道後温泉  四国旅(6)

道後温泉は内子町内子座に文楽を観に来たとき、夏目漱石と正岡子規を中心に松山・道後温泉と回ったので懐かしい。今回は坊ちゃんの湯には浸らなかった。

宿の売店で小冊子<伊豫むかしむかし>を見つける。昔話である。題名は「鵺(ぬえ)」。平家物語にも出てくるが源頼政の鵺退治の話である。頼政は源氏をうらぎり平家にねがえったと人々にうとんじられる。それを悔しく思う頼政の母は、家臣の猪野早太を伴い伊豫の山奥に隠棲し頼政の武運を祈る。ある日、早太を供に矢竹の群生地でよい竹を見つけ弓矢の名人に頼み<水波(すいは)><兵波(ひょうは)>の二本の矢を作る。その矢に母の祈りを込めたので仕損じることはないから手柄を立てるようにと草太に託す。母はふたつの山の山頂にあるあぞが池の竜神に自分の命と引き換えに頼政の手柄を祈った。

京の都ではうしみつ刻(二時)になると黒い雲が御所を覆い不気味な鳴き声をあげ、それがもとで天子様はご病気になられた。平氏の面々は誰も退治できず、頼政に命が下った。頼政は母からの二本の矢で見事に化け物を退治した。頭は猿、体はたぬき、四本の足は虎、羽があり、しっぽは蛇という奇怪なものであった、鳴き声がぬえ(とらつぐみ)に似ていることから鵺と名がついた。天子様は頼政に名剣・獅子王を下された。その時、ほととぎすが高う鳴いて飛び立った。宇治の左大臣が「ほととぎす名をも雲居にあげるかな(ご所の上にほととぎすが鳴いて頼政の名をいっそうあげましたよ)」。頼政が下の句を「ゆみはり月のいるにまかせて(これも、ひとえに弓矢が良かったおかげです)」天子様は頼政が歌にもすぐれているので、土佐の国も合わせて下された。

伊豫のあぞが池は夜ごと池の中から黒い霧がわき、異形のものを包んで東に飛び、明け方近くもどって、池に消えていたが、ある日池がまっかになっていた。頼政の母は住まいの小屋で骨と皮になり、顔は微笑みをうかべ死んでいた。頼政は母が化け物退治に力添えしてくれたことがわかった。

それからどれくらいたったか、宇治の平等院で諸国行脚の僧が、夢枕に老武将が現れ、昔鵺を退治したが、それはわが母の化身であった。もったいなや母の恩。自分の罪に成仏できません。どうぞ菩提をとむろうて下され、と告げた。僧が目を覚まし土地の人に聞いてみると、鵺の話もここで頼政が腹を切ったのもまことの事だった。

母の子を思う心もあわれ、知らずに恩愛の母を討ち取り、いまだに暗闇をさまよう頼政の苦しみもさらにあわれ。僧は望みどおりねんごろに経を手向けた。

平家物語に関係する事が何かあるであろうと思ったら、民話のむかし話としてめぐり会った。

 

宇和町・大洲町散策  四国旅(5)

愛媛でふるさとの風景として内子町、大洲町、宇和町に力を入れているようである。内子町は内子座に文楽を観に行き、その時町並みを歩きしっかり江戸から明治にかけての町を楽しんだ。もしかするとその時から町歩きが好きになったのかもしれない。今回は内子町は入っていない。しかし、残念ながらツアーの悲しさで時間が限られ、心密かにもう一度来る事を誓う。

宇和町では、最初に入った「宇和民具館」がその並べ方・展示のし方が綺麗に整頓されていて感心した。この地に残る<五ツ鹿踊り>というのがあって一つだけが女鹿でその頭に赤い鳥居が飾られている。この赤い鳥居は、歌舞伎「夢市男伊達競」の七福神の弁財天の頭にもあり驚いたのであるが、何かいわれがあるのであろうか。

昭和48年まで栄座があり町民の娯楽の場であったらしい。栄座の模型もあり、そこに小さな幟もある。長谷川一夫一座、広澤虎造一座、高田浩吉劇団など。木で作られた上演看板には、市川右太衛門一座や片岡千恵蔵一座もある。演目は長谷川一夫さんが「鷺娘」「恋の勘太郎」、高田浩吉さんが「花嫁の発言」「天狗に拾われた男」「プレゼントアルバム」(歌も歌われたのであろう)、市川右太衛門さんが「旗本退屈男」とある。

シーボルトの娘さんの楠本イネさんが西洋医学を身につけるのもこの町である。シーボルトの弟子である二宮敬作がこの町で開業していたので、イネ13歳から18歳まで医業を手伝いつつ学んだのである。二宮敬作は同じシーボルトの門弟である高野長英をかくまったこともあり、この町は「花心」「長英逃亡」「おらんだおイネ」「ふぉん・しいほるとの娘」など歴史小説の舞台にもなっている。

山田屋まんじゅう本店もあった。突然の出現。

大洲町でのもう一つ突然の出現は「おはなはん」。テレビ小説「おはなはん」のロケ地でおはなはん通りがある。大洲で見学したのは「臥龍山荘」のみ。そこ一つで時間を取られてしまった。臥龍院、知止庵、不老庵の三建築からなり桂離宮、修学院離宮などを参考に選り抜きの名工たちによって10年かけて作られている。熱心な説明でまだ話たりなさそうであった。何も聞かずにぼーっとしているか、説明を聞いた後でぼーっとしている時間があるのがベストであるが、それは望めない。

来なければこんな町があるのも気がつかないわけで、もう一度ゆっくり歩きたい町としておく。