東慶寺から城ケ島へ (1)

迎春と思って居たら、もう七草である。今年はプチ旅からの出発である。

昨年は何から始めたのであろうと振り返ったところ腕に抱え込んだ継続 (小村雪岱)であった。『平家物語』『日本橋』『「日本橋檜物町』と繋がっていたようである。今回のプチ旅の<東慶寺>も本に関係する。そしてそれは、歌舞伎座新春歌舞伎の新作演目として『東慶寺花だより』が登場したからであり、原作が井上ひさしさんの『東慶寺花だより』なのである。その前に古本屋で鎌倉の旅の本を購入したところ、三浦半島が載っていた。持ち合わせの鎌倉の本には三浦半島は載っていない。最後の案内が城ケ島である。<奇岩と波と島 白秋の詩が聴こえる 絶景の隣には漁港>地図を見ているだけで次はここと決めている。城ケ島に行く前に<東慶寺>と<浄智寺>に寄ろう。

北鎌倉8時半着である。<東慶寺>は8時半開門である。北鎌倉なら円覚寺、東慶寺、浄智寺、明月院、建長寺、そこから鶴岡八幡宮であろうか。あとは健脚次第だが、今回は楽勝である。時間も早いため人もまばらである。北鎌倉駅から東慶寺が近づくと、離縁のために東慶寺に駆け込む女性達を世話した宿がこの辺にあったのであろうかと想像たくましくなる。お寺の前は鎌倉街道。この辺りは山ノ内と言われ山ノ内街道ともいわれる。テレビで新春東西の歌舞伎が紹介され『東慶寺花だより』の中継もあったが、録画してまだ見ていない。芝居の方の観劇は千穐楽に近い日にちになる。それが終わってから録画を見ることにする。

<東慶寺>の歴史に関しては興味深いことが沢山あるが説明は省く。お寺にも『東慶寺歴史散歩』の小冊子が置いてあり購入した。「会津四十万石改易事件」などという項目があったのである。その冊子の最後に詳しくお読みになりたい方は有隣新書『東慶寺と駆込女』をお求めくださいとある。井上ひさしさんの『東慶寺花だより』(文春文庫)にも「特別収録 東慶寺とは何だったのか」があり、解り易く解説されている。

東慶寺に小さくて可愛らしい観音菩薩がある。<水月観音菩薩遊戯座像>である。いつも拝観できるわけではない。予約が必要である。10年ほど前、上野の国立博物館で『鎌倉ー禅の源流』展がありその時お逢いしている。今年は2月4日~4月13日まで東慶寺で公開のようである。(再確認されたし)東慶寺でお逢いしたいのでまた訪れねばならない。花としては蝋梅がまだですがせっかくですから少しだけと奥ゆかしく咲いていた。岩壁にイワタバコと書かれていたが岩肌に群生する花の名前のようである。これも見てみたい。いつ頃咲くのであろうか。本堂の屋根の線が美しい。松ヶ岡宝蔵は時間が早く開いていないので次の機会とする。

今回は周囲の雰囲気を想像したかったので次の、浄智寺へ。山門への石段の感じがいい。石段の薄さ、ゆるくデコボコしているのが優しい。大正12年の震災で破損し昭和の初期に復元された南北期の観世音菩薩が裏の方にひっそりと佇ずまれているのが印象的である。古くて大きな高野槇がありやぐらも多く、トンネルの先のやぐらの中の布袋尊がユーモアがあり福がきそうである。お腹をなでると元気がもらえるそうで、もちろん元気をもらってきた。鎌倉・江の島の七福神の一つである。浄智寺の横の出口を抜け山に向かっていくと少し竹林があり、道が細くなり登り道となる。源氏山公園に続く道である。こちら方面に錢洗弁財天、佐助稲荷神社がありそこから大仏坂を下って行くと大仏の高徳院そして長谷寺へと続くのである。長谷方面からこの道で東慶寺へ入る女人もいたのである。寿福寺から長谷まで裏大仏の道を歩いたことがあるので、その辺りのことが小説『東慶寺花だより』に出てくると様子が浮かんでくる。東海道の宿場の名前が出てきたりすると嬉しくなり読んでいてとても楽しかった。

山道は途中で引き返し北鎌倉駅に向かい久里浜を目指す。反対に駅からこちらに向かう人の多さに驚く。早い出だしで正解であった。