しまなみ海道  四国旅(7)

四国には本州へ橋を渡って行くルートが三つある。鳴門から淡路島を通って明石へ。坂出から岡山へ。今治から尾道へ。今回は今治から来島海峡大橋、伯方・大島大橋、大三島橋を渡って大三島までで四国に引き返すコースである。須磨・明石に行った時、明石海峡大橋と淡路島が見えて感動したが瀬戸内海は本当に島が多い。景観から云うとどちらがよいか難しいところであるが、船の経路が道路の経路に変わってしまったのである。とにかくもしまなみ海道を楽しませてもらった。

大三島(おおみしま)で大山祇神社(おやまずみじんじゃ)の国宝館に鎧と刀が展示されているという。鎧と刀、興味が薄いが重盛や義経の奉納した刀があると聞けば見たい。重盛の螺鈿飾太刀(らでんかざりたち)は朝廷の重要な儀式につけた太刀で螺鈿飾りの鞘に収まっている。平家一門が栄えていた頃この太刀も輝いて人々の目に触れていたのだと思うと時間の流れにふっと戦慄を覚える。義経の奉納の刀は鞘から出されていてとても美しいカーブをしていた。今まで刀を見ても感じなかったが正式には刀のそり具合を何というのか、刀にも美しい形というものがあるのだと知った。

鎧にも一つ発見が。詳しく調べてはいないのだが、戦国時代大三島を守る戦いに勝利をもたらした鶴姫という女性がいて、この鶴姫が着用していた日本唯一の女性用鎧があった。女性用なので胸囲が広くウエストが細い鎧である。鶴姫の本があり心動かされたが買うのはやめておいた。

木曽義仲奉納、頼朝奉納、弁慶奉納などの品々もあり、神様も色々困られたこともあったであろう。皆、船でこの大三島に渡ってきたのである。私たちは鉄道や道路で考えるが、あの頃は海路と徒歩あるいは馬である。いや<汽笛一声新橋を>までそうなのである。それが陸路より近かったり、他所の土地の文化が伝わるルートが今と違っていたことを知らないと、どうして其処へ飛ぶのという事も出てくる。しまなみ海道で尾道まで行きたかった。