美・畏怖・祈りの熊野古道 (新宮から発心門王子まで)

次の行程は、バスで新宮から本宮大社に向かい、乗り換えて<発心門王子>まで行き、そこから歩いて<熊野本宮大社>に戻るというコースである。<発心門王子>から<熊野本宮大社>間は中辺路の初心者コースである。友人の体験から私でも大丈夫と言われているので楽しみな熊野古道歩きである。

新宮から大和八木駅行きのバスに乘る。奈良に行ったとき友人が見つけた、日本で一番長い路線バスである。6時間30分ほどかかる、<新宮>から<本宮>へはこの路線バスの一部の約1時間半のバス旅である。これが予想外の収穫であった。自然について改めて考えさせられ、歌舞伎の舞台にも遭遇したのである。

乗客は一人であり、「右側座席のほうが景色がいいですよ。」と言われ、その言葉に、運転手さんのすぐ後ろの席に移動し、運転に差しさわりのならない程度を考え、お話をお聞きする。右手の山の上に赤い建物の一部が見えたので、尋ねると<神倉神社>とのこと。やはり高い所にある。昨日、80段で止めた話をすると、「それは残念でした。」と言われる。その後色々調べても今でも残念な思いは残るが、無事この旅を終れたことを良とする。

この路線バスに乘るためだけに、九州から来た人もいたという。大和から熊野というのにも魅力がある。右手下は熊野川である。左手は山肌である。川に沿って道はずーっと作られている。本当に山に抱かれて川と道があるという感じである。時々、少し山側が広くなり、左右に家屋が見られる。災害のため、ここは住んで居ないという。美しい山や川なのに、それが暴れ畏怖となる。川底も土砂のため上がってしまい、以前はもっと下に川が見えたそうである。

左に見えた滝は、災害で姿を現した滝だそうである。「何百年かしたら、この滝もまた見えなくなるでしょう。」と言われ、その言葉に一瞬時間が止る。そういうふうに思うのか。自然は再び自然に返すのである。この滝も再び木々に覆われ人間の目から消えるのである。そして、姿をみせていない滝がまだまだあって、美しい姿を見せた時には、私たちに何かを伝えようとしているのである。その言葉をどれだけ深く静かに聞こうとしているであろうか。

ビル風があるように、山々に囲まれた空気の流れや水の流れは様々な様相を呈する。そうした自然の中で修業した修験道の山伏の人々は、山を越える間に空気の流れの違いを感じていたであろう。自然のそうした動きに対し、祈りというのは、封じ込めの意味もあったであろう。古代から自然を信仰の対象としていたのは、その自然の持つ力の封じ込めの祈りであったような気がする。

バスは温泉郷へと入っていく。<川湯温泉><渡瀬温泉>。そして、どこかで見たような情景である。「これが、小栗判官が入ったといわれる温泉です。」旅行雑誌で見ていた「つぼ湯」である。しかし、別の経路で行かなければならないと思い調べもしなかったが、このバスがここを通るのかと、思いがけない歌舞伎舞台との出会いである。熊野の<湯の峰温泉>である。ここには、照手姫が小栗判官を乗せて引いた車を埋めた車塚や、元気になったのを試して持ち上げた力石もあるらしい。小栗判官と照手姫の墓所は藤沢の遊行寺にある。東海道 戸塚から藤沢 (2)

思いがけない嬉しい場所を通り過ぎ、バスは目的地<本宮大社前>である。そこから、発心王子まで行くことを話たので、「この同じバス停で待ち、本宮に戻って新宮へ行きのバスは向うに停留場がありますからね。」と教えてくれる。運行バス会社が幾つかに分かれているのであるが、旅人にとっては大助かりである。バスの便の少ない分を、補うようなその親切が嬉しい。

<発心門王子>行きの運転手さんも、このバスに乗る人は歩く人と知っているので簡略に、本宮までの、トイレ、休憩場所などを説明してくれた。<本宮>から<発心門王子>までは、バスで15分ほどである。新宮では、晴れていたのに、<発心門王子>に着くと雪がパラついていた。

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