美・畏怖・祈りの熊野古道 (那智山)

計画しながら、行くまでの日々に疲労が堆積し、こうなったら定期観光バスで熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を制覇としようと考える。定期観光バス会社に電話し、予約のことなど尋ねる。この対応の方が適切にアドバイスをしてくれ、とても気持ちが良く元気をもらえた。そういうことは信じないのであるが、熊野パワーがきたのであろうか。熊野に行っても感じたことであるが、熊野の方々は、不便なだけにその情報の伝え方が意を得ている。最初から計画を練り直す。練り直し始めると、友人のアドバイスなども加味され、はまって短時間でまとまる。

一日目午前を那智山にして、午後を新宮にする。二日目中辺路の<発心門王子から本宮>とし新宮にもどる。これで三宮に行けて初めての熊野三山としてはベストである。実際に歩くうちにこのベストが、ベストとは異なる、自然の美しさ、怖さ、神々しさ、その中で暮らす人々が旅人を自然に受け入れるてくれる大きさに包まれたのである。

新宮から電車で、那智へ。那智駅に日本サッカーの始祖<中村覚之助顕彰碑>がある。日本サッカー協会のシンボルマーク<八咫烏(やたがらす)>は、中村覚之助さんが、那智の出身で、熊野那智大社の八咫烏からの発想である。

 

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那智駅から那智山行のバスで、10分ほどの<大門坂>で下車。勝浦、那智からの那智山行きのバスは一時間に一本である。友人は、那智駅から歩いて那智山への熊野古道を行く予定であるが、歩くと<大門坂>までが、1時間半かかるようなので、そこをバスにして、熊野古道の大門坂から那智山に向かって登る。若者たちは車で<大門坂>手前の<大門坂駐車場前>の駐車場に車を置き、大門坂、那智山、那智の滝と歩き、帰りは<那智の滝前>から駐車場までバスで降りるコースをとるようである。観光バスであると、大門坂から苔むした古道を眺めるだけということになる。

バスの運転手さんが、大門坂口を少し通り過ぎたところに停留所あるので、「ここから登りますからね」と事前に知らせてくれる。すぐ歩き始める人にとっては心強い。すこしもどって<大門坂>の大きな石碑から始める。和歌山には、南方熊楠(みなかたくまぐす)さんという菌類の研究をされた方がいて、その熊方さんが研究のため三年間滞在したという大坂屋旅館跡がこの大門坂入口のそばにあった。劇団民芸で『熊楠の家』(作・小幡欣治/演出・観世栄夫)を上演したことがあり、南方熊楠役が今年8月に亡くなられた米倉斉加年さんであった。(合掌) 昭和天皇に熊楠の採集した粘菌の標本献上と説明をするとき、貧しさのため標本箱がキャラメルの大箱であった。周囲は当惑したが、なんの差しさわりも無く、むしろ熊楠の研究者としての生き方に、昭和天皇が心動かされたという話しが盛り込まれている。再上演されてもいい舞台である。大門坂で熊楠さんに出会えたのも嬉しい。

 

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熊野古道は、まず大門坂から始めることとなった。俗界と霊界の境目の橋・振ケ瀬橋を渡ると夫婦杉がそびえ、熊野参詣道中辺路にある最後の<多富気王子(たふきおうじ)跡>の石碑がある。江戸時代には社殿があったらしいが、明治になって、現熊野大社境内に移されたある。杉に囲まれて苔むした石段をゆっくりと登って行く。坂を登りきると那智山でそこから熊野那智大社、那智山青岸渡寺へと向かうのである。登り切ったところに、<清明橋の石>というのがあり、花山天皇にお供した安倍清明が庵を結びその近くにあった橋の石らしい。駐車場が出来、橋はなくなり、石だけ少し移動して残したらしい。途中に<実方院跡>として、上皇や法皇の御宿所跡があり、さらに進み右手奥に広場が見えたので進んでいくと、那智の滝が見えた。那智の滝を見るとやはり来たという想いがつのる。

 

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熊野那智大社は、そもそも那智の滝を神として崇めていたところに、仁徳天皇の時代、社殿を作られたとされている。大変美しく立派な熊野那智大社をお参りし、宝物殿へ。徳川吉宗と水野忠幹が奉納したそれぞれの、銘刀・助宗が展示してあった。中世には、大社の主神・夫須美大神と千手観音と同体であると考えられていたとあり、これは興味深いことである。西行、実朝、後白河院らの古歌もあり、それぞれの深い思いが残されている。那智山青岸渡寺、そして、三重塔那智の滝の見える位置へ。

 

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那智山青岸渡寺は、仁徳天皇時代、インドから漂着した裸形上人が那智の滝で修業しているときに、滝壺で観音像を見つけ、庵にこの像を安置したのが始まりとされている。本堂は織田信長の焼き討ちにあい、豊臣秀吉によって再建されている。そこから下って那智の滝へとむかう。バスを<那智の滝前>で降りて那智山を回り、大門坂に降りて来ようと思ったが、そうするとこの下りを登ることとなるので、大門坂出発のコースにした。

那智の滝<飛龍権現>と呼ばれ、那智の海岸に着いた神武天皇が、滝を発見して滝を神として祭り、霊長の<八咫烏>に導かれ大和に入ったと言われる。ここに<八咫烏>がでてくるのである。そして、この地では<八咫烏>と何回もお逢いするのである。出羽三山から熊野と今年は大活躍をしていただいた。 慈恩寺~羽黒山三神合祭殿~国宝羽黒山五重塔~鶴岡

 

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ずっとずっ昔の彼方から静かに美しい姿と飛瀑音を轟かせていた那智の滝は、その裾もに虹を作っていた。緑の木々の衣をまとい、しめ縄の冠をかぶられ、真っ青な空を後ろに従え威厳をもって佇まれている。この美しさは優しくもあり、畏怖もあり、祈りをも秘めている。そしてなんという残酷さを具えた自然の美しさであろうか。

 

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飛龍神社を通り、<那智の滝前>のバス停からバスに乘る。バス関係の人が、「駐車場行きの方はいますか。ここから3つめの停留所ですから。」と声をかける。若い人が「はい。ありがとうございます。」と答える。気持ちが良い受け答えである。この那智駅までは15分程度。さて新宮へもどろうと駅へ行くと、11時12時台の電車がない。1時間に一本はあると思っていたのが迂闊である。

前にあるのは国道であろう。バス停がある。折よくバスが来たので、運転手さんに尋ねる。「新宮行のバスありますか。」「このバス停の反対側の後ろに新宮行のバス停がありますよ。」「ありがとうございます。」あわてふためく旅人に落ち着いておしえてくれる。まずは時間を確かめる。30分後にある。安心して、近くの道の駅を覗き休憩タイム。ところが、後になって、ここからすぐの、補陀洛山寺に寄らなかったことに気づくのである。自分で自分に納得がいかなくて、2日目の最期に、新宮からバスで再び那智にきて補陀洛山寺を訪れるのである。思うに、全てをまわってからのこのお寺を訪れたことが巡り合わせだったのかもしれない。

つづき→      美・畏怖・祈りの熊野古道 (新宮) | 悠草庵の手習 (suocean.com)