのマリア」がきます。『ティッィアーノとヴェネツィア派展』(東京都美術館)です。

「マグダラのマリア」の絵はまえにも展覧会できてます。そのとき私は<娼婦>が懺悔していると解釈しましたので、映画館で『ダ・ダヴィンチ・コード』を観たときは架空の話しのミステリー&サスペンスとして観ていました。

宗教は根が一つかもしれませんが、長い間には解釈が多様化したり、時の権力者に変えられたりもします。それでいて神の名のもとに殺し合いもあるのですから、思索できない者はあまり深く関わりたくない分野です。宗教の自由がいいです。・

ロバート・ラングドン教授のトム・ハンクスさんは『インフェルノ』が良かったです。髪は長いより短いほうがいいです。

長いだけで終わり方がこれなのと自分で自分にツッコミをいれています。

クラーナハ 500年後の誘惑』(国立西洋美術館)ギリギリで行きました。ドイツ・ルネサンスはパスでいいかなと思ったのですが、いや~面白かったです。宗教改革のルターさんとも関係があって、事業家でもあり、沢山ツッコミをいれて観てきました。常設展にはヴァザーリさんの絵「ゲッセマネの祈り」もありまて、天使からの光があたる衣裳などがとても綺麗な輝きで描かれていました。

<ルネサンス>はダ・ヴィンチさんの解剖とは反対にどんどん筋肉がつき血が通ってきた感じです。きりがないのでここで一応締めます。

 

ルネサンスから『ダ・ヴィンチ・コード』まで(5)

ミケランジェロさんとボッティチェリさんの接点は、ミケランジェロさんの大理石の彫像「ダヴィデ」を設置するための設置委員会にボッティチェリさんが参加しています。この彫像はフィレンツェ市からの要請で作られ、何処に設置するかで意見がわかれたのです。ミケランジェロさんは外が良いと主張。ボッティチェリさんやダ・ヴィンチさんは外は痛みが激しいからと別の場所をすすめたのですが、ミケランジェロさんの要望が通りました。

現在は、本物はフィレンッェのアカデミア美術館にあり、市庁舎そばの本来の位置にはレプリカが立っています。

ボッティチェリさんも、1481年にシスティーナ礼拝堂に壁画を描いています。ミケランジェロさんが天井画描き始めたのが1508年で4年後に完成。そして「最後の審判」を始めたのが1536年で完成が1541年です。ミケランジェロさんが誰にも見せず描いたのに対し、ボッティチェリさんは皆にみせつつ描いたそうです。

システィーナ礼拝堂の天井画と壁画の「最後の審判」は、『ミケランジェロ展』でも詳しく解説を書いてくれていましたが、出品リストにも図入りで説明を加えてくれていまして今みても参考になります。天井画は<天地創造の物語><アダムとエヴァの物語><ノアの物語><旧約の7人の預言者>など一つ一つに意味があるのです。映画『E.T.』のポスターで、少年と宇宙人との人差し指の触れて合うのが印象的でしたが、天井画にあるアダムと神の絵と相似しているのであれが原点かなと話題になりました。

「最後の審判」は上が天国で下が地獄。左は善で、天国に迎えられる人々が描かれ、右は悪で地獄におとされる人々が描かれていていて、上下の人の流れがわかります。やはり説明がないと宗教画はわかりません。「最後の審判」は、メディチ家出身のクレメンス7世に要請されています。

星形の要塞の建築図面もありました。サン・ピエトロ大聖堂にかかわったり、メディチ家の礼拝堂にたずさわったりと、権威者に色々要求されて晩年も大変なミケランジェロさんでした。15歳の頃からその天分をロレンツォに認められ、ロレンツォの館でロレンツォの子どもと同じような扱いをうけ、88歳まで生きられたということもあります。サン・ピエトロ大聖堂にあるあの「ピエタ」が24歳の時の作品ですから、メディチ家もミケランジェロさんを放しませんよね。

イタリア・ルネサンスの全盛期の三大巨匠は、ダ・ヴィンチさん、ミケランジェロさん、ラファエロさんなのですが、ラファエロさんの展覧会は今回なかったのでラファエロさんは抜かしました。

  • ボッティチェリ    1444年頃 ~ 1510年(65、66歳没)
  • ダ・ヴィンチ     1452年 ~ 1519年(67歳没)
  • ミケランジェロ    1475年 ~ 1564年(88歳没)
  • ラファエロ      1483年 ~ 1520年(37歳没)
  • ヴァザーリ      1511年 ~ 1574年(62歳没)

ヴァザーリさんが生まれた時は、ミケランジェロさんしか師とする対象の人はいなかったことになります。ラファエロさんは早くに亡くなられていました。

ルネサンス期は感染病のペストが何回か流行し、隔離するということがわからずフィレンツェの人口が半分に減ってしまうという事態の時もありました。死と隣り合わせの時代でした。

こうした流れの中での、『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』へとなるわけですが、この流れがなければ宗教画中心のこの展覧会には行かなかったとおもいます。アカデミア美術館所蔵とありまして、えっ!「ダヴィデ」はフィレンツェよねとはてなマークになりましたら、<アカデミア美術館>は、ヴェネツィアとフェレンツェにそれぞれにあるということです。

ルネサンスはフェレンツェからローマそしてヴェネツィアへと波及していきます。今になって『カラヴァッジョ展』(国立西洋美術館)も観ておけばよかったと残念がっております。

 

ルネサンスから『ダ・ヴィンチ・コード』まで(4)

メディチ家の至宝 ルネッサンスのジュエリーと名画』は、フィレンツェに300年に渡って君臨したメディチ家の人々が身につけたであろう宝石類や肖像画などの展覧会です。

フィレンツェを追われたメディチ家は再びフィレンツェに戻ってくるのです。アレッサンドロは君主となりますが暗殺され、フィレンツェはトスカーナ大公国となりメディチ家からコジモ1世がうまれます。ここまでメディチ家は、兄脈でコジモ、ピエロ、ロレンツォ ~ アレッサンドロと続いていたのですが、コジモ1世(初代トスカーナ大公)からは弟脈のほうが第7代トスカーナ大公まで続くのです。

メディチ家の至宝 ルネッサンスのジュエリーと名画』は、この弟脈のトスカーナ大公時代のものの展示がほとんどでした。あまりの沢山のジュエリーに、宝石に関しては猫に小判の者としては、さらさらと眺め、それよりもメディチ家の家系図が手に入りニンマリでした。肖像画に描かれている宝石類のほうには眼がいきます。ジュエリーの高価さよりも、それをどう身につけているかということには興味があります。可愛らしい女の子が大きな玉の真珠の首飾りを首に巻きさらに垂らしているのを見るとお気の毒とおもわざるえません。とにもかくにも栄華を極めていたことはたしかです。

兄脈のほうにはローマ教皇になった人物もいて、ロレンツォの息子が教皇レオ10世に、暗殺されたジュリアーノの息子が教皇クレメンス7世になっています。このお二人はミケランジェロさんとかかわってきます。教皇も当時の芸術家にとっては、強力なパトロンだったわけです。

映画『ウフィツィ美術館』は、古代ローマ時代の彫刻からイタリア・ルネサンス時代の巨匠たちの美術品を中心に、さらにその後の名品が展示されているウフィッィ美術館を紹介するもので、メディチ家の歴代のコレクションです。

イギリスの俳優・サイモン・メレルズさんが豪華王のロレンツォになって解説してくれます。フィレンツェの街からウフィツィ美術館の中まで3D・4Kテクノロジー映像とやらで、例のメガネをかけてみるのですが、ウオン、ウオンと飛び込んできて奥行ができたりと、私は普通の映像でいいと思いました。気が散ってしまいます。

ミケランジェロの「ダヴィデ」などは、下から見て顔が小さく見えないように大きくしているので、そうした彫刻の立体感や大きな頭などはわかりますが、ダ・ヴィンチ未完の「東方三博士の礼拝」があったらしいのですが記憶が飛んでいます。普通の映像で再度観てみたいものです。

ウフィツィ美術館は、コジモ1世がヴァザーリに設計させて作らせた当時の官庁としての事務所で、その後、美術館となったのです。このヴァザーリさん少年のころ、ミケランジェロさんのアトリエに入門するのですが、ミケランジェロさんローマ教皇に呼ばれてローマに行ってしまい、直接教えを受けていないのです。しかしミケランジェロさんを師として機会があると助言をしてもらったようです。ミケランジェロさんはダ・ヴィンチさんのBBC制作のDVDの中でも何日も入浴しない変わり者として扱われていましたが気難しい人で、ヴァザーリさんには気を許していたようです。

ヴァザーリさん画家で建築家であると同時に評伝家でもあって、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ、ラファエロなどの多くの芸術家の『芸術家列伝』を書いていて、当時の文献として貴重な役割をはたしているのです。

ヴァザーリさんは、コジモ1世のお抱え画家で建築家でもあり、ヴェキオ宮殿の改装、ウフィッィ宮殿の建築、その二つを結ぶアルノ川にかかる橋のヴァザーリの回廊などを作りあげています。

ミケランジェロ展』は、ミケランジェロさんの彫刻、絵画、建築の三つの柱の建築を中心にして、その装飾についても言及していました。

函館の五稜郭で、こちらは司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』を読んで、もう剣の時代ではなかったよなあなどと思いつつ、新選組副長土方歳三が死を賭けて最後に飛び出した橋はここかなどと思いつつ中に入ったのです。函館奉行所の展示室に五稜郭のジオラマもあって、そこで係りの人が他の人に説明していました。「星形のお城は、もとをたどればミケランジェロが考えたんです。日本に函館ともう一つ長野にあります。長野のほうは五稜郭の中に学校が建っています。」

長野の佐久市にあって龍岡城五稜郭といわれ、星の中に佐久市立田口小学校が建っているのです。

ミケランジェロさんと建築が結びついた一瞬でした。

ミケランジェロさんとダ・ヴィンチさんは仲が悪かったようです。ダ・ヴィンチさんが「画家は優雅だが、彫刻家は汚い労働者のようだ」と言ったらしく、ミケランジェロさんカチンときたんですね。BBCの映像でも、ミケランジェロさん、ダ・ヴィンチさんに挑戦的でした。23歳年上のダ・ヴィンチさんに突っかかるのですから、天才の負けん気でしょう。

この天才二人の作品での対決があるのです。ベェッキオ宮殿(市庁舎)の<五百人広間>の向かい合わせ壁画の制作でした。BBCの映像では、仕組んだのはマキアヴェリとしていましたがフィレンツェの政庁から戦闘図を描くように依頼されるのです。ダ・ヴィンチさんは「アンギアリの戦い」、ミケランジェロさんは「カッシーナの戦い」を描きます。ところが、ミケランジェロさんは下絵の段階でローマにいってしまい、ダ・ヴィンチさん、またや新しい絵の具を試し失敗してしまうのです。そのあとで完成させたのが、ヴァザーリさんなのです。

ミケランジェロ展』には、ヴァザーリさんの『美術家列伝』も展示されていました。初版が1550年でその後の1648年に刊行されたものです。

 

ルネサンスから『ダ・ヴィンチ・コード』まで(3)

ボッティチェリさんは、ダ・ヴィンチさんより7歳年上です。接点は、ダ・ヴィンチさんが負かしてしまった師匠ヴェロッキオの工房です。

ボッティチェリさんは、フィレンツェの革なめし職人の家に生まれ、金細工の工房に弟子入りし、絵の才能があることから、修道士画家リッピの工房へ。師匠のリッピの息子がのちにボッティチェリの弟子となり、リッピ親子の作品も『ボッティチェリ展』にも並んでいました。その後がヴェロッキオの工房に移ります。ボッティチェリさんが24、5歳でダ・ヴィンチさんが16歳ころです。二人は終生良き関係を保っていたようです。

ボッティチェリさんはその後独立します。銀行家仲買人のラーマの注文で「ラーマ家の東方三博士の礼拝」を描きますが、ここにメディチ家の人々が描かれていて、ボッティチェリさん自分をもしっかり描いているのです。<東方三博士>というのは、新約聖書にでてくるイエスが誕生したとき訪れて拝した三博士・三賢人のことです。<新約聖書>はイエスが生まれたあと、<旧約聖書>は生まれるまえのことが書かれたものということで、「受胎告知」は旧約聖書に書かれていると思われます。

宗教画は苦手です。枠と決まり事があって、少しわかると構図や描き方などそれぞれの画家の違いを比較ができたりもしますが、同じに見えてしまうのです。

この「ラーマ家の東方三博士の礼拝」は『ボッティチェリ展』にきていたのです。コジモ・イル・ヴェッキオ公(コジモ)がイエスの可愛らしい足に手をかざしています。ひれ伏している赤いマントの人物がコジモの息子のピエロ、その隣がピエロの弟のジョヴァンニ。あとは色々説があるようですが、コジモの後ろに帽子をかぶって立っているのが、のちに豪華王といわれたピエロの息子のロレンツォ・イル・マニフィコ(ロレンツォ)、それと対称的に右に立っているのがロレンツォの弟のジュリア―ノ、その右端に立ってこちらを見ているのがボッティチェリです。描いているのがボッティチェリでその中で「どう、この絵」といっているようにこちらを眺めているのですからまいります。美男子のジュリア―ノはのちに暗殺されてしまいます。

ロレンツォは、左側の剣を持っている人物とも言われていますが、何となくイエスを中心に向かって囲んでいるような気がします。注文者の人物はジュリアーノの後ろでこちらを見ている人物です。そうすると、左端でこちらを見ている人も気になりますがわかりません。

フィレンツェは、メディチ家のゴジモ、ピエロ、ロレンツォ三代によって、共和制でありながら君主のように統治していました。

ボッティチェリさんはメディチ家の要請で「プリマヴェ―ラ(春)」、「ヴィーナスの誕生」等を描きます。メディチ家の豊富な資金力からギリシャ・ローマ神話の世界を絵や彫刻などに表現させるのです。このあたりが<ルネサンス>の古代の再生といわれるところとなるのでしょう。

メジチ家の栄華と財力は『メディチ家の至宝 ルネサンスのジュエリーと名画』や映画『フィレンツェ,メディチ家の至宝 ウフィッィ美術館』での公開となるのです。ウフィッィ美術館には、「プリマヴェ―ラ(春)」、「ヴィーナスの誕生」などボッティチェリさんの多くの作品やそのほかイタリア・ルネサンスの作品が納められています。

ボッティチェリ展』に展示されていた「美しきシモネッタの肖像」のシモネッタはジュリア―ノの恋人で、「プリマヴェ―ラ(春)」、「ヴィーナスの誕生」のモデルだともいわれています。

神々を人間の美しさで表すあたりや、色の美しさなど、中世のキリスト教会に押しつぶされていた人間賛歌ともとれ、「書斎の聖アウグスティヌス」の深く思索する様子は、いままでになかった精神的表現ともいえます。

メディチ家の贅沢三昧の生活をに批判的なドミニコ会の説教師・サヴォナローラが出現します。ロレンツォが亡くなり息子の代になると力が弱り、フランス軍の侵攻となりメディチ家はフィレンツェから追放されてしまいます。サヴォナローラは華美なもの官能的なものを禁じ焼却させます。ボッティチェリさん、サヴォナローラの説教に共感し入信します。そのため裸体の素描は提出し、焼却されたようです。しかし人々はあまりの禁欲生活に嫌気をさし、サヴォナローラは逮捕され火刑に処せられてしまいます。

その後ボッティチェリさんは、キリスト教の宗教画しか描かなくなったようなのですが、その前とその後の絵に関しては比較していませんので違いは書けません。サヴォナローラに心酔したのも、メディチ家の実態を知っていたがためであり、その前から精神的な葛藤はあったのでしょう。ルネサンスは決して平安な時代ではありませんから、メディチ家をパトロンとする自分の芸術家としての自分の位置になんらかの想いもあったのであろうと想像します。

 

ルネサンスから『ダ・ヴィンチ・コード』まで(2)

レオナルド・ダ・ヴィンチ - 天才の挑戦』のお勧めの絵は「糸巻きの聖母」でした。「モナ・リザ」につながる作品とされ、ダ・ヴィンチが考え出した<フスマート>といわれるぼかし法で、ボッティチェリなどは細い輪郭線がはっきりしていますが、ダ・ヴィンチはぼわーんとしています。

「糸巻きの聖母」はマリアがイエスを膝にのせ左手で抱えるようにしていて、イエスは糸巻きを縦にしてに持っており、その糸巻きが十字架を暗示しているようで、マリアの表情は穏やかですが、右手が「あっ!」と驚くように大きく開かれています。ダ・ヴィンチさんの絵は何か謎めいた物語性を感じさせます。『モナ・リザ』も美しいほほえみに見えたり、角度によっては皮肉っぽい笑みに見えたりします。

この展覧会のときは、鳥の飛翔に関する手稿、簡単に組み立てられる橋の図、正確なデッサン、医学的人体デッサンなどが展示され、絵を中心に考えていたので肩透かしをされた気分が少しありました。

ところがその後、DVDで『ダ・ヴィンチ1 ~万物を知ろうとした男~』『ダ・ヴィンチ2 ~危険な関係~』を見て、<天才の挑戦>がわかってきました。

小さいころから何でも観察するのです。鳥はどうして飛べるのかと羽根とか空気の流れとかをじーっと観察するのです。鳥って飛べていいなあ!では止まらないのです。子どものころ文字をきちんと学ばなかったこともあり、絵で表現していて、絵の才能もあったので、文字で表すより絵で表すほうがダ・ヴィンチさんにとっては速い表現方法だったのかもしれません。

大人になれば自分の考案したものを実際に作りたいという、科学者としてのダ・ヴィンチさんでもあるわけです。そのために、嫌われ者のミラノ公のもとでは、パーティーの演出を任され、ロボットのようなものを登場させたりと参加者を驚かせ愉しませています。

さらに、冷酷非道といわれたチェ―ザレ・ボルジアに近ずき、戦争を悪だといいつつ、戦さに使うためのものを考案します。城を包囲されたら空を飛んで逃げるパラシュートとかグライダー、敵にわからないように船を沈没させるため、水の中を潜って進むための潜水服のようなものを考えたり、戦車のようなものも考えます。

DVDでは、これらをダ・ヴィンチさんの設計図で実際に作って実験していました。最初は失敗するのです。次に、設計図の横のほうにメモが沢山あって、それが鏡文字なのですが、そのメモを使って修正すると成功するのです。これは、自分の発明を他の人にはわからないようにしてのこととも思われます。そういう意味でも、ダ・ヴィンチさんの謎解きの研究がなされるゆえんなのでしょう。ダ・ヴィンチさん左手書きなのです。

とにかくなんにでも興味があり、死体の解剖をして解剖図を描き、鏡文字があったりしますから、教会に呼ばれ妖術家の疑いをかけられたりします。

血液中のコレステロールも調べていて、年齢とともにたまるということまで調べていましたが、不浄な行いとして研究は続けられませんでした。

壁画や絵画の仕事を引き受けても、完全主義ということでしょうか、そこに描く一人一人を街を歩く人から選びデッサンをして納得いくまで実際の仕事にかからないので、「東方三博士の礼拝」など未完成の作品も多いです。

20歳ころには「キリストの洗礼」を師匠ヴェロッキオと共作し、左の二人の天使を描きますがそちらに目がいくように工夫するのです。その通りとなり、ヴェロッキオは弟子の腕に驚きその後絵筆をとらなかったともヴァザーリは評伝に書いているそうです。

「モナ・リザ」は常にそばにおき、死んだときもそばにあり、忘れかけていた彼の名も『モナ・リザ』で世間に知らしめたとDVDではしめくくっています。確かにそうです。こんなに色々なことに精通していたとは知りませんでした。

イタリアのトスカーナで生まれ、フィレンツェ、ミラノ、、ヴェネツィア、フィレンツェ、ミラノ、ローマと移り住み最後はフランスで亡くなっています。

 

ルネサンスから『ダ・ヴィンチ・コード』まで(1)

新しい年の2017年となりましたが、気持ち的にはこれといった変化はありません。元旦は初日の出が眩しいほどよく見れたお天気で、自然界は少し渦巻いているようなので、「機嫌のよい年としてくださいな」と手を合わせました。

書くことは、これまた昨年の足跡なのです。なぜなら、2016年1月の『レオナルド・ダ・ヴィンチ展』から始まって日伊国交樹立150周年記念の年ということもあって、<ルネサンス>が目白押しでした。

こちらの意志とは関係なく<ルネサンス>の加速化が始まりまして、3月の函館の旅の五稜郭では、もとをただせば、ミケランジェロが考えた星形要塞の延長であることを知りました。最後は映画『インフェルノ』の公開があり、映画『ダ・ヴィンチ・コード』を見直し、これは小説『ダ・ヴィンチ・コード』を読まねば落ち着かないということで、2017年の読書本は年始から『ダ・ヴィンチ・コード』となりました。

簡単にルネサンス関連から観た経過を整理します。

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ ー 天才の挑戦』(江戸東京博物館)
  • ボッティチェリ展』(東京都美術館)
  • メディチ家の至宝 - ルネサンスのジュエリーと名画』(東京都庭園美術館)
  • 映画『フィレンツェ,メディチ家の至宝  ウフィツィ美術館
  • ミケランジェロ展 - ルネサンス建築の至宝』(パナソニック 汐留ミュージアム)
  • アカデミア美術館所蔵  ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』(国立新美術館)
  • DVD BBCアートシリーズ『ダ・ヴィンチ1 ~万物を知ろうとした男~
  • DVD BBCアートシリーズ『ダ・ヴィンチ2 ~危険な関係~
  • 映画『インフェルノ
  • 映画『ダ・ヴィンチ・コード
  • 映画『天使と悪魔
  • DVD『ダ・ヴィンチ・コード・ツアー
  • DVD『ダ・ヴィンチ・コード・ザ・トウルース
  • 小説『ダ・ヴィンチ・コード

最終的にはダ・ヴィンチさんが色濃くなったようです。

ダ・ヴィンチさんという人は天才で、それがルネサンス時代と重なり、同時にライバルとしてミケランジェロがいたり、あるいは、同時代の画家としてボッティチェリなどがいて、そのルネサンスの擁護者がメディチ家であったといういうことなどが見えてきました。

小説『ダ・ヴィンチ・コード』ですが、最初に「事実」という書き始めで、<シオン修道会>の会員として、サー・アイザック・ニュートン、ボッティチェルリ、ヴィクトル・ユーゴー、そしてレオナルドド・ダ・ヴィンチらの名が含まれていると書かれていて、さらに「この小説における芸術作品、建造物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている。」とあります。

DVD『ダ・ヴィンチ・コード・ザ・トウルース』は、その事実とされることへの反論の内容です。『ダ・ヴィンチ・コード』に関しては映画だけでは、流れが速くよくわからない部分があり、これは原作を読まなければとの結論になり本をよむことになったわけです。

『ダ・ヴィンチ・コード』のダ・ヴィンチさんは、宗教的な解釈の違いから異教者としての道標なっているようです。宗教に関しては深みには入る力もありませんので、キリスト教の解釈としてそういうこともあるのかという程度で、小説としての展開材料として読みました。

天才ゆえに、自分の才能を認めさせようとの積極的な行動もあり、色々な隠し味も作れる才のあるかたであったと思います。

映画『ダ・ヴィンチ・コード』のラストのラングドン教授が、ルーブル美術館の上から逆三角形を眺め降ろすのは、ここから始まってここで終わるということなのでしょうか。小説には無い場面ですので、その捉え方にとまどっていますが、<聖杯>に自分は包まれているともとれます。