映画『君が踊る、夏』 四国旅(1)

四国を旅し、高知の風景を描いている映画「君が踊る、夏」がある事を知り、旅から帰ってすぐDVDを借りて観る。高知市内、四万十川、茶畑、桂浜などがすべて網羅されていた。

「君が踊る、夏」は小児ガンと闘いつつよさこいを踊る少女の実話を元に映画化したものである。主人公は写真家になる夢があり高校を卒業すると、恋人と共に東京に出る約束をしているが、彼女は高知に残る。彼女の妹が小児ガンを発症してしまうのである。主人公はその事を知らず、彼女に振られたと思って一人上京する。病気の少女には夢がある。少女の王子様とよさこいを踊ることである。その王子様は主人公の若者である。主人公は母の病気で高知に帰って来る。そこで少女の病気の事を知る。少女の姉でもある恋人が、妹の命を縮めるかもしれないがよさこいを踊らせたいと行動し始め、主人公も動き出す。かつての仲間たちの協力も得て少女の夢は現実となる。結果的には主人公の夢である新人写真家としての登竜門である写真コンクール入賞を捨てる事となるが、主人公は郷里の高知に自分の写真のテーマを見つけるのである。

高知の街と自然をふんだんに使い、よさこいの踊りの躍動感もたっぷりに感動的な映画となっている。少女のよさこいを踊る表情が愛くるしい。出てくる場面場面が旅で観てきた場所なのでドラマと同時に追体験し、単なる観光ではない色彩の程好い人の係わる風景となった。

主人公と彼女は高校時代<一生懸命>の名のよさこいチームで踊っていた。土佐弁で<一生懸命>は<いちむじん>というのだそうである。その世話役が旅館の女将・高島礼子さんで、あねさん役を優しく柔らかい雰囲気にしながら貫禄があり、若者たちの軽さを引き締めている。

古い映画を観るのが好きなので今の若い俳優さんはよく解からないが、主人公の若者は「麒麟の翼」で加賀刑事・阿部寛さんとコンビの松宮刑事・溝端淳平さんであった。

旅では高知市内はほんのわずかしか見ていない。追手門と天守閣が一枚の写真に納まる数少ないお城の一つ高知城も地味なライトアップの外観を見ただけであり、はりまや橋もバスの中から見ただけである。がっくり三大名所は札幌の時計台と長崎のオランダ坂と高知のはりまや橋だそうである。~土佐の高知のはりまや橋で  坊さんかんざし買うを見た~ よさこい節にもあるこの歌のようにはりまや橋のそばのお店で主人公は彼女にかんざしをかって欲しいと言われるがお金がなくて買えない。5年後にはプレゼントするのだが。この辺りは歌と名所と二人の行動を上手く使っている。そういえば『お嬢さん乾杯』で圭三が池田家で歌うのもよさこい節であった。

高知城の近くにひろめ市場があり、覗くと小さなお店が様々な食べ物を提供している。藁で焼いた鰹のたたきで飲むことができた。楽しい市場であった。映画にもこの市場はでていた。高知の観光キャッチフレーズは<ローマの休日>ならぬ<リョーマの休日>である。

 

 

 

映画館「銀座シネパトス」有終の美 (1) 「東京の暴れん坊」「銀座旋風児」

銀座三原橋下の映画館「銀座シネパトス」が3月31日の閉館に向けて走りはじめている。

歌舞伎座の近くで、新しい歌舞伎座は全貌を現している。一幕見席も残るようで一安心と思っていたのに開場を前に何と多くの別れが押し寄せてきたことか。

「銀座シネパトス」との別れも近づいている。ただこの場合は別れの時間が設定されている。心に残る沢山の映画に遭遇させてもらった。

最後は銀座を舞台にした映画を、そして「銀幕の銀座」の著者・川本三郎さんを呼んで欲しいと希望を出したところ、映画館のスタッフと考えが一致したのか、あるいはその企画が元々あったのか希望が叶った。『~ 映画でよみがえる昭和 ~ 銀幕の銀座 懐かしの銀座とスターたち』 嬉しいような淋しいような。後戻りはないから様々に味わい別れを迎える事とする。

川本三郎さんは17日、和泉雅子さんとのトークショーに出られる。和泉さんは銀座生まれで、住まいが銀座と北海道にあり、行ったり来たりされてるようなので、どんな銀座の話が出てくるのであろうか。和泉さんは歌舞伎はどうだったのであろうか。トークショーは指定席でチケットぴあ等で前売り販売しているらしい。同時上映「二人の銀座」「東京は恋する」である。

先ずは「東京の暴れん坊」と「銀座旋風児」を観て来た。1960年と1959年の銀座である。当時日活は青春映画が多く作られたので、調布の日活撮影所には「銀座の永久(パーマネント)オープン」と呼ばれるセットが作られていたそうで自動車も入れるくらいだから大きい(「銀幕の銀座」)。映画を観て本当に大きいセットだったと思う。

日活映画100年・日本映画100年 で東京国立近代美術館フィルムセンターの展示室の事を書いたがこの「銀座永久オープンセット」の模型があった事は書かなかったようで、あの模型がこのように使われたのかと実物大がわかった。このセットと実写の組み合わせが上手くつながっている。「東京の暴れん坊」の方は観ていなかったのでこちらの方が楽しめた。どちらも小林旭さんと浅丘ルリ子さんのコンビだが、「東京の暴れん坊」の方が浅丘さんが生き生きとしていて、台詞も旭さんさんより上手い。

「東京の暴れん坊」は、今は無きお風呂屋さん「松の湯」でロケしていて、「松の湯」の内部の鏡などレトロで錆びが見えたりしてセットでは味わえない楽しさがある。でもセットのレストランの改修工事の場面で左官の職人をじっと見ていたらきちんと壁ぬりをしていた。こういう場面は美術のスタッフがでるのであろうか。話の内容は単純であるから筋と関係無いところにも目がいってしまうが、娯楽映画の楽しさの一つでもある。浅丘さんの衣裳も素敵で可愛らしく、これも森英恵さんのデザインかなと思ったりする。森さんはこの頃映画の衣裳を沢山担当していた。ウエストが細いから、あの動くとふわふわゆれるフレアースカートがキュートである。

「銀座旋風児」での殺人現場三吉橋はすでに現場検証済み。三股に別れた橋で中央区役所前にある橋である。「女が階段を上る時」「セクシー地帯」にも出てくるらしい。「女が階段を上る時」は観ているが場面が思い出せない。それから、今も銀座に残る銭湯「金春湯」には実地体験してきた。

映画は下町の風とモダンの風が漂う時代である。それにしても服部時計店(和光)は映画に登場する回数は建物として王者ではなかろうか。政界ものは国会であろうが、銀座の映画の代名詞はあの時計かもしれない。

「東京の暴れん坊」の監督は斉藤武一、助監督が神代辰巳。「銀座旋風児」の監督は野口博志、助監督は「東京は恋する」の監督・柳瀬観である。

追記: 『銀座同窓会』(高田文夫編著)の中で高田文夫さんと大瀧詠一さんが対談しています。大瀧さんは<あぁマイトガイ!>と小林旭さんの映画を熱く語ります。ところが驚いたことに大瀧さんが成瀬巳喜男監督の映画が好きであるということを後に知りました。

十二代目の大きさ

十二代目市川團十郎さんが亡くなられた。大病を抱えて舞台に立ち続けられた。この病気については友人の家族を通じ目にしており、本人と家族の闘病の姿を知っているので、團十郎さんの舞台姿に喜び、休演に心配し、ご本人がどんなに不安と気力の狭間におられることだろうかと想像していた。舞台は道具の移動などでホコリなども多く、荒事の重い衣裳と動きで体力を消耗されるだろうによく頑張られると敬服していた。

ご自分の芸についても、病気についてもあまり深くは語られなかった。いつも穏やかにご自分の役目を熟知されているような大きさと温かみがあった。ここ数年ご自分の芸についても語られはじめ、代々続いてきたご自分の位置を踏みしめられておられるように見えた。

若くして十一代目との別れがあり、想像もつかないような鍛錬をされてこられたであろう。それを力で他の方に強要するようなことはなっかた方に思える。

荒事に身を投じられ、細やかな心理を表現する役者さんではなかったが、その事を自分に封印していたようにも思える。平成21年に国立劇場での『歌舞伎十八番の内 象引』は今までにみられない鷹揚さがあり愛嬌があり力を抜いて楽しまれている様子があり驚き、何か今までにないオーラを発していた。

あちらから成田屋の<にらみ>を発し、歌舞伎と十二代目と同じ病気で頑張られている方々に成田屋光線を届けて下さる事でしょう。

お疲れ様でした。感謝。

 

 

国立劇場 『西行が猫・頼豪が鼠  夢市男伊達競』 (3)

雪ノ下にある市郎兵衛宅。北條家の伝内(團蔵)と伴六(亀蔵)が訪ねてき、痛めつけられた返礼として市郎兵衛を打ち据える。市郎兵衛は大江家に災いせぬ様にと我慢する。伝内は帰り際、白金の猫の置物を見つけたのでこれから鎌倉に持参すると小脇に箱を抱えている。市郎兵衛は大江広元がその役を担ったので何とか手に入れたい。その父の思いを知っている息子の市松(藤間大河)がその箱を奪おうとして箱を落としてしまい中の猫の置物を壊してしまう。大変な失態で市郎兵衛は自分の手で市松を差し出すと明言する。実はこれは偽物で明石がそれを知らせてくれる。市郎兵衛は大磯に本物があるらしいとの情報から、女房のおすま(時蔵)の妹・薄雲(時蔵)のつとめる廓・三浦屋へ向かう。侠客・夢の市郎兵衛一家の一体感を市松を中心に上手くまとまった。市郎兵衛の子分、権十郎さんと亀寿さんも無理の無い任侠ぶりを体で示す。侠客の子分はその雰囲気を出すのが難しい。若いと形にならず襟を直したりと手の持ち場に困ったりしそれを見ている観客も困ってしまう事が多い。

ここで七福神の踊りがある。日本橋の七福神と思っていたがここで先にお会いしてしまった。毘沙門天の松緑さんの手と指の形の美しさに驚いた。仏像の美しい手を感じた。毘沙門天と弁財天(時蔵)は義仲と巴御前に変身して踊る。これが岩佐又兵衛の絵を見ているようであった。

薄墨は大の猫好きで愛猫の玉を亡くし供養に出かけていた。そこへ虚無僧の深見十三郎(松緑)が現れお互いに魅かれる。十三郎は猫が苦手のようで薄墨は猫に関係する物は全て片付ける。新造胡蝶(菊之助)はどうも十三郎が信用できない。その辺りの探りあいも丁寧である。胡蝶は十三郎の後を追う。十三郎は義仲であった。巴に似ている薄墨に近づいたのである。廓の世界も役者さんの為所がよくその空気を漂わせているので荒唐無稽の話でも楽しめる。

三浦屋の台所で胡蝶と鼠の妖術を身に付けた義仲の戦いとなる。これがアニメの世界である。胡蝶はその様子からして猫の精だなと解かるので違和感無くアニメの世界へ突入である。台所用品が大きくて胡蝶が小さいのである。猫になってしまったのである。猫と鼠の戦いである。胡蝶が二本の長い棒をあやつる。次に短いのに。棒を平行に持ったりするのでこれは太鼓の撥のような働きをするなとピンときた。やはり色々な物を叩き音楽性もだした。猫と鼠だから身も軽い。しかし、胡蝶は義仲に負け深手をおう。

胡蝶は玉の化身で薄墨を助け、さらに白銀の猫の置物も携えていた。胡蝶は置物を市郎兵衛に渡し薄墨に見取られ息をひきとる。

義仲は市郎兵衛の持つ白銀の猫の置物を突きつけられ消えてしまう。病の治った頼朝(左團次)、頼家(萬太郎)、大江広元(松緑)が現れる。ここで客席に笑いが。頼朝を苦しめていた頼豪の亡霊と頼朝が左團次さんの二役なのであるからまことしやかな頼朝が可笑しい。仕組まれたのかも。広元は市郎兵衛の褒美として家の再興を願い出るが、市郎兵衛は町人の暮らしが善いとして、男伊達を貫くのである。<夢市男伊達競>

3日の夜中・4日の早朝 1時からこの芝居がNHKBSプレミアムで放送される。亀治郎の会さよなら公演も同時放送である。舞台の全体像が見れるので楽しみである。

 

国立劇場 『西行が猫・頼豪が鼠  夢市男伊達競』 (2)

原作は河竹黙阿弥の『櫓太鼓鳴音吉原(やぐらだいこおともよしわら)』である。先月は黙阿弥没後百二十年の祥月でありそれに因んで黙阿弥の埋もれた作品を取り上げたようである。題名から想像するに、相撲と吉原を舞台とした芝居と思える。

原作をかなり変えているようであるが、一言で云えば入り組んだ筋でありながら解かりやすく、楽しく、役者さんたちの動きも為所も役に合い、物語りの中であれこれ遊べて堪能できた。

源頼朝の執権北條時政と執権大江広元の争いに、頼朝に討たれた木曽義仲が頼朝を恨み、その恨みに自分の恨みを重ねた頼豪阿闍梨(らいごうあじゃり)の亡霊が義仲と合体して鼠の妖術を使い頼朝を苦しめる。この二人の執権の争いと頼朝と義仲・頼豪の亡霊の争いを複線に侠客の夢の市郎兵衛が活躍する筋立てである。頼豪は平家物語にも出て来てこの人の恨みはあとで説明する。

頼朝が鎌倉市中に現れる大鼠の影に気を病み、その退治祈願のため頼朝上覧の相撲を開催する。この頃、相撲は神事の役も担う事があったわけである。北條方のお抱え力士が仁王仁太夫(松緑)で、大江方のお抱え力士が明石志賀之助(菊之助)である。明石の花道からの出が美しい。着物は地味に押さえ色白で大きく見える。明らかに松緑さんの方は敵役である。その前に團蔵さんが北條方として憎々しく演じてくれているし、大江方の梅枝さんがいつもの女形ではなく、なかなかしっかりすっきりした立役で楽しませてくれているので、どちらが善か悪かがはっきりしている。明石の弟子・朝霧の亀三郎さんが愛嬌があり明石に明るさを添えている。この場で仁王と明石の睨み合いとなるがそこへ仲裁に入るのが行司の田之助さん。今回前方の席だったので、田之助さんの為所が無いようで居て息を詰めたり遠くからは解からぬ為所のある事を見せてもらった。

明石と仁王の取り組みは明石の勝ちとなり、明石は<日下開山(ひのもとかいざん)>今で言う横綱の称号をもらう。負けた北條は、明石を待ち構え襲撃(亀蔵)しようとするがそこへ明石の義兄の市郎兵衛(菊五郎)が現れ痛めつける。明石の黒の羽織の背中には白で右に[日下開山]左に[明石志賀之助]と名前が入り、市郎兵衛の衣裳と並んで派手であるが初芝居に相応しい。

頼豪は「平家物語」では三の巻きに出てくる。白河天皇は、ご寵愛の中宮賢子(けんし)の皇子誕生を望み、三井寺の頼豪阿闍梨に祈祷を頼み願い叶えば望みの褒美をとらせると約束する。望み通り皇子が誕生し、頼豪は三井寺に戒壇建立を願い出るが比叡山がそれを認めないであろうから世の乱れとなるとして白河天皇は聞き入れなかった。頼豪は無念と自分が祈って誕生させた皇子だから連れてゆくと言い残し断食し死んでしまう。この皇子は四歳で亡くなられた敦文親王である。「平家物語」では木曽義仲も善くは書かれていない。義経との比較もあるのか木曽の山の中で育ったということもあるのか頼朝に人質として息子をあずけ前線で戦いつつ京の罠にはまってしまった感がある。

歌舞伎では頼豪は願いを妨げた延暦寺を恨み鼠に化けて延暦寺の経文を食い破るがなお恨みが消えず、義仲を助け義仲と合体するのである。義仲は鼠の妖術を使い頼朝への復讐と天下取りを狙う。芝居では頼豪は左團次さん、義仲は松緑さん。

<頼豪が鼠>に対し<西行が猫>とは。西行は頼朝から褒美として白金の猫の置物を賜るが、西行はそれを見知らぬ子供に与えてしまう。この白金の猫の置物こそ妖術の鼠を退治する力を所持していたのである。元大江の家臣であった市郎兵衛は、大江家のため白金の猫置物を密かに捜す手伝いをする。