美・畏怖・祈りの熊野古道 (新宮)

那智から無事<新宮>行きのバスに乘れる。バスは、新宮ー那智ー紀伊勝浦は、9時から18時台は、30分おきにある。新宮市街に入り<権現前>とアナウンスがある。新宮駅まで行くつもりでいたが「すいません。<権現前>は速玉大社に近いですか。」「近いです。」ボタンを押す。降りる時「後ろですから。」と一言伝えてくれるのが有難い。「有難うございます。」時間的ロスが減った。ただこの手前に<神倉神社>に近い停留所もあったのである。予定では、荷物を預けてから新宮散策と思っていたので駅に行くことのみ考えていた。友人達には、バスを使う場合の参考コース<神倉神社><速玉大社>として教えることとする。

<新宮>の名は、神倉山に祀られたていた神々を新たな社殿である速玉大社にうつしたことから、地名が<新宮>と呼ばれるようになったともいわれている。<熊野速玉大社>も、朱色の美しい社殿である。

 

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御神木ナギ

 

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熊野御幸の回数

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ここの神宝館に多くの関連宝物があるようだが、時間がないので境内の中にある<佐藤春夫記念館>へ。佐藤春夫さんと高校の同級生である宮司さんが、東京の春夫宅をここに移したのである。二階に上がる階段が二つあって、細い吹き出しの階段は、窓に雨が直接あたるためそれを避けるためにサンルームをあとで付け足したのだそうでそれがかえってモダンな内部構成となっている。二階の角には、狭い六角形の空間があり、そこを書斎としても使っていたらしい。狭いが過ごしやすい空間で、横に成ったり、起きて書いたりしていた姿が想像できる。文机の前に座るが、前の3か所に窓があり、狭いのに圧迫感がない。

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没後50年の企画展は「佐藤春夫と憧憬の地 中国・台湾」である。これはお手上げであった。中国の文学作品の名前はもう記憶から薄れている。魯迅は数作品読んだくらいで、佐藤春夫さんの中国系の作品も読んでいないので、展示物を見ててもよく解らないのである。ただ、関係者のかたが、資料をきちんと検証されておられるのはわかる。そして、佐藤春夫さんが、行動の作家でもあたのだということは、認識できた。記念館だよりに、映画監督大林宣彦監督の講演会が行われたことが載っていて、佐藤春夫さんの『わんぱく時代』を大林信彦監督が映画『野ゆき山ゆき海べゆき』の映画にしたことを知る。これは興味がある。

中学時代には、与謝野寛さんらの文学講演会の前座で「偽らざる告白」と題して談話し、それが問題となり、無期停学となっている。

新宮には、大逆事件の犠牲となった人々もいて、その一人大石誠之助さんは、佐藤春夫さんの父と同じ医者で父の友人でもあり、それに関連する詩も書いている。駅の近くには、大逆事件犠牲者顕彰碑もある。その他、文学者では中上健次さんの生まれた土地でもある。<佐藤春夫記念館>で、中上健次さんの連続講座の冊子を購入してきたが、超難解でこちらもお手上げ。熊野出身ならではの作家とされている。駅前には、滝廉太郎とコンビを組んで童謡を作詞した東くめさんの「はとぽっぽ」の歌碑がある。

 

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与謝野寛・晶子夫妻らとともに、東京神田に「文京学院」を創立した、西村伊作さん設計の自宅が<西村記念館>となっている。この場所を、観光案内所で尋ねたら、近いのであるが、係りのかたが地図をもって、外まで出て説明して下さった。熊野のかたがたは、はっきりしていることは、きちんと説明されるように思う。観光案内で外まで出て説明されたのはまれなことである。<西村記念館>は、もう少しで修理のため閉館するそうである。年配の係りのかたがそのために、絵などがほとんで片づけられて無いことを申し訳ないと言われる。しかし、建物、家具のモダンなシンプルさは解かるのである。西村伊作さんの弟が、佐藤春夫宅の設計者である。

その他、<浮島の森><徐福公園><阿須賀神社><歴史民俗資料館>などもあるが、位置は判ったが行けなかった。上田秋成の『雨月物語』の<蛇性の淫>の舞台は新宮である。

最後に、<神倉神社>に向かう。ところが、時間が食い込み暮れ始めている。古い石段を80段位登ったところで、男性が降りてくる。「まだかなりありますか」と尋ねるとまだまだと言われる。「止めたほうがいいでしょうか」「止めた方がいい」とのこと。帰りが暗くなっては、この石段では足元が悪い。諦めることにする。あまり重要視していなかったが、調べたら538段あって、この神社を寄進したのが頼朝である。この神倉山は熊野速玉大社の神降臨の神域とされている。修験者の行場としても栄えたところである。頂上にある、ゴトビキ(方言で蛙)岩が御神体で古代から霊域とされいる。那智の火祭りが有名であるが、ここでも、2月に火祭りがある。

 

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東京の明治大学で来年1月11日に『第8回 熊野学フォーラム」というのがあって、テーマが<「がま蛙神」はなぜ熊野に出現したか!>である。熊野のどこかでチラシをゲットしたのであるが、神倉神社に注目しなければ気にもかけなかったかもしれない。それにしても、ゴトビキ岩を見れなかったのが残念である。

歌舞伎などでも蛙が出てくる。確か『児雷也』などは、ガマ蛙の上に立って巻物咥えて例の忍術のスタイルだったような。『天竺徳兵衛』にも出てくる。蛙には神がかった怪しい力があるのもこういうことと繋がるのかもしれない。

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