『談志まつり 2014』 (夜) 

テーマは 「談志の遺言~俺を超えてゆけ~』 であるが、談志さんを超えれるかどうかは別として、立川流の落語家さんは常識を超えている方々もおられ、皆さん落語家としてやっていくための、突然ですがの訓練はされているので心配ご無用である。

落語家として二枚目が邪魔をする志の八さんが『初めてのお弔い』。らく里さんが基本に則った『安売り』。話題にされていたキウイさんは、本を出されて真打の許可を貰った落語家さんのようだ。その時の談志さんとのやり取りを話される。圓蔵さんに習われたという『反対車』。談笑さんは、『がまの油』。四方を鏡で囲い自分の姿の醜さにたら~り、たら~り、と油汗を出したのを煮詰めたがまの油売りの口上。スペイン語バージョンと酔っ払いバージョンも。談志さんの『がまの油』を初めて聴いたときは、大道売りの輪の中に立っている気分にさせられた。

トーク  山藤章二さん、吉川潮さん、高田文夫さん、ミッキーカーチスさん、(司会)立川談笑さん

ミッキーさんは日劇でロカビリーを歌われていたとき、あの日劇で落語をされたのだそうで、それを談志さんは聴きに行かれたらしい。想像できない面白い情景である。山藤章二さんの奥さんが古いレコードを持っていて、その中の講談の伯山のレコードを見つけこれが聴きたかったんだよと言われたとか。芝居の『鶴八鶴次郎』の中での名人会の中の出演者に伯山も入っており、時代的にその頃の伯山なのであろうかと、ふっと思った。談志さんの中には、そのレコードの伯山さんの名調子も収まったことであろう。落語協会を抜けられてからも、その前に予定されていた落語会に、師匠の小さんさんと一緒に出演されたときも、楽屋ではいつも通りであったそうで、周囲からでは計り知れない師弟関係だったと思われる。

これだけの方々が集まられたのであるから、もっと聴きたかったが残念ながら時間が短すぎた。

ぜん馬さんは、談志さんと同じ病気にかかられている。談志さんは自分の病気から起こる肉体的、精神的な影響を高座でも映像でも話され、生の自分をさらけ出された。ぜん馬さんは、事実のみ話され、落語『夢金』を粛々と語られた。

スタンダップコメディの松本ヒロさん。今度は原発のことなども加えつつの熱き弁舌である。

『談志まつり 2014』のトリは、志の輔さんの『新八五郎出世』でる。前に聴いたのと何が違うか。八五郎は殿様に何でも望みを叶えてやると言われ、母親の医療費のために、自分の仕事道具を質屋に入れたのでそれを出して欲しいと願う。その後で、妹・鶴の産んだ子供を見て、道具はどうでもいい、母親に一度でいいから孫を抱かせてやって欲しいと願い出る。殿様は八五郎の願いを叶える。

八五郎は酔いつつそこで不満を述べる。「さっきから見ていると、鶴がそばからコソコソと何か言うと、殿様は<許す>という。なんか気に食わない。」「許せ。鶴の一声である。」と締めくくる。この、なんかおかしい~!の八五郎の庶民感覚が浮き上がった。八五郎は酔っているし、欲もない。鶴が出世しても、それが鶴の倖せならそれでいいのである。そのことによって自分が出世するなどとは考えて居ない。妹は妹。兄は兄なのである。さら、八五郎の庶民感覚は、一人の人間によって左右される、為政者、殿様を、な~んか可笑しいと投げかけるのである。そこに、八五郎の生きてきた庶民感覚の確かさが出た。こう説明してしまうと詰まらなくなってしまうが、ふっと納得できない八五郎が酔いつつ感じる様がいいのである。

色々な談志さんに纏わる本や映像がでているが、八五郎の感覚を忘れずに、自分の談志さんをこれからも楽しむだけである。

菅原文太さんが亡くなられた。高倉健さん達に変わり、次の実録物に挑戦された俳優さんでもある。その後、名声に驕ることなく、一生活者として、一庶民として生きられたかたでもある。文太さんの庶民感覚は八五郎に通じる飾り気のない大地を踏まれた生き方であったと思う。一握りの土をそっと文太さんの上にかけさせてもらう。

合掌!