明治座 『伊達の十役』

『伊達の十役』を見ていて、五日市の大悲願寺<伊達政宗白萩文書>のことを思い出した。仙台と花の萩は昔から縁があるのであろうか。仙台市の市の花は萩であるらしい。伊達騒動は「樅の木は残った」(山本周五郎著)や「赤西蠣太(あかにしかきた)」(志賀直哉著)等にも書き表され、さらに歌舞伎には「伽羅先代萩(めいぼくせんだはぎ)」というのがある。<伽羅>は<きゃら>で高価な良い香りを放つ香木である。それを<めいぼく>と読ませ、<先代>は<仙台>の事である。

歌舞伎では、時代は鎌倉時代とし、奥州の足利頼兼が伽羅の下駄をはき、廓に通ったことからきている。頼兼が花魁の高尾に入れ込み、その遊蕩からお家がぐらぐらと怪しくなるのである。今上演されるもとを作ったのが桜田治助で、それを改訂して四世鶴屋南北が『慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみせ)』(伊達の十役)をあらわし、その原本が残っていないのを復活させたのが、三代目猿之助さんである。その役に染五郎さんが初役で挑んだ。

先ず、始めに口上で『慙紅葉汗顔見勢』は文字通り、恥も外聞もなく顔を紅葉のように真っ赤にして汗をかいてお見せしますと述べられ、演じる十役を写真によって善と悪のグループにわけ説明された。善グループ〔足利頼兼・絹川与右衛門・高尾太夫・腰元累・乳人政岡・荒獅子男之助・細川勝元〕 悪のグループ〔仁木弾正・赤松満裕・土手の道哲)である。この十人の登場人物を演じ分けるのである。そのため、40数回の早変わりである。

舞台装置の関係であろうか、早変わりに心奪われて、内容が判らないということはなかった。通しであったり、単発であったりで『先代萩』『伊達の十役』を見ているが、ダイジェスト版としても良く理解できた。口上の説明もよかったと思う。

仁木弾正(染五郎)は亡き父・赤松満祐の亡霊(染五郎)から、鼠の妖術を授かり特殊な能力を持つこととなる。そして、高尾太夫(染五郎)と累(かさね)(染五郎)は姉妹で、絹川与右衛門(染五郎)は累の夫であるが、主君・頼兼の事を思い高尾を殺してしまう。その高尾は妹・累にのり移りそのため与右衛門は累を殺すこととなる。与右衛門は子年、子月、子日、子の刻生まれで、その生き血で仁木弾正の妖術を破ることができるため、自ら鎌で自刃し、その鎌を渡辺民部之助(亀鶴)に渡し、民部之助は仁木弾正の妖術を破るのである。ここの筋だけでも、亀鶴さん以外は全て染五郎さんであるから、その早変わりがどうなっているのかと疑問に思うところであろうが、きちんとそれぞれの役になって現れるのである。

染五郎さんの累はどこか儚くて、この人に不幸が覆いかぶさるなと想像できた。高尾太夫の花道の出も艶やかでありながら、累と通じるものがあった。科白はきちんとは判らないが、ちょっと太夫をも演ってみましたというような表現があり、他の場面でも、舞台装置の工夫を科白として言及したり、土手の道哲では、だからこういう役はやめられなとの悪戯もあって、客に媚びるのではない流れでクスッと笑わせてくれる。

乳人政岡と、その子千松が幼君に代わって毒菓子を食べる御殿の場は、仁木弾正の妹・八潮を歌六さんが、栄御前を秀太郎さんが演じられ整った場面となった。

細川勝元の評定では、先輩のあの役者さんはもっと上手かったなあと思わせられたが、そのあともろもろの事があり、最後、渡辺外記左衛門(錦吾)に、外記左衛門の言い分が通り目出度く決着が付き「外記、よかったなあ」と声をかけるあたりは情がありほろりっとしてしまい、いい終わり方であった。

評定の後から亀鶴さんも大活躍で、だれることなく引っ張り最後にこの情がでたのが、染五郎さんの『伊達の十役』の一番のお手柄と思えた。そして、それぞれの役の鬘が染五郎さんの顔によく合っていたのもすっきりとした流れに一役かっていたと思える。

これからも女形に挑戦していただきたい。『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)』の累が見てみたいものである。