五日市と秋川渓谷

JR五日市線の終点武蔵五日市駅の近くに、行きたい食事処何ろがあるがどうかと仲間に誘われる。ふらふらしているのが好きなので、食事だけの誘いには乗り気になれないが、五日市の名前に魅かれて承諾する。

調べてみると、秋川のそばで、秋川沿いの寺めぐりも出来るかもしれない。武蔵五日市駅の一つ手前の武蔵増古駅から歩くのはどうかと提案すると、旧東海道歩きの仲間一人がO・Kで他の二人は1時間遅れの武蔵五日市駅集合となる。

同道する仲間とは、途中何処かの駅か電車の中で会おうということで、拝島駅で会えた。旧東海道の箱根のことが話題となる。日帰りでの箱根越えがやはり皆の可能性が高いので、その方向でと、予定していた<保土ヶ谷から戸塚>の日を、<小田原から行けるところまで>と変更することにする。彼女はすでに小田原に行き、旧東海道の出発位置は確かめていた。さすがである。残念ながら、予定の日は雨となり中止となってしまったが、天候のこともあるので、仕事を休む人のことを考えると、日帰りが望ましいということが実証されたのである。

武蔵増戸駅から<大悲願寺>に行く途中で<横沢入>の看板があった。何であろうとそちらを訪ねる。ガマガエルの声が元気である。里山保全地域で、仕事中の方に尋ねると、夏は蛍も飛ぶそうである。奥まで行きたかったが時間がないので、<大悲願寺>へ脇道から入る。源頼朝の開基と伝えられる古刹で、十五世秀雄僧正は伊達政宗の末弟といわれている。

<伊達政宗白萩文書>の案内板がある。伊達政宗からの当寺への書簡がある。本堂前に白萩があり、政宗がここを訪れたおり、見事な白萩に心奪われ、この白萩を所望してきたものである。本堂は元禄8年(1695年)の建立である。観音堂の彫刻も修復され色あざやかである。重文の木造伝阿弥陀如来三尊像は4月21、22日ご開帳だそうで忘れていなければ来年でも拝観したいものである。映画「五日市物語」のロケ地ともあったが、この映画は記憶にない。車の少ない道の住宅の花々を見つつ武蔵五日市駅である。観光案内でパンフレットを貰い4人合流し目的地へ歩く。

途中、郷土館があるのだが食事を予約しているので寄らなかった。後でこの五日市には<五日市憲法>といわれるものがあり、明治時代に有志で日本憲法の草案を作ったのだそうで、国民の権利を考えたきめ細かなものであるらしい。寄れずに残念であるが、ここに来なければ気にも留めなかったかもしれないので良しとする。

食事何処ろは250年前に立てられた庄屋造りの家で水車が回っている。かつては繭から糸を紡ぐ製糸工場で、大勢の若い女工さん達が糸を紡いでいたのである。静かで瀬音がかすかに聞こえ食事も美味しかった。献立表と照らし合わせながら味わった。山菜で知らなかった、野良坊やコシアブラとも出会えた。誘った仲間は山登りの格好で入るわけにもいかず、一度来たかったのだそうである。皆満足であった。

食事の後は周囲を見てから、少し奥に進み、秋川沿いに歩いて帰る予定が、観光案内の地図に歩きたい道が赤く☓となっている。その後何かの災害で歩けなくなったのであろう。仕方がないので途中まで来た道をもどり、川の方向に道をかえ、秋川をながめつつ駅までもどることにする。奥多摩のイメージでもう少し渓谷だと思って居たが、武蔵五日市駅の周辺は想像していたような田舎ではなかった。もう二つほどお寺に寄りたかったが忙しくてはせっかくのゆったりした時間が逃げるので、皆でのんびりと川の流れと芽吹いた山の木々の色の違いを楽しみつつ帰路についたのである。