水木洋子展講演会(恩地日出夫・星埜恵子) (1)

市川市文学ミュージアムで『水木洋子展』を開催しているが(~3月2日)、その関連イベントで講演会があった。「「砧」撮影所とぼくの青春」(恩地日出夫・映画監督)、「温故創新ーつながる『浮雲』のセット」(星埜恵子・美術監督)。失礼ながら、恩地日出夫監督の名前は知っているが、配られた略歴を見ても恩地監督の映画もドラマも見ていないのである。ただ、『四万十川』に関してはビデオに録画し途中まで見てその後、他のビデオとともに処分してしまっている。四国に旅し(四万十川 四国旅(3))残念と思ったが、ここで再び残念と言うしかない。

今回、東宝の映画関係者だけのために作制した映像も見せてもらうことができ、監督の言葉ではないが、お得であった。関係者のみの映像という事で、使われた映像も音源も無料で使わせてもらったそうである。立川志の輔さんが、忠臣蔵の説明の時(立川志の輔 『中村仲蔵』)浮世絵を使われたが、勝手に使っているんではありません。きちんとお金を払っています。と言われていたのを思い出す。右下に<国立国会図書館所蔵>とあった。

「「砧」撮影所と僕の青春」は恩地監督の出された本の題名でもあり、本を読んだ方は本と同じ内容ですと話される。「砧」は地名で、大船、蒲田、向島、多摩、太秦(14日テレビで映画『太秦ライムライト』が放映された。現在の東映太秦映画村を使い、時代劇の切られ役を主人公にした視点が面白い)などその他にも地名が入る撮影所が多い。

監督は東宝に助監督として入社してからの見習いから助監督までの可笑しくも楽しい話をされた。成瀬己喜男監督、谷口千吉監督等とのエピソード、堀川弘通監督が師匠だが、岡本喜八監督が助監督チーフできびしかったが、岡本さんに育てられたところが大きい。カチンコは恰好よくやれ。ラブシーンも切り合いも、カチンコによって乗りが違うのだ。谷口監督からは黒澤監督との『馬』で黒澤監督が宿に帰ればいつもシナリオを書いていたといつも同じ話をきかされ、岡本さんもシナリオを書けといい、書いて映画関係の本に載ると、いつも批評を書いて渡してくれた。その岡本監督の批評のメモを持参されていて、読んでくれた。そのお陰で監督になるのも速かったと話しつつ、恩地監督の皮肉なユーモアが入るので監督たちのことが生き生きと浮かびあがる。岡本監督の『肉弾』の原稿を印刷所に持って行き発表したのは恩地監督である。

水木洋子さんの関連では、『裸の大将』の監督が堀川弘通監督であり、恩地さんもついていて、山下清さん担当だったので、山下清さん独特の感性についてのエピソードを三点紹介された。どうしてライトが点くのかと聞かれたので、ライトにつながる太いケーブルの中を電気が通っているのだと言うと、ケーブルの上に乗り、自分が電気を止めたつもりになり、どうして電気が点くのかとまた聞いた。撮影のため臨時に特別に走らせた汽車を見て、あの汽車は人が乗っていないと誰も疑問に思わない事を指摘した。山下清役の小林桂樹さんを指さし、あれは小林さんだろ、これはオレだろ、アレはオレだろ、どうなっているのだ。難しくて説明できないというと、そうか難しいかと言われたそうである。短いエピソードになっているが、山下清さんは何回も恩地監督に聞いたのではなかろうか。水木洋子さんによると、山下清さんは、<彼はあきもせず考え続ける。>と書かれている。恩地監督は山下清さんの感性を浮かび上がらせるため不必要の部分は削るシナリオの手法を使われたように思う。

恩地監督が見習いのころ、撮影所で邦画と洋画を好きなだけ見れる場所がありそこで見た映画で一番感動したのが、山中貞雄監督の『人情紙風船』だそうである。最近、「鞍馬天狗のおじさんは – 聞き書きアラカン一代」(竹中労著)を読み、山中貞夫監督を見つけたのは嵐寛寿郎さんと知り驚いたところだったのであるが、私は山中監督の『丹下左膳餘話 百萬両の壺』の娯楽性が好きである。プロは『人情紙風船』のほうが学ぶことが多いのであろう。

一時間では短すぎる話の内容であった。詳しくは、「「砧」撮影所とぼくの青春」の本でということになろうか。