歌舞伎座(平成26年)新春大歌舞伎 夜の部(1) 

『仮名手本忠臣蔵 九段目 山科閑居』はとにかく大作である。どこを切っても絵になっている。それぞれの人物の絡み合いが見事に構成されている。ずうっと気を張りつめている時間も長く、腹を見据える型もある加古川本蔵の女房・戸無瀬を、藤十郎さんが、お歳のことを言っては失礼だが濃厚に演じられ感服してしまう。今回は大星由良之助を吉右衛門さん、由良之助の妻お石を魁春さん、力弥を梅玉さん、加古川本蔵の娘小浪を扇雀さん、加古川本蔵を幸四郎さんと練熟された方々のぶつかり合いである。

山科にある由良之助の住まいの舞台は、その室内の壁の色は濃くてくすんだ松葉色、唐紙には白の漢文字で、家の周囲の竹藪には雪、竹の笹の雪具合もこれから人の生き死にがかかっているとは想像できない静けさである。この場で戸無瀬の赤と小浪の白の着物が配置されるのであるから計算づくであろうか。

戸無瀬は先妻の娘・小浪を力弥と祝言させるため山科の由良之助宅を訪れる。生さぬ仲ゆえこの祝言をなんとか成し遂げたいとの腹である。本蔵の代わりに夫の刀大小を持参している。小浪は綿帽子をかぶり白無垢の花嫁衣装である。お石は、こちらは浪人の身、そちらとは釣り合わないと断る。ここが戸無瀬とお石のさや当てである。戸無瀬はもとはそちらは千五百石、こちら五百、千違って許嫁となり、浪人しても五百の違いと言い返す。お石、心と心が釣り合わないと返答。何処かで使いたいくらいな言葉である。戸無瀬、どの心じゃ。ここでお石は、主君塩冶判官は正直さゆえこうなったが、そちらは金品を使ってのへつらい。戸無瀬、聞き捨てならないがここで怒っては娘のためにならぬと、祝言しょうとしまいと許嫁なんだからりっぱに力弥の嫁。お石、女房なら、力弥に変って母が去らせるとその場を去る。母同士で結婚させ離縁してしまう。小浪はびっくりして綿帽子を取り払い嘆く。戸無瀬とお石、藤十郎さんと魁春さんのぶつかり合いである。

ここからが戸無瀬と小浪のやり取りとなる。戸無瀬は娘の心の内をはかる。他に嫁する気はないか。小浪、力弥様以外いやである。この時、綿帽子を使いつつくどくのであるが、扇雀さんの使い方がいい。柔らかくそれでいて一心である。小浪の意思を確認した戸無瀬は持参の刀を手にし自分の不首尾の責任から自害しようとする。小浪は、自分が力弥に見放されたのだから母の手にかかって死にたいと訴える。母はそこまでいう娘に感嘆し、娘を手にしたあと自分も後を追うと二人手を取り合う。ここで二人は実の母娘になったのである。そう解釈した。

藤十郎さんの娘を手にかけるために刀を使っての腹を決める立ち姿はこちらを圧倒させる。ここが大きいだけに次の心の揺れに戸惑う戸無瀬の心中も推察できる。死出の水を氷の張った手水鉢から氷を割るのであるが、氷が飛び散りこの場面も好きである。戸外では虚無僧が尺八を吹く。この曲は<鶴の巣籠り>で子を思う親鳥を思う曲で、子を手にかける親とをかぶせているようであるが深くは分らない。今回はこの尺八の音色をずっととらえていることが出来た。聞いているようで場面に目を奪われ耳は何もとらえていないことが多いものである。こんなぼあ~んとした音もあったのかと気が付いた。いざ手をかけようとすると「ご無用」の声がする。戸無瀬の手がにぶる。ここも戸無瀬の見せ場である。自分の気の迷いと自分を立て直す。再び「ご無用」の声、さらに力弥と祝言させるとのお石の声。喜び打掛を間違える母娘の前に三方を持ったお石が現れ二人の心構えを見届け祝言させるという。黒の着物に打掛。魁春さんのお石は一層凛としての登場である。ここまでの死をかけた母娘の姿を見れば当然かと思いきや、まだ山がある。

三方に引き出物をというので、戸無瀬は大小二本の刀を差し出す。名刀である。お石、これではない、加古川本蔵のお首が欲しい。ここで、本蔵が塩冶判官を抱き押さえ本望を遂げられなかった恨みを述べ、それゆえ首が欲しいと強調する。そこへ、戸外にいた虚無僧が加古川本蔵の首差し上げると入ってくる。虚無僧こそ加古川本蔵であった。堂々として、この首が欲しいというが、お宅のご主人は何たる様か、遊興にふけり主君の仇討をしようともしない。その息子力弥にこの首が討てるかと三方を踏みつけてしまう。壊してしまったとほくそ笑む本蔵にお石は押さえが切れて槍を取り本蔵に立ち向かうが歯が立たない。そこへ力弥が飛び出してきて落ちている槍を持ち本蔵を刺す。その時本蔵は、その槍を仕損じないように自分の腹に刺し込む。覚悟の上の悪口雑言であった。幸四郎さんあくまでも大きく軽くいなす感じでけしかける。それに乗って魁春さんは戸無瀬とのやり取りとは反対に本蔵とのやり取りで初めてうろたえてしまう。力弥が止めを刺そうとするそこへ、由良之助が登場し、一座を静め、本蔵殿本望であろうと声をかける。

本蔵ここで心の内を知る人物があらわれ、自分の主君・桃井若狭之助が高師直に苛められ師直を切る覚悟と知って、賄賂を使い急場を救わんとしたが、その矛先が今度は塩冶判官に向き、差し押さえたのも相手の傷が浅ければ切腹にはいたらないと考えたからであると語る。本蔵にとっての忠儀は他家の難儀となったのである。ここで初めて死をかけての本蔵という人の実像が明らかになるのである。本蔵の首は三方に乗る形となった。

ここで由良之助は力弥に襖を開けさせ、庭に雪をかぶった二つの五輪。由良之助と力弥の行く末を見せる。戸無瀬は気が付く。お石どのが難題を突き付けたのは死にゆく力弥の嫁にはもらえないとの心づもり。二人の母は涙する。そこで本蔵、引き出物として、師直の屋敷の図面を渡す。由良之助と力弥は図面を推考しつつ嬉し笑みを浮かべる。吉右衛門さんにまだ成さねばならぬ事がある気迫と思慮深さがある。自分の役目を終わろうとする幸四郎さんは、苦しさの中から最後の心使いで、師直は用心深いから障子、雨戸はしっかり止めてあるがどうするかと心配する。そこで力弥が竹のしなりを利用して障子を倒していく様を見せる。いつも不思議である。梅玉さんの力弥は若者である。首の傾げ方、足の運び、手の置き方など点検してしまう。芸の力である。

本蔵は、これだけの家来が主人の短慮から命を捨てる無念さをつぶやく。由良之助もお互い、世が世であれば主人の先に立って働いたものをと慨嘆する。言葉は少ないが、本蔵と由良之助の男同士の本心である。由良之助は本蔵の虚無僧姿で、堺へと立ち、力弥は一夜残り後から出立することとなる。戸無瀬、お石、小浪の女三人はいずれは同じ夫の無い身となるのである。

今回は文楽の床本があったのでそれをなぞりつつ、役者さんたちの動きを思い出していたが、ここはどう表現したのであろうかと自分の中の映像のぼやけに歯ぎしりするが、一応役者さんたちの現された人物像のぶつかり合いは残ったように思う。何処を切っても絵になるのである。

友 遠方より来たる (番外編)

友人が旅の記録を一枚にしてくれると期待していたら、葉書一枚にして早々配達される。お見事である。いつの間にか行った場所のピンナップを撮っていてくれていて、人物は飲み会で、お店の人に撮ってもらっただけである。朝倉彫塑館の門柱のブルーの名前の彫がいいねと言われ頷いたが、それも建物の横に配置している。写真のために立ち止まらせることもなく意識させることもなく旅の最高の写真家であり編集者である。

大円寺に笠森お仙の碑があったが、笠森稲荷境内の茶店鍵屋というのは、本当は、天王寺の塔頭福泉寺(現功徳林寺)にあったもので、どうも後の人が大円寺の瘡守(かさもり)稲荷と混同したという説もある。

私の間違いで築地塀のあるお寺を長安寺と書いたが、観音寺であった。

初めて谷中を訪れたのは、団子坂に住んで居たことのある友人の案内であった。その時日暮里駅から御成坂を上がった右手の最初のお寺・本行寺で彰義隊が立てこもったため門に銃弾の跡があると教えられたつもりで確かめたが無かったので違う場所だったかと思いきや、調べたら隣の経王寺であった。今回近くを通りながら、上野の山の戦いの歴史の傷跡ととして見せられなかったのが残念である。その初めての時一緒に高村光太郎と智恵子の住んで居た住居跡も探してもらたのだが見つからなかったが、今は地図に載っているので今度突き止めたいと思う。

朝倉彫塑館を左手にまっすぐ進むとお寺の町のイメージが味わえるであろう。川口松太郎さんの「愛染かつら」のヒントとなった自性院もあるが、ただ、愛染明王は非公開で桂の木もないので行ったが印象うすいお寺である。

桜の時期は谷中霊園が、ツツジの時期は根津神社と忘れ物を探すように町歩きを楽しめる谷・根・千である。

その後、友人が『上野谷中殺人事件』(内田康夫著)を読み<谷根千>の意味が分ったと知らせてきた。こちらが分かっていても共通語になるには時間を要することもあるようである。