無名塾 秘演 『授業』 

仲代達矢役者生活60年記念。

昨年の暮れに80歳になられたそうだから19歳で俳優座養成所に入所した時出発地点とされている。そして80歳にして不条理劇『授業』に挑戦される。カーテンコールで、「今まで辻褄の合う劇をやてきましたが今回は辻褄の合わない劇です」と。

1時間10分程の公演だが膨大な台詞の量である。後半は生徒と関係の無い授業へと突入するので一人芝居になってゆく。場所は仲代劇堂での公演で50席程であるから老教授・仲代達矢の授業を観客も女生徒と一緒に受けることになる。

謎めいたメイドが、いやいや時々謎めいた事を老教授に告げにやってくる。女生徒は楽しげに授業を受ける始める。足し算はできる。ここまでの授業は楽しい。女生徒も目を輝かせたりし老教授も上手に褒めたりする。引き算に入るとこれがつまずくのである。観終わってから思うに、女生徒が引き算を理解しない事が女生徒にとって辻褄のあっていることなのである。例えとして「君の耳は二つある。その一つを私が食べたら残りは幾つ」女生徒は「二つ」と答える。「どうして」。女生徒は両方の耳を手で触り「だって二つあるでしょ」と答える。女生徒にとっては、数の論理より自分の肉体の欠ける事など受け入れられない。学問というものを拒否しつつある。

老教授にとって彼女に対する授業はあくまで学問でなければならない。老教授は道具を使い説明し始める。それでも埒があかないので言語学へ進む。メイドが言語学は止めたほうがよいと伝えに来る。老教授は大丈夫だと主張し、メイドは警告しましたからねと伝え部屋を出る。

時には老教授の授業に満足げだった女生徒は授業に付いて行けず「歯が痛い」と訴える。身体的痛みでしか老教授に訴えることが出来なくなっている。老教授はその訴えを退けその女生徒の存在すら認めなくなっていく。この辺りの難しい言語にまつわる台詞の多さ、だんだんと自分の中にいる出来のよい女生徒と授業をしているようである。そして手に持った見えない道具・ナイフが道具としての役割を果たしてしまう。

メイドは老教授を子どものように扱い、老教授もメイドに全てを任せる。メイドは老教授をコントロールしているようにも見える。このるつぼから老教授を救おうともしない。その方がメイドと老教授の関係は上手く保たれていくわけである。

と、観て今回はそう辻褄を合わせたような合わないような。そう思って再度観るとすれば見事に裏切られるか違う見方も出来るのか。何かによって引き裂かれるものと、保つものがある。その組み合わせは実のところ不条理劇よりも現実の方がもっと意外性に満ちているのでは。そう、不条理劇を観ていると安心している観客のほうがもっと不条理かも。貴方にはどの役が当たるかわかりませんよ。

仲代さんの60年間の演技のしぐさ・間・台詞の抑揚・体の動きを堪能出来る。不条理ゆえにこう運ばなくてはいけないという制約もないことになる。観るほうも不条理劇だから解からないだろうから役者さんの台詞の音と流れとを楽しみましょうでもいいわけでその豊富な技術を身に付けた役者さんであるからその場を楽しむ劇として成り立たない不条理も楽しむことが出来る。

さらに「仲代達矢が語る 日本映画黄金時代」(春日太一著)を帰りに購入し仲代さんを通しての映画人たちの姿を楽しむことも出来てしまうというおまけも頂いた。

一番最初に読んだ項目。<大河ドラマ『新・平家物語』>。出るきっかけは、近所の人にお母さんが、<お宅の息子さん最近出てこないわね。もう落ちぶれたんだね。>といわれ、テレビに出て欲しいと頼まれ、親孝行のつもりがきっかけだそうだ。そんな感じで、あれっと思う間に大物監督さん、大物俳優さんの話がどんどん進む。60年をこうもさらり語れる格好良さ。今までもこれからも敵はやはり台詞なんでしょうか。それを何とかなだめたり組み伏せたりの戦いはまだもうしばらく続けて下さり観客を楽しませてくれる事でしょう。