高野山

12月の文楽は「刈萱桑門筑紫いえづと(かるかやどうしんつくのいえづと)」と「傾城恋飛脚」である。この「刈萱桑門筑紫いえづと」は高野山に残る<石童丸伝説>から作られている。

<石童丸伝説>は、加藤左衛門尉繁氏(かとうさえもんのじょうしげうじ)は筑前国(福岡県)の領主であったが、妻桂子(かつらこ)と側室千里との間の嫉妬の苦しみを見抜き、世の無常を悟って出家し刈萱道心となる。その直後生まれた石童丸は母千里と父を訪ねて高野山へ行く。病の母を宿に残し一人高野山へ登り偶然、刈萱道心と出会うが父は名乗らない。母を病で亡くした石童丸は再び高野山に戻り、刈萱道心(円空)の弟子となり親子の名乗りを上げないまま、ともに厳しい修行に励んで生涯を送った。

この物語は諸国を回る高野聖たちが高野山信仰を唱導しつつ話して聞かせた。

「平家物語」にもでてくる<横笛>は建礼門院に仕える雑仕横笛との身分違いの恋が叶わず出家した斉藤時頼(滝口入道)を追い横笛も尼となり天野(かつらぎ町)で再会出来ぬまま19歳で病死する。(「平家物語」では歌を交わし、横笛は奈良の往生寺で世を去ったとある)

また、西行法師も高野山に庵室をかまえた。妻と娘はやはり天野の里に住まい西行は時々高野山からそこを訪ねたとも伝わる。

明治の初めまで女人禁制で、有吉佐和子の「紀ノ川」にも慈尊院までは上がれてこの寺を女人高野と云うとある。この慈尊院の場は空海が高野山麓の庶務を司る政所をおいたところで空海の母もここに留まっている。この政所に藤原道長・白河上皇・鳥羽上皇等も宿所としている。

戦国時代には秀吉に疎まれた秀次も高野山に追放され自刃している。真田昌幸・幸村親子も高野山に追放され、昌幸は病死するが、幸村は高野山を抜け出し徳川と戦い討ち死にしている。

宿坊に泊まりたくて友人と三人で高野山の宿坊に泊まったことがある。般若湯(はんにゃとう・お酒)も頼むことが出来た。

友人のまとめてくれた記録によると<本場精進料理ごま豆腐は絶品>、<闇夜に聳え立つ木立の上にほんのり霞む月>、<帰宅したら日々修行(掃除)をしようと決意?>とある。宿坊は何処もかしこも磨かれていて、三人掃除の大切さに目覚めたのだが?

朝の勤行の後、もう一人の友人は次から次へと質問をし、深きお話も聞け、持つべきものは友人であると悟ったが、お二人覚えているであろうか。忘れた者にお助けを。

 

 

 

新橋演舞場 『十二月大歌舞伎』

昼の部は【通し狂言 御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)】。これも「義経記」を土台にして作られた作品らしい。本歌どりのパロディの感があるが「勧進帳」よりも約70年前にあったというから驚きである。能は武士が愛好し庶民は人形浄瑠璃や歌舞伎を愛好し芸能の階層のようなものがあった。歌舞伎の「勧進帳」は能の「安宅」を基にしており、直接見れないので、能舞台の床下に潜んでぬすんだというようなこともきく。

<暫><色手綱恋の関札><芋洗い勧進帳>

昼夜共に若い役者さんがずらりと並び、あれは誰でと楽しんで確認しつつ見ていた。書くほうも歌舞伎の専門用語はきちんとしていないし、筋は頭に入っていないしで若い方と共に勉強させてもらった。

やはり歌舞伎は難しい。江戸時代の人々は、「平家物語」なども琵琶法師の語りから聞いていて、もっと歌舞伎の物語が身近のものであってお弁当を食べつつでもわかったことであろう。その辺の感覚が今とは違っている。楽器も琵琶から三味線へと変わり、浄瑠璃・一中節・常磐津・長唄・端唄などその違いの耳を持っていたことだろう。羨ましい。

夜の部の「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」は何回か見ているので、菊之助さんの初役の八ツ橋がたのしみであった。菊五郎さんも次郎左衛門は初役だそうである。

顔にあばたのある佐野の大百姓次郎左衛門(尾上菊五郎)が吉原の花魁道中で八ツ橋(尾上菊之助)に微笑みかけられ心奪われ八ツ橋のもとに通う。この八ツ橋の花道での微笑みが見せ場であるが、菊之助さんの八ツ橋は綺麗で愛らしかった。この微笑みは次郎左衛門に向けたわけではなくちょっと微笑んだだけが、次郎左衛門にとってはそうではなくなってしまい、身請けの話まで進んでしまう。八ツ橋には浪人の栄之丞(坂東三津五郎)という間夫(まぶ)がいて次郎左衛門との縁切りを迫られる。このとき菊之助さんはかなり気持ちを露にし泣き崩れるが、間夫を目の前にすれば惚れた男とただのお客との比較でここではそこまで感情を出さなくてもと思ったが。愛想づかしのところでだんだん気の毒な気持ちが出てくるのではないだろうか。しかしそこを押し通す辛さを押さえての愛想づかし。少々ヒステリックに見えた。それは菊五郎さんの次郎左衛門が傷つけられた気持ちをかなりストレートに出しているからか。今までの愛想づかしと違って感じられた。ここでも若手の役者さんが並び頑張っていた。

「奴道成寺」は三津五郎さんの踊りで、花子になりすましてしていたのがばれた時の愛嬌、三つの面を使っての踊り分けなど巧みであった。

松也さん・梅枝さん・萬太郎さん・右近さん・廣太郎さん・宗之助さん等がこれから育っていくと役者さんの層も厚くなり楽しみである。

 

 

 

国立劇場12月歌舞伎 『鬼一法眼三略巻』 (2)

【檜垣】周囲の思惑や重盛のいさめもあり、清盛は常盤御前を一條大蔵卿長成に嫁す。清盛の愛妾を、はいはいと受ける一條大蔵卿を皆笑い者にしているが、大蔵卿は毎日、舞にうつつを抜かす〈阿呆〉なのである。
鬼一の弟・鬼次郎(梅玉)は 、常盤御前の本心が知りたく様子を探る為、妻・お京(中村東蔵)を女芸者の狂言師として大蔵卿に仕えさせる。この場は 大蔵卿の出が見所である。どう呆けて出るのか。吉右衛門さんの出は、公家の呆けであった。柔軟で軽い。フワフワと世の中を楽しんでいる。自分の境遇など考えてもいない。平家も源氏も関係なし。今まで演られた大蔵卿で最高の出来と感じた。

宮廷装束の文化を守り伝承している衣装道大倉流の装束劇で「光源氏の加冠」の儀式をDVDで見たが、平安時代の公家は儀式が多かっただけにあの衣装を着こなし優雅な動きをしていた。その公家が呆けても動きはゆったりと優雅でなくてはいけない。その想像に今回はぴったりであった。

誰にも悟らせない、作り阿呆である。その大蔵卿のそば近く仕える鳴瀬(市川高麗蔵)が 、周りの者達をしっかり裁きキリッとしていて良い。主人の作り阿呆を知っていて、悟られないように気を配っているのかもしれないなと思わせる謎がいい。

いいだけ楽しい呆けを見せて花道へ。大蔵卿はそこで鬼次郎に気付くがそこでも正気を見せずに檜扇を開いて顔を隠す、この形もよく考えられていると思う。

この場の茶屋の主人が、鳥羽院が押し込められたと噂し、きちんと時代背景も台詞の中に出てくる。

【奥殿】常盤御前(中村魁春)の本心は、平家討伐であった。夜中まで楊弓に興じていて業を煮やしていた鬼次郎夫婦に明かされたのは、牛若丸の牛に因んで丑の刻に清盛の絵姿を的の下に隠し射ていたのである。それを密告しようとする鳴瀬の夫を大蔵卿は殺し自分の作り阿呆を明かす。この辺りも正気と阿呆の演じ分けが見所である。また、魁春さんの常盤も数奇な運命をたどっていながら気丈に平家打倒の強固な意志を秘めていた。

大蔵卿は鬼次郎に<小松>になぞかけた歌を送る。重盛がいては駄目だ。小松の枯れるのを待たなくては。ここも今回台詞でわかった。「平家物語」を読んでいなければ<小松>は<重盛>と気が付かなかった。

一條大蔵卿の周到さも、その頃の清盛の力の凄さが判ると納得である。再び大蔵卿は作り阿呆に戻るが、観客は笑いつつ共犯者にされているわけである。これは現代劇にも通ずるドラマ展開である。

常盤御前と牛若丸。やはり義経がその中心に一本の線を成している。全部通しでやはり見てみたいものである。

種之助さんの腰元白菊と隼人さんの頼兼は判ったが、米吉さんの弥生が吉右衛門さんの阿呆に気をとられよく見ていなかった。残念。

 

 

国立劇場12月歌舞伎『鬼一法眼三略巻』 (1)

『鬼一法眼三略巻』(きいちほうがんさんりゃくのまき)

「義経記」(ぎけいき)などの説話や史実から創作された芝居らしい。

<菊畑>(きくばたけ)<一條大蔵譚>(いちじょうおおくらものがたり)などは単発で見ているが義経の話が基本にあるとは知らずにいた。ただ「平家物語」を読んでいたので平家がまだ奢り高ぶっている時代の、源氏側の水面下の平家攻略の話で面白かった。

史実にもあるものは、そこでは登場しなかったり目立たない人物でも古典芸能・芝居・映画・ドラマなどで表に大きく登場させることが出来るし、脚色しやすい。これが小説などになると、作家の作った登場人物であるから、作家の描いた人物を壊し過ぎると作品自体の崩壊にもなるのでかなりの制約があるように思う。

歌舞伎に出てくる鬼一法眼も、一條大蔵卿もそんな時代の中で登場する人物であろう。今回初めて自分の中で時代に解放して見せられた登場人物である。時代背景が芝居だからと軽くみていたのである。ところが時代が解かると嬉しいことにもっと人物が生き生きとしてきて、役者さんの演技にも深く入っていけるのである。

このところ「平家物語」様様(さまさま)なのである。

芝居は今回【六波羅清盛館】が約40年ぶりの上演で本当は三段目なのを序幕にもってきている。本来は序と二段目で義経と弁慶の生い立ちをやるようで今回はない。さらに五段目で義経と弁慶が出会うそうで、ここまで知ると、全部通しで見たくなる。

清盛(中村歌六)は吉岡鬼一法眼が所持している兵法の書を差し出すように云うがなかなか差し出さない。それは鬼一法眼が今は平家で元は源氏である。これは明かされないが此のくらいは知っていた方が次の幕での鬼一法眼(中村吉右衛門)の演技がわかる。父の代わりに娘の皆鶴姫(中村芝雀)が持参するが、読み上げろといわれて読むとそれは重盛(中村錦之助)の清盛が義朝の妻・常盤御前を愛妾にしている事への意見書である。出ました重盛。ここでも思慮深い。ここだけの出だが錦之助さんは美しい。少々ひ弱わだがこの辺から重盛の悩みが続くとすればそれも良い。鬼一には幼い頃別れた鬼三太・鬼次郎の二人の弟がいてこの二人が源氏がたについているためその詮議のために湛海(中村歌昇)が鬼一の館へ遣わされる。歌昇さん大きさに欠けるが張り切っているのがわかる。

【菊畑】鬼一法眼の館で鬼一が庭の菊見物に出てくる。この館の奴として智恵内(中村又五郎)と虎蔵(中村梅玉)が仕えている。智恵内は実は鬼三太。虎蔵は実は牛若丸。二人は兵法の巻き物を手に入れたいと思っている。いつも思うが梅玉さんの牛若丸が幾つになっても牛若丸である。その歩き方、座っている時の型が若き貴公子なのである。この役が体の一部になっているのであろう。弟としりつつ清盛の探索から救うため二人に暇を出す鬼一。そこにいたるまでの鬼一と智恵内の探りあい。智恵内と虎蔵との主従関係を見抜く鬼一の仕掛け。吉右衛門さん初役だそうだが初役とは思えない。智恵内は演られているから頭に入っているのであろう。

その後皆鶴姫は虎蔵に思いをよせ、それを取り持つ智恵内のひょうきんさも出す場面でもあるがここの智恵内は難しい。鬼一とのやり取りとは違う智恵内を出さなくてはならない。

鬼一の出から引き付けられたのが、女小姓楓。とても良い形である。鬼一にメガネを渡したりするのであるがその姿のよい事。動いても形が崩れない。胸を張って膝は少し折って少し片足を引いたり。女小姓に見とれたのは始めてである。子供の時から型を体に覚えさせるので他の演劇が敵わないところなのである。大谷廣松さんと思うが。

この後に今回は無い【奥庭】があって牛若が鞍馬で天狗から兵法を習ったという伝説とそれが鬼一法眼であったという展開になるらしいが残念である。時間の制約があるので仕方がないが、それだけこの演目は大きい作品ということである。

【一條大蔵譚】は次になってしまう。これは、現代人も好む話と思う。

 

 

 

勘三郎さんの芸を映像で

十八世中村勘三郎さんの特番の映像が次々と放映される。

一番見て欲しいのは NHKEテレ「十八世中村勘三郎の至芸」である。「髪結新三」と「春興鏡獅子」の二演目が放送される。(9日午後9時から)

ただ見ていただきたい。

追記 (12月11日)

好い映像を放映してくれた。「髪結新三」(かみゆいしんざ)は素晴らしい豪華メンバーである。

新三(勘三郎)・忠七(芝翫)・お熊(玉三郎)・弥太五郎源七(仁左衛門)・大家(富十郎)・勝奴(染五郎)

平成12年の公演であるが、そんなに時間がたってしまったのかと驚いた。あの時、大家さんの富十郎さんと新三の勘三郎さんのやり取りの間を楽しませてもらった事を思い出した。今回映像で見て、小悪党の 新三の上をいく大家さんの強欲さも二人の掛け合いでよく出ている。

きちんと型にはまり、それでいて生身の小悪党のどうしょうもない性根が見え隠れし、本性が出て、また型がきまる流れは見るものをあきさせない。この独特の魅力が勘三郎さんにはそなわっていた。

そして、がらっと変わる女形の舞踊。

リアルタイムで勘三郎さんの芸を見れた事を拳(こぶし)に握りしめる。

 

 

 

 

 

ありがとう 勘三郎さん

感謝の言葉しか思い浮かばない。ありがとう。

歌舞伎を見続けられた一翼に勘三郎さんの羽ばたきは欠かせないものであった。楽しそうに演じられる勘三郎さんも素敵であったが、どこかでスイッチがきゅと入り、きりっと良い形にきまる勘三郎さんはもっと素敵であった。あっ!スイッチが入ったなと感じられる時の瞬間は、勝手にこちらが感知したと思い込んでいるわけであるが、至福のときである。そう感じられる演技をしてくれるのである。

『春興鏡獅子』の御小姓(腰元の少女)弥生の出から引っ込み、再び登場し戸惑いながらも挨拶して踊りだすまでの恥じらいと困惑の様は追随を許さないところがあった。歌舞伎観劇の手ほどきをしてくれた先輩からもらった20代の頃の『春興鏡獅子』の映像は何回見直したであろうか。勘三郎さんが鏡獅子を踊るたびに比較し楽しんだ。そして歌舞伎舞踊の楽しみ方を教えてもらった。

大河ドラマ『新平家物語』を先ごろ見たら、敦盛が勘三郎さんであった。もちろん勘九郎さん時代であるが、気が強そうで負けず嫌いの敦盛で、勘三郎さんらしい敦盛であった。

ありがとう 勘三郎さん。萎える気を負けん気にして見続けます。あなたの愛した歌舞伎を。

 

 

映画『地獄門』 と 原作『袈裟の良人』

村上元三著「平清盛」に<遠藤盛遠(えんどうもりとう)という侍が、渡辺渡(わたなべわたる)の妻袈裟御前(けさごぜん)に恋をして、夫を殺そうと企てたが、かえって袈裟の首を討ってしまい、自分は出家をするという事件が起こった。>とあり、それを聞いた清盛は<「武士が刀を抜くときは、よくよくのことがあったときでのうてはならぬ」>と言わせている。ここでは恋のために刀をぬくとは何と天下泰平か、と言う意味にもとれる。

この事件を題材にしたのが、菊池寛の戯曲「袈裟の良人」であり、それを原作に映画化したのが「地獄門」である。

映画の時代背景は平治の乱時期で、清盛が熊野参詣に行っている間に起きた争乱中、遠藤武者盛遠は袈裟と会う。袈裟は上西門院の女房で、争乱の際、上西門院の身代わりとなりそれを警護したのが盛遠である。清盛は熊野から即立ち返り乱も平定し、戦の褒賞を盛遠に尋ねると袈裟を娶りたいと願うが、袈裟が渡辺渡の妻である事が解かりその願いは退けられる。それでも諦めきれない盛遠は思いを遂げようと袈裟に言い寄り、自分の思いを叶えるためには渡の命さえも奪うと告げる。良人の身を案じた袈裟は良人を殺してくれと盛遠に頼み、良人と自分の寝所を取替え良人の身代わりとなって自分が盛遠に討たれるのである。それを知った盛遠は彼女の貞節を称え自分を恥じて髪を下ろし旅に出るのである。

菊池寛の戯曲は「袈裟の良人」とあるだけに袈裟の死んだ後の渡辺渡の独白に力を入れている。盛遠は自分を討たない渡に業を煮やし、自分の髷をふっつりと切り<おのれが、罪を悔いる盛遠の心が、どんなに烈しいかを見ているがよい。>と袈裟の菩提のため諸国修行に出ることを伝え立ち去る。

<お前はなぜ悲鳴を挙げながら、俺に救いを求めて呉れなかったのか。俺が、駆け付けて来てお前を小脇にかき抱きながら、盛遠と戦う。それが、どんなに喜ばしい男らしい事だったろうか。>

<盛遠は、恋した女を、自分の手にかけて、それを機縁に出家すれば、発菩提心には、これほどよいよすがはない。お前はお前で、夫のために身を捨てたと思うて成仏するだろう。が、残された俺は、何うするのじゃ。>

<盛遠は、迷いがさめて出家するのじゃ。俺は、最愛の妻を失うて、いな最愛の妻に、不覚者と見離されて、墨のような心を以って出家するのじゃ。>

<お前の菩提を弔うてやりたい!が、俺の荒んだ心は、お前の菩提を弔うのには、適わぬぞや。まだ懺悔に充ちた盛遠こそ、念仏を唱ふのに、かなって居よう!あゝさびしい。>

<俺の心には長い闇が来たのじゃ。袈裟よ!袈裟よ!なぜ、お前はこの渡を、頼んで呉れなかったのか!>

菊池寛さんの台詞は凄い。かなり削除して書いたが、これほど無常観を独白する心情をいれつつ盛遠の意識していない部分まで客観的に見つめている台詞を書くとは。

映画は平安末期の混乱と色彩と恋と救いを描き、戯曲は大衆をも取り込んで不安に満ちていた末法世界への入り口を描いている。

 

地獄門は戦に敗れた者のさらし首の場所であり、二度目に袈裟と盛遠の出会う場所であり、盛遠が袈裟を求めてさ迷う通り道でもある。

 

 

文楽の若手

国立劇場のあぜくら会の企画で「あぜくらの夕べ~吉田一輔を迎えて~」があり、抽選に当たり参加できた。聞き手が葛西聖司さんで、NHKの「芸能花舞台」でこちらはお馴染みなので楽しみであった。

文楽の場合、主になる人形は三人で遣うのである。今回始めにその三人遣いの説明があり知ってはいたが、足と左の遣いかたの感覚が増幅された。

解説は女の人形であったが、右に対する左手の追従のしかた、足の動かしかたによるふっと立ち止まるか、駆け出すか、それらが一人で遣っている様に自然に動くのであるからいかに修行するか明白である。足遣いは主遣いの腰に寄り添っていて腰の動きから主遣いの動きを察知し、左は人形の頭(かしら)の動き、肩の動きから主の動きを察知して動くのである。

たとえば写真などを見ても人形の形がすばらしい。武者など左は人形の肩のあたりを常に意識されているから、人形の右手が右斜め上に伸びて左手は左下に一直線に綺麗な斜め線が描け大きさを現したりできるのである。これがバランスが崩れていればやはり間延びして、ぴしっときまらない。足も左右どちらかをバランスよく曲げる事によって安定したよい形となる。

一輔さんは文楽に入って30年であるが、まだ師匠(吉田簑助)の遣いかたが全然わからないそうで、師匠の人形の頭の中の指はその場に応じて伸びているのではないかといわれていた。E・Tのように伸びるのかもしれない。それほど顔の表情や頭の動きが無限大なのであろう。遣われているかたが、涼しい顔で遣われているのでいつしか技術面などは忘れて見るものは泣いたり笑ったりしている。

主人公となるような人形の左・足遣い手は相当のかたが遣われているのであるから名前がでても良いのではと思う。黒子なのでどなたなのかわからない。今回の左は期待できるなどと思いつつ見るのも楽しさが倍増するかも。今日の足は駄目だったなどとの声も聞こえたりして。

葛西さんは古典芸能の造詣が深いので、話を引き出されるのが上手く、若手の現状を柔らかくよく表に出されていく。評判になった三谷幸喜さん作・演出の『三谷文楽(みたにぶんらく) 其礼成心中(それいなりしんじゅう)』と一輔さんたちとの創造過程の話から、文楽では若手でも世間的にいえば中堅で、青春時代を文楽にかけた重みを伝えてくれた。演劇界のスターに対しても文楽の世界では互角に対する気概はやはり先輩たちの苦節を背負ってたつ意気込みである。

この演目は来年1月1日 WOWOで放送される。NHKさんも放送してください。

『三谷文楽 其礼成心中』

作・演出/三谷幸喜  作曲/鶴澤清介

出演/竹本千歳大夫・豊竹呂勢大夫・鶴澤清介・吉田一輔 ほか

 

 

 

 

 

平家物語の能 『清経』 (きよつね)

平家物語は古典芸能にも多く取り上げられている。国立能楽堂で、能「清経」を観ることができた。始まる前に「『平家物語』から能へ」の解説があり、大変参考になった。ただ清経は重盛の第三子であるのだが、物語の中で何処に出てきたのか記憶にないのである。捜したのだがいまだ判明していない。記述は四行くらいらしいのだが。

「清経」は世阿弥作で、そのほかにも世阿弥作の『平家物語』からの能は「頼政(よりまさ)」「実盛(さねもり)」「景清(かげきよ)」「忠度(ただのり)」「敦盛(あつもり)」などがあ。これらは修羅物(しゅらもの)といわれ、死んで修羅道に堕ちた武士の霊が、救いを求めてこの世に出現するという演目である。その他、義経 がでてくる「屋島(八島)」なども世阿弥作である。

「清経」のあらすじは、平家一門とともに西国に渡った清経が入水し、家臣の淡津三郎(あわづのさぶろう)が京の屋敷で一人待つ清経の妻に、形見の髪を届けにくる。妻は驚き悲しみ、遺髪を見ていると自分を残して命を絶ったことが恨めしく思われるので宇佐八幡に納めて欲しいと三郎に返してしまう。夜も更けて清経の霊が現れ、自分の形見の髪を手放したことを恨み、妻は妻でまた会えると約束したのにと恨む。清経は神にも見捨てられ絶望の末に決意した心情とそれまでの状況を語る。

最後に月に向かい笛を吹き今様を謡い、最後に念仏を十唱えて入水する。この場面の地謡が哀愁にみちている。

<人にはいはで岩代のまつ事ありや暁の、月にうそむくけしきにて舟の舳板(へいた)に立ちあがり、腰より横笛(ようじょう)抜き出だし、音もすみやか吹きならし今様を唄い朗詠し>

<西に傾く月みればいざや我もつれんと、南無阿弥陀仏弥陀如来、迎へさせ給へと、ただ一声(ひとこえ)を最期にて、舟よりかつぱと落ち汐の、底の水屑(みくず)と沈み行くうき身のはてぞ悲しき。>

この船上の笛を吹いてる清経の姿は、絵師・月岡芳年の『月百姿(つきひゃくし)』の中の「舵楼(だろう)の月」に描かれていると教えられたので調べると波静かで月に笛で語りかけているようである。また、経正の絵もあり「竹生島月」とあり、竹生島で琵琶をかなでている。

解説者によると、「舵楼の月」絵は、『平家物語』からでは無く能から発想したのではないかといわれていた。そう思える絵である。

入水後、修羅道に苦しむが最後に念仏を十唱えた功徳で成仏できるのであった。

数少ない能の鑑賞のなかで一番ゆったりと余裕をもって受け入れられ、一つ一つの動きや謡の内容・声・面の変化など楽しめた。それぞれ戦いによって追い詰められていく内面も修羅道で、それを能は様式美と面で普遍性を広げている。

「清経」は、男女の心情の相互理解の難しさもテーマとしているのだそうだが、動きとしてはその修羅場はないのでその点は深く感じなかった。

『平家物語』に誘われての新たな展開であった。

(国立能楽堂 12月公演)

解説・能楽あんない 『平家物語』から能へ 小林建二

狂言・大蔵流     「狐塚」 茂山千五郎・茂山正邦・茂山茂

能・宝生流       「清経」 當山孝道・水上優・高安勝久