四国こんぴら歌舞伎(1)

金丸座での歌舞伎復活は、テレビ番組で復元した金丸座へ吉右衛門さん、藤十郎さん、勘三郎(当時勘九郎)さんがトーク番組で訪ねてここで歌舞伎がしたいねという話が出てそれで実現したのです。そのテレビ番組を後で見て知りました。(昭和60年・NHK特集『再現!こんぴら大芝居』)

1985年(昭和60年)に第1回の上演が三日間ありその時は吉右衛門さんと藤十郎さんが出演され、次の年の第二回目は吉右衛門さん、藤十郎さん、勘九郎さんの三人が出演されています。

第20回目(2004年)に、金丸座で歌舞伎を観ることができました。お練りも見れました。切符のとり方など面倒なので、切符付き、琴平宿泊のフリーツアーセットで申し込んだと思います。友人と二人でお練りの道筋などを検討し、お練り見物に参加、宿泊所から金丸座の位置確認と所要時間などを確認したりと果敢に琴平の町を移動しました。次の日は芝居見物と金毘羅さん参りだったとおもいますが。

第20回記念公演で、さらに「二代目中村魁春襲名披露」というお目出たい舞台でした。さらなる金丸座修復で江戸時代の「かけすじ」という舞台での平行移動の宙乗りの仕掛けがみつかり「羽衣」ではその仕掛けを使ったのですが、残念ながら第一部の観劇でしたので見れませんでした。

演目の『再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)~桜にまよえる破戒清玄~』は、一回目での演目でもあり、「清玄清姫もの」の『遇曽我中村(さいかいそがのなかむら)』を吉右衛門さんが改編し20回目でさらに手を加えられたものです。吉右衛門さんの祖先は芝居茶屋を営みながら松貫四の名前で芝居を書かれていた人で、二代目もこの名前で作品を新しくしています。

清玄(せいげん)と桜姫の恋人の千葉之助清玄(きよはる)の同じ文字でありながら読み方の違うことから清水寺法師・清玄(吉右衛門)の悲劇がおこるのです。桜姫(魁春)と千葉之助清玄(梅玉)の逢引の手紙から同じ名前の清玄が罪をかぶります。当然破戒僧となるのです。そして、桜姫に恋焦がれてしまうということになり、これは叶うこともなく清玄は殺されてしまいます。清玄の霊は鎮まることがなく亡霊となってあらわれるのです。

小さな芝居小屋のほの暗さの華やかな舞台から、亡霊の場というおどろおどろしさを現出させようとの取り組みがわかりました。

平場での芝居見物は動きが制限され慣れない姿勢で窮屈だったような記憶もあります。今調べますと随分観やすい雰囲気になっているようで、今年も開催できないのは残念です。

それからです。切符さえとればなんとかなるのだということで、愛媛県の内子座などでの文楽などを鑑賞したのは。

いずれは出かけることも少なくなり、家での鑑賞になるのかなと思っていましたら、新型コロナのために早めに予行練習させられることになりました。これも気力のあるうちでないとできないということを痛感しています。

というわけで、初代、二代目吉右衛門のDVD鑑賞となりました。

二代目が主で二代目の得意とした21演目のダイジェスト版です。2時間強ですが、好い場面ばかりで、やはりお見事と休むことなく鑑賞してしまいました。戦さの悲劇性、虚しさなどが歌舞伎でありながら伝わってくるのです。現代にリンクする芸の深さです。

追記: 浪曲「石松金比羅代参」。次郎長が願かけて叶った仇討ちの刀を納めるために代参の石松の金比羅滞在模様は一節で終わり、大阪へと移動します。大阪見物を三日して八軒屋(家)から伏見までの30石船の船旅です。おなじみの「石松三十石船道中」となります。上り船で関東へ帰る旅人が乗り合わせての東海道の噂話という設定なわけです。

追記2: 落語で「三十石(さんじっこく)」(「三十石夢の通い路」)というのがあります。上方落語で六代目円生さんのテープを持っていてかつて聴いたのですがインパクトが弱かったのです。今はユーチューブで何人かの上方落語家さんの音声や映像で見れるので便利でありがたいです。落語は京から大阪への下り船で夜船です。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_5454-1024x576.jpg

追記3: 円生さんはまくらで『三十石』は橘家円喬が上方へ一年半くらい行っていた時に持ち帰り、それが円生さんの父五代目に、そして自分につながったと話されます。一度聴いただけではとらえ残しがありますね。

下げは、船で五十両盗んだ男を捕まえてみるとコンニャク屋の権兵衛で、「権兵衛コンニャク船頭の利」となり、「権兵衛コンニャクしんどが利」からきていて、京阪の古いことわざで「骨折り損のくたびれもうけ」の意だそうでそこまではやらずろくろ首でおわっています。米朝さんも権兵衛の下げはつかっていません。

円生さんは船の中の客に謎ときをさせ、沢山の船客を登場させます。客も江戸弁で上方との違いを表し、自分の語り口を生かしています。歌がありそれぞれの落語家さんの味わいのでる噺です。

追記4: 落語『三十石』にも出てくる京・伏見の船宿・寺田屋は坂本竜馬が襲われて難を逃れたのでも有名ですが復元されていて見学もできます。三十石船と十石船にも乗ることができ、十石船に乗りました。落語で出てくる物売りの舟(くらわんか舟)もありましたが、落語のようなにぎやかさではなく穏やかに商売をしていました。

追記5: 「第20回記念のこんぴら歌舞伎」がテレビで放映され録画していました。生で観ていたので録画は見ないでしまい込んでありました。今回見直し大きな誤りをしていました。 「かけすじ」という舞台での平行移動の宙乗りの仕掛け  とおもっていましたら、花道の上を飛ぶ宙乗りでした。映像を見てびっくりした次第です。

 

歌舞伎『岩戸の景清』から「忠臣蔵外伝」

歌舞伎座『岩戸の景清』は、浅草歌舞伎や、テレビの『鎌倉殿の13人』がかぶさるのでしょうが、出演メンバーから思い出すのは昨年の歌舞伎座11月の『花競忠臣顔見勢(はなくらべぎしかおみせ)』です。芝居の並べ方が面白かったのと若手の役者さんがここまできたのかとの思いから今でもよみがえります。国立劇場での「忠臣蔵外伝」の公演を二つ見つけました。

筋書の整理をしていてそうであったと気が付いたのです。歌舞伎座の筋書もそうですが、表紙に演目が書かれていないので、後で見直したいとき表紙をめくらなければなりません。何とも不便なので、表紙にはがせるテープを貼りそこに演目を書いておいたのです。

ありました。フライヤーもありました。2007年(平成19年)12月の「それぞれの忠臣蔵」と、2013年(平成25年)12月の「知られざる忠臣蔵」です。仮名手本忠臣蔵のパロディーもすでに吉右衛門さんが試みられていました。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: o0800113713509931010.jpg

2007年の「それぞれの忠臣蔵」は『堀部彌兵衛』『清水一角』『松浦の太鼓』の三演目をやっています。

堀部彌兵衛』。堀部彌兵衛は、中山安兵衛を見込んで養子縁組を申し込み、安兵衛も考えた末申し入れをうけます。そして彌兵衛はさらに三歳の娘・さちを嫁女にといいます。彌兵衛は15年経てば安兵衛36歳でさちは18歳と半分でちょうどよいといい、堀部家に春が訪れるのです。しかし、15年後、主君仇討ちの年となるのです。このさちを隼人さんが演じています。

清水一角』は討たれる方の吉良家側の人物を主人公にしています。史実ではさしたる活躍もなく討ち死にしたようですが、講談などで勇士にまつりあげられたらしいです。河竹黙阿弥もその線に沿って書き上げました。

この人はのん兵衛で、仲間内からもつまはじきにされています。弟・与一郎は真面目で酩酊した兄を自宅まで連れ帰ります。家では姉が一角の肌着をこしらえています。その夜、陣太鼓の音に一角は「来た!」とばかりに跳ね起き姉の用意した肌着を着て、姉が渡してくれた女ものの小袖をまとい防戦のためかけだすのでした。

清水一角が染五郎(現幸四郎)さんで弟の与一郎が種太郎(現歌昇)さんです。

松浦の太鼓』の大高源吾が染五郎(現幸四郎)さんです。

そして2013年の「知られざる忠臣蔵」は『主悦と右衛門七』『弥作の鎌腹』『忠臣蔵形容画合』の三演目です。

主悦と右衛門七』では、主悦が隼人さん、右衛門七が歌昇さん、右衛門七の恋する呉服屋の娘・お美津を米吉さんが演じられていました。年齢的にも似合った役どころと言えるでしょう。

忠臣蔵形容画合(ちゅうしんぐらすがたのえあわせ) ー忠臣蔵七段返しー』とありまして、大序から七段目までが舞踏劇で演じられます。

歌昇さんが若狭之介、奴、猟師を、隼人さんが星野勘平を、米吉さんがおかるをつとめられています。

その他、『元禄忠臣蔵』や『仮名手本忠臣蔵』にも皆さん参加されていますので、『花競忠臣顔見勢』のときは忠臣蔵に対する想いはよりふくらんだことでしょう。

こうやってひとつひとつ手にしていくのだろうと思いつつ初春の『岩戸の景清』をながめていました。

吉右衛門さんは初代の演目を演じつつ新たな構成を考え、さらに後進の育成に力を注いでおられたことにあらためて気づかされます。それはもうつながっていると思います。

2013年の観劇に関しては書いていましたので、興味がありましたら開いて見てください。

2013年12月10日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

2013年12月11日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

2013年12月12日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

追記: 「四の切」の幕切れの宙乗りは、国立劇場が最初だったそうです(昭和43年)。三代目猿之助さんが書かれています。「当時の劇場スタッフが、宙乗り実現のために努力と研究をおしまず協力してくれたことは忘れられません。これが今日の猿之助歌舞伎がうまれるきっかけとなったのです。」歌舞伎界にとって国立劇場は大きな存在です。

追記2: 国立劇場「伝統芸能伝承者養成事業」の紹介としての動画がのせられました。こういう人たちが歌舞伎を支えているのだということが伝わりますので是非どうぞ。

【願書受付1/31まで】国立劇場「伝統芸能伝承者養成事業」をご紹介【歌舞伎ましょう】 - 「歌舞伎ましょう」日本俳優協会・伝統歌舞伎保存会【公式】 100i.net

追記3: 上の動画の猿四郎さんの棒の扱いをみて、『岩戸の景清』の隼人さんの長刀の扱いをもっと大胆にできたかもと欲がでました。綺麗でしたのでここまでかなとおもいましたが、若いのだからもっとダイナミックさに挑戦して莟玉さんの弓と対比させたら色合いが濃くなったなと思い描いています。言うのは易きですね。

松也さんももどられましたので、こころおきない千穐楽を祈っています。

初日の出・歌舞伎座『岩戸の景清』

歌舞伎座のフライヤーの裏がしばらく新型コロナ感染予防案内が一面をしめ、やっと今回の新春大歌舞伎から、演目のあらすじがのるようになりました。うれしやうれしやです。『岩戸の景清』などは分かりづらいので、簡単にでも芝居について頭に入れておくと観劇の役に立ちます。

平家の武将・悪七兵衛景清が源氏への復讐心から江の島の岩窟に閉じこもってしまって世の中は暗闇です。そこで源氏側は神事をおこない舞うのです。岩戸を開けると景清がいて景清が刀を抜くと光を発します。さやに納めるとまた暗闇です。この刀・小烏丸が威力をもっているのです。

悪七兵衛景清が松也さん。源氏側の北条時政が巳之助さん、秩父重忠が歌昇さん、重忠妹・衣笠が米吉さん、和田義盛が隼人さん、義盛妹・朝日が新悟さん、江間義時が種之助さん、千葉介常胤が莟玉さんです。この名前の並びを見ると浅草歌舞伎を思い浮かべることでしょう。「難有浅草開景清」とあります。なんて読むのかと思いましたら「ありがたやはながたつどうあけのかげきよ」だそうです。難問漢字といいますか、勝手読み方漢字といいますか、ややこしいです。

筋書にも読み方出ていませんでしたので他で検索しました。フィーリングで感じ取ってくださいということでしょうか。

舞台は源氏側の舞いがあでやかに展開します。巫女の役目を兼ねているのでしょう、米吉さんと新悟さんが組んで舞い、隼人さんと莟玉さんが組んで舞います。皆さん衣装が美しく初春らしさにあふれています。種之助さんは「矢の根」の五郎を小ぶりにしたいでたちで、岩戸を押し開けます。

松也さんが刀を抜き光がさしますがさやに納めるとまた闇ですので、だんまりとなります。再び刀が抜かれ、明るくなり、景清と軍兵との立ち回り。

景清は、時政と重忠に説得され納得して新たな旅立ちとなります。舞台背景は富士山が見える海上からの日の出です。歌舞伎座舞台での初日の出でした。

皆さん若さのなかにおごそかさを加えて演じられていました。松也さんは空気抵抗をもう少し感じさせてもらいたいです。荒事ですので、空気を自分に引き寄せそれを空気抵抗感をもって押し出す強さが欲しいです。実際はありえなのことですが、観ている人にそう感じさせるのが荒事の醍醐味かとおもいます。

来年は浅草歌舞伎の開催が望まれるところです。

追記: 歌舞伎座一部、三部の開催が継続となったようですね。よかったです。つないでくれる人がいればこそです。千穐楽まえにもどれる役者さんもでてくるでしょう。姿の見えないものとの関わり合いですから継続が力なりです。

初涙・歌舞伎座『義経千本桜』

歌舞伎『義経千本桜 川連法眼館の場』通称「四の切」は、泣かされるかどうか五分五分の感じでした。お正月のNHKの歌舞伎中継で、猿之助さんの細かな演技を興味深く観ていました。これを実際に観たとき客観的に観ているのか、話の中に引き込まれるのか、なかなか面白い情景になると想像していました。

源九郎狐が忠信から本来の狐の姿となり、親狐の皮が張られた初音の鼓に別れを言うときがきました。それも、親狐が「忠信にこれ以上迷惑をかけてはいけない。里に帰りなさい。」とさとされたので帰りますと子狐がいうのです。

ここでジーンときて涙。親狐と子狐は交信しあっていたのです。鼓の皮になっても、事の道理を教えさとし、それを泣く泣く納得する子狐の心情に触れてしまいました。

早替りの出番はわかっています。今までそれを楽しんでいた感があるのですが、今回は、その間の演技がたまらなく面白く、一つ一つ納得しつつ観ていました。

忠信は、一年会わなかった主君・義経と再会でき、涙をおさえます。ところが義経に自分の身に覚えのないことを忠信は問われます。静はどうしたかと。忠信は故郷に帰っていたのですから、静とは会っていません。義経に叱責されとまどいます。そこへもう一人の忠信が来たという知らせがあり、偽者めが来たかときっとなります。

今回、この忠信の義経に対する一方ならぬ忠誠心がよくわかったのです。そのため、その場を去る時も振り返りながら偽忠信を見届けたいという気持ちの形が納得できました。

親狐はこの忠臣・忠信を窮地に追い込んではいけないということを言ったのです。そして、子狐も忠信に申し訳なかったと思っていたので親のいさめに泣く泣く立ち去るのです。本当は親のそばを離れたくないのです。行きたくないのです。ここで思い切って飛び去る気持ちがよくわかりました。

一つ一つのケレンが理にかなっているのです。

ここから義経は狐と自分とを重ねて涙します。その言葉を忠信は隣の部屋から姿を見せ聞いているのです。ここも狐と忠信の早変わりという段取りなのですが、必要な出現です。忠信は義経の心の奥を知り、さらに自分に化けていた子狐の心情も知り納得するのです。ここで忠信の人となりが完結します。子狐に化けられた忠信というだけではなかったのです。忠信がどういう人物かが描かれているのです。

そして、義経と忠信のきずなもはっきりします。早変わりに気をとられていてこのあたりを軽くとらえていました。義経の言葉を聞く忠信の表情は微動だにしません。真実は何かという探りをいれる顔です。ぴたっと表情がとまります。真実を知り、義経の心の内も知り、おそらく義経への忠臣は深くなったのでしょう。窓の障子の閉める時にその思いをあらわします。

子狐はどんなことをしても親狐のそばにいたいのです。静の詮議もそうした子狐とのせめぎ合いです。静は自分がだまされていたわけですし、義経から詮議を命じられ、何かあれば手に欠けても良いと刀を預かってもいるのです。

狐と静のやりとりも面白かったです。刀では無理と知ると静は鼓を打ち、鼓責めです。そうくるのですかと何回も観ているのに落としどころが上手いと改めて感じ入りました。

狐は親狐との別れと、その後疎まれた悲しい出来事を語ります。鳥の親子のことを例えとして竹本にのって表現するのですが、羽ばたきをみていると、狐を表す衣装もこの鳥のことも考えていたのかと思えました。その衣装の使い方が綺麗です。そして子狐になりきっています。この狐はもうかなり成長しているのです。長い間、鼓になった親狐の後を追っているのです。ここは思いっきり子狐でした。

義経に呼ばれて狐は再び姿をあらわします。そして初音の鼓を手渡されるのです。嬉しいですよね。子狐のこれまでの行動をしっかり受け止めてもらえたのです。子狐としてのすべてを認めてくれたのです。それは子狐と自分を重ねた義経であったからこそでしょう。

子狐は義経に忠勤をしめし館に悪僧を引き入れきりきり舞いさせて退治してしまいます。そして自分の古巣へと鼓を抱え飛んで帰っていくのでした。それを見送る人々。今回は、舞台上は義経と静だけではありませんでした。宙乗りに特別の想いを込められたのかもしれません。

宙乗りはもちろん喜ばしいことですが、それよりもケレンがいかに計算して組み込んでいるかがわかって満足でした。ケレンがあって芝居があるのではなく、登場して物語を紡ぐ演技に沿ってケレンがあったのだと今回は確信しました。

この猿之助さんの細やかな演技は前にはどうだったであろうかと2011年(平成23年)の明治座での録画があったので観直しました。亀治郎時代で、すでにこの時から細やかです。どこがどう違うか言い表せないのですが、今回は芝居全体の物語性がより立体的にせまってきました。

一人一人の役柄がはっきり伝わりました。

明治座の録画はWOWOWからなのですが、撮り方が他と違っていました。狐を撮りつつ静も写る角度が多く、狐の動静に静がどう対応するかもわかり勉強になりました。

明治座の配役:佐藤忠信・源九郎狐(亀治郎・現猿之助)、義経(染五郎・現幸四郎)、静御前(門之助)、亀井六郎(弘太郎)、駿河次郎(亀鶴)、川連法眼(寿猿)、飛島(吉弥)

歌舞伎座配役:佐藤忠信・源九郎狐(猿之助)、義経(門之助)、静御前(雀右衛門)、亀井六郎(弘太郎)、駿河次郎(猿弥)、川連法眼(東蔵)、飛鳥(笑也)

東蔵さんが川連法眼が初役だそうで、また一つ務められるお役の数が増えられました。寿猿さんは今回は局・千寿で猿之助さんの宙乗りを舞台から見届けています。

門之助さんの義経は主人としての威厳があり深い悲しみを感じさせられました。雀右衛門さんの静は愛らしくたおやかでした。

亀井六郎の弘太郎さんは、三月、青虎(せいこ)を襲名されるそうですが、すでに青い虎のごとく勢いのある動きをされていました。寅年にふさわしい襲名です。

猿弥さんは弘太郎さんとコンビならさしずめ黄虎の貫禄といえるでしょう。笑也さんは今までで一番の老け役かなと思いましたら「ぢいさんばあさん」されてますね。

「四の切」で義太夫狂言の面白さを再確認しようとは思ってもいませんでした。どうも鑑賞しているピントが合っていなかったようです。

初春は平賀源内から

迎春

上の図の紫色で囲んである「平賀源内電気実験の地」とありますが、さて平賀源内さんはきちんとは知らないのです。多才の人で、歌舞伎『神霊矢口之渡(しんれいやぐちのわたし)』の作者でもあるのです。

というわけで図書館にあった児童書(小学校高学年~中学生)『大江戸アイデアマン 平賀源内の一生』(中井信彦著)を読んでみました。早く読めて面白かったです。一つの目指すことに失敗しても次の時に役立ったりします。誰も考えないような発想からはじまり、日本の知識ではだめで、西洋の知識も必要なことに挑戦するわけですから遠回りをしたりしますが目指していることはよくわかります。

香川県大川郡志渡町に百姓の子として生まれますが、父は殿様のお米蔵の番人だったので低いながらさむらいの身分でした。小さいころから色々なアイデアが浮かびます。

陶器づくりを見ればろくろに興味を持ち、後に外国と陶器に対抗するには土が重要と考えます。

高松藩主の作った薬園(栗林公園)で朝鮮人参を育てたり、薬草、薬品の良しあしを知るための展覧会を思いつきそこから植物、動物、鉱物を含めた物産会に発展させるのです。それを図鑑として残します。長崎にも行き、江戸に来ました。そして、藩に縛られていては自分の好きなことができないと浪人になります。

そうなると収入なしですので、アルバイトとして、物語や芝居の本を書きます。世界を旅する奇想天外な物語『風流志道軒伝』も誕生します。

田沼意次の耳にも入り秩父の金山の発掘もします。鉱山の調査などにより、石綿(アスベスト)をみつけます。

心霊矢口渡』が初演されたのが明和6年(1770年)源内43歳の時でした。

緬羊(めんよう)の毛から毛織物をつくりだすことも考えだし国倫織(くにともおり)と名づけます。国倫は本名でした。

色々なアイデアを実行に移しますが、それは日本のことを考えてのことでした。

外国との輸出と輸入のアンバランス。日本から流出した金、銀、銅はたいへんな量にのぼっていました。外国から入ってくるものといえば生糸、絹織物、毛織物、そして薬種。そのほかめずらしい鳥けだものや道具類などです。薬は必要ですが、あとはぜいたく品ばかりです。これでは日本が貧乏になってしまうのは当然です。

そういうこともあって源内さんは自国で生産し、海外に輸出しようという大きな考えでした。大量生産を考えるので失敗も多いのです。

そして手にした発電機からその復元製作に成功しエレキテルと名づけます。それを成し遂げたのは神田大和町でした。そのうわさで実際に見たいという大名や高官が多数なのでエレキテル公開のため、狭い住まいから広い深川住吉町の別荘を借りてくれる医者がいたのです。それが地図の場所です。老中・田沼意次も見に来たのです。

そして、源内さんは初めて自分の家を持つことにします。馬喰町でした。死刑になった検校の家で亡霊が出るというわさでしたがそれゆえに安かったのです。源内さんは幽霊など気にしませんでした。

源内さんは仕事が失敗するとそれにたずさわってくれた人々のことを考えます。金山で失敗したときも人々のために炭焼きで生計がなりたつようにしました。ただそれを売るとき問屋の手を借りなくてはならずそこで搾取する商売人の根性が好きではありませんでした。

そういう経験から、勘定奉行の用心と米問屋秋田屋の息子が自宅に訪ねてきたときは快く思わなかったようです。北海道のアイヌのために米を送る計画を聞きつけ、米買い集めを秋田屋に任せてほしいといってきたのです。

源内さんはアイヌの手による産業をおこし、アイヌが直接それらの品物でロシアとの貿易をして利益を得て生活することを考えていました。そのためにはまずアイヌの生活困窮のために米を大量に送ることを考えたのです。それを文章にしようと考えていました。

考えの違いからかは明らかではないのですが、源内さんは二人を切りつけてしまいます。源内さんは伝馬町の獄舎で破傷風のため亡くなってしまいます。

著者は歴史家で小説家のように想像では書かないが、この二人の来客の部分はなぞでいちおう著者が推理して書いたと「あとがき」で書かれています。

源内さんは自分のアイデアで多くの人々のために役立つことを考えていました。長崎では外国の知識もえて、物事を理として考えることに努めています。何事も実験に実験を重ねて新しいものを取り入れていきました。そして利益は私的なことではなく多くの人々のためと考えていました。何があったのか残念な最期でした。

平賀源内さんは多才でゆえに定まらなかったという印象でしたが、源内さんの考えはもっと大きかったようです。

上の切絵図 7⃣ 清住町 「江戸中期の奇才・平賀源内がエレキテルの実験を行った所。」。(現・江東区清澄1-2、3) 4⃣ 伊東 「北辰一刀流の剣客・伊東甲子太郎の道場。新選組参謀となるが、新選組と相容れず新選組に恨まれ暗殺される。」(現・江東区佐賀1-17) 3⃣ 真田信濃守 「松江藩真田家の下屋敷。藩士・佐久間象山がここに藩塾を開く。塾生に勝海舟、吉田松陰、橋本佐内など。」(現・江東区永代1-14)

源内さんが亡くなってから80年後には、源内さんと同じように藩ではなくもっと広い視野で物事を考えるような人々や様々な考えを持つ人々が出現し、その出入りの足跡が深川にもあったわけです。

児童書との出会いは、知りたいという先のスピード感をもたらしてくれました。もっともっと源内さんの人間関係は多数で詳しく書かれていますので誤解のありませんように。

追記: 2015年(平成27)に国立劇場で吉右衛門さんが通し狂言『神霊矢口渡』を上演されていました。筋書に初演(1770年)は江戸での人形浄瑠璃とありました。歌舞伎初演は1794年(寛政6)江戸桐座です。源内さんが亡くなった(1779年)15年あとでした。

追記2: 「この作品が書かれたのは矢口の新田神社から、祭神である新田義興(にったよしおき)の霊験を広めてほしいとの依頼があったからだと伝えられます。」とあります。

追記3: 国立劇場歌舞伎『神霊矢口渡』について記してありましたので興味があればどうぞ。

国立劇場『研修発表会』『神霊矢口渡』(1) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

国立劇場『研修発表会』『神霊矢口渡』(2) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

国立劇場『研修発表会』『神霊矢口渡』(3) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

国立劇場『研修発表会』『神霊矢口渡』(4) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

追記4: 井上ひさしさんの戯曲『表裏源内蛙合戦(おもてうらげんないかえるがっせん)』を読みました。人を殺めるのをどうするのか。表と裏の源内が登場していまして、表の源内が裏の源内に切りつけます。しかし弟子の久五郎を殺していたのです。源内は狂ってしまったとしています。表裏の源内を登場させた意味もつながります。

神霊矢口渡』は、「江戸言葉を始めて浄瑠璃に使った人気狂言者」というのも興味深いですし、渡守頓兵衛の台詞のすごさにも気づかせてくれました。「釈迦如来が元服して、あやまり証文書かうといふても、いつかないつかなひるがへさぬ」。江戸の物売りの売り声で一年間を表現するという場面にはなるほどと感じいりました。

『星落ちて、なお』(澤田瞳子著)から歌舞伎へ

今年の年始めの読書は、テレビドラマの『ライジング若冲 天才 かく覚醒せり』から澤田瞳子さんの著書『若冲』でしたので、師走は澤田瞳子さんの『星落ちて、なお』で締めることと致します。

川鍋暁斎の娘・とよ(暁翠)が父の死後、父との関係を思いめぐらします。とよは、5歳の時に父から絵の手本を渡され絵師の道を歩みます。兄・周三郎(暁雲)は、実母が亡くなり、後妻として入ったとよの母がきたため他家へ養子に出ますが、十七歳で実家にもどり、そこから絵師の修行に入ります。

周三郎は、父の葬儀のことなども皆とよにまかせてしまいます。とよは、弟子の鹿島清兵衛と真野八十吉に助けられながら葬儀を終わらせます。そして父と自分は親子というよりも父が自分を弟子としてしか接しなかったことを回顧します。

周三郎は、父はとよを葛飾北斎の娘・応為のようにそばにおいて手伝わせるために絵を習わせたといいます。周三郎は、とよに絵ではお前なんぞという態度をとりとよを傷つけますが、それは自分ととよしか川鍋暁斎の絵を継ぐ者はいないのだという想いからでもあったのです。

とよは自分の母によって養子にだされたことを周三郎が恨んでいるのかともおもったのですが、後々、自分も兄と同じ想いであることに気がつきます。

暁斎は次第に古い画家として隅っこにやられ、200人いた弟子たちもいつしか離れていってしまいます。時代はあの狩野派に私淑したことを忘れて新しい絵の流れへと進んでいました。

とよはいいます。「そりゃ確かに、親父どのはどんな流派の絵でも描きました。でも、その根っこにあったのはやはり狩野の絵なんだと、あたしは思いますよ。」

とよは結婚し娘をさずかりますが、娘にはあえて絵を教えませんでした。自分と同じ道は歩ませたくないとの想いでした。挿絵などを描いていたとよはしっかり父の絵に対峙し自分の絵を描かねばと離婚し、父を見送った根岸金杉村の家にもどります。改めて絵の道へと進むのです。

明治維新から四十年余りたち、画壇を席巻していたのは橋本雅邦、横山大観といった画人でした。基は狩野派で学んでいましたがその名を表にだすことはありませんでした。真野八十吉の息子・八十五郎も絵師となりましたがやはりとよの想いとは違う画風でした。

周三郎は父の絵から離れず、かといって父を越えられないことを承知の上での道を進みます。そして周三郎は暁斎そっくりの絵を描きながら父を愛しみ憎しみもがきながら亡くなっていきます。その生き方がとよにやっとわかるのです。父の絵の基本までにも到達できない自分と兄は川鍋家の中で同じ闘いをしていたのです。

それでもとよは兄と同じ道をあゆみます。兄の死後、川鍋暁斎を継ぐのは自分しかいないのだと、その孤独感に戦慄しつつ心にきめるのです。

とよは、薄暗い画室をながめ、かつて確かにここに輝いていた星の残映であったことをおもうのでした。

川鍋家の絵の継承を基本軸に、とよと大きくかかわった鹿島清兵衛と真野八十吉の家族の確執なども描かれています。

興味ひかれたのは鹿島清兵衛でした。新川の下り酒屋百軒余りを束ねる大店・鹿島屋の養子となり、八代目鹿島清兵衛をついだ人物です。生まれは、大阪・天満の鹿島屋の分家でした。清兵衛は暁斎の弟子として二年ほど絵を習い、その後パトロンでもありました。暁斎が亡くなり独り身のとよは暁斎の申し出により、深川佐賀町にある加島家の先々代の隠居所へ引っ越します。

新川は幸田文さんが新川のお酒問屋の息子と結婚していたのでかなり前から新川とお酒はつながっていましたが場所はしりませんでした。行徳河岸のそばでした。さらに深川の佐賀町を調べました。

下記の地図は、「江戸東京再発見コンソーシアム」主催の舟めぐり「神田川コース」のときにいただいた地図です。古地図の上に現在の地図がかぶさって古地図と比較できます。

三ツ股も書かれています。朱色の線が小名木川で黄色が行徳河岸で、新川には酒問屋が並んでいたのでしょう。緑の丸あたりが佐賀町です。

現在は埋め立てられていますが、小網町、新川、佐賀などの町名は残っています。

残念ですが「江戸東京再発見コンソーシアム」での舟めぐりは再開しておりません。そのため、小名木川は「下町探検クルーズ・ガレオン」を利用しました。スカイツリーや日本橋から【東京のクルーズ】を楽しむならガレオン (galleon.jp)

さて鹿島清兵衛ですが、商売の腕もありましたが様々な趣味もあり、その中でも写真にのめり込み木挽町5丁目には写真館『玄鹿館』も開き写真大尽ともいわれました。写真の発展には相当寄与しています。しかし放蕩が高じ新橋の芸者・ぽん太を落籍し、ついには養子先の鹿島家から放逐されてしまいます。とよの前に時々現れその時々の様子が描かれています。最後は能の笛方となり、ぽん太は最後まで添い遂げました。

森鴎外の『百物語』の中にもでてきます。主人公は知人に勧められ百物語の会に出席します。その会の主宰者が今紀文(いまきぶん)と評判の飾磨屋でした。この飾磨屋のモデルが鹿島清兵衛です。その隣に芸者が座っています。主人公は清兵衛と芸者を観察し「病人と看護婦のようだ」と思います。さらに女性がこれから捧げる犠牲の大きくなるのを察知します。

主人公は自分を生まれながらの傍観者としています。飾磨屋は途中から傍観者になった人だと感じます。主人公は途中で先に帰りその後の飾磨屋の様子を聞き結論づけます。「傍観者と云うものは、矢張多少人を馬鹿にしているに極まっていはしないかと僕は思った。」

そうした新しいものへの時代の流れのなかで、とよは暁斎は狩野派であると主張します。狩野派での厳しい修行時代があり基礎ができているからこそどんな絵を描こうとゆるぎないのだということでしょう。

ジョナサン・コンドル著『川鍋暁斎』によると、最初の師である歌川国芳は戦さの絵があれば実際のけんかを観て描けとおしえます。狩野派ではひたすら狩野派の巨匠の絵を模写することでした。ここで自分の個性を消して目と手で頭に蓄積していったのでしょう。

コンドルは書いています。「西洋画の写生はただ一編の詩を読んでそれを後で引用することができるという程度、それに対し日本画の写生は詩集全体を記憶してそのすべてをそらんじることができる。」

ここまでのことで、歌舞伎の身体表現について思い当たったのです。歌舞伎座12月の三部『信濃路紅葉鬼揃(しなのじもみじのおにぞろい)』がどうとらえていいのかわからなかったのです。入り込めないし何か拒否反応が起こるのです。鬼女たち(橋之助、福之助、歌之助、左近、吉太朗)の身体表現が魅了させるほどの出来上がりでなかったのではと思い当たったのです。玉三郎さんとの差がありすぎるのと、玉三郎さんにただついていっているだけで若さのオーラも感じられなかったのです。

筋書で見ましたら2007年の歌舞伎座での鬼女が門之助さん、吉弥さん、笑也さん、笑三郎さん、春猿さんでした。登場したとき赤く染まった紅葉だと思えたのです。

そして納得しました。まだ歌舞伎の身体能力が途中なのだと。山神の松緑さんで沈んだ気持ちが挽回するかなと期待しました。高まりまでにはいたりませんが平常にはもどりました。鬼女たちの毛振りの中で動く七之助さんの美しさが際立っていたのが救いでした。これって維茂が主役なのかなと思ってしまい七之助さんいいとこ取りをしていました。

その前の『吉野山』では今まで観た吉野山とは違っていてお雛様の形もなく、静御前の踊りの見せ場が多く、静御前も積極的で、静御前を守る家臣忠信よりも狐忠信を感じさせました。最後も花道ではなく本舞台での狐の振りがなおそう思わせたのかもしれません。松緑さんと七之助さんの踊りをたっぷり堪能し期待しただけにその期待との落差の淵にはまってしまった感じでした。

観劇した日が早かったからかもしれません。歌舞伎の身体表現はやはり時間がかかるということを改めて感じさせられたのです。

周三郎ととよの闘いも同じですし、暁斎の模写して模写して自分の手のうちにし発信するという行為は歌舞伎の身体表現も同じと思えました。

一か月の舞台経験が身体に蓄積され、詩集の素敵な部分を自由に出し入れできる日がくることでしょう。

玉三郎さん、カルガモのお母さんのようで神経も使われて大変なのではなどと余計なことまで考えてしまいました。

最後まで勝手なことを言いまして面目次第もございません。

穏やかな年越しでありますように。そしてささやかでも希望の持てる新しい年でありますようにと願うばかりです。他力本願に思いを込めて祈ることもつけくわえておきます。

12月歌舞伎座『新版 伊達の十役』(5)

1986年の『伊達の十役』の映像から八汐の上方の型を紹介しておきます。

八汐が千松ののど元に懐刀を刺します。そしてえぐります。さらに懐から鏡を出して懐刀の頭をたたくのです。驚きました。そこに解説が入り、めずらしい上方の型だといわれました。初めて見ました。八汐は三代目實川延若さんです。

懐刀の持ち手の先で、そこを右手で持った懐鏡で打つのです。もちろん千松は苦しがります。そして、八汐はその鏡を開いて、左後ろの政岡をのぞき見るのです。

見られているのがわかった政岡は解いていた懐刀の紐を締め直すのです。ここが一つの見どころでもありますが、この型のほうが政岡が紐を巻くきっかけがつかみやすいようにも思えました。紐を巻いて懐刀をぐっと収めることによってさらに感情の起伏をおさえるのです。そのきっかけをどのあたりに持ってくるかがしどころの計算のいるところです。

政岡の感情の流れの母として若君に仕える者としての葛藤の比重は、役者さんによって違うと思いますが、くどきとのバランスからがありますので今回の当代猿之助さんは良かったと思います。

子役さんのセリフが一本調子でおかしく感じた方もいるでしょうが、これが古典歌舞伎の子役さんのセリフの言い方なのです。最初はこれはなにと思いますが、慣れてくるとこのほうが可憐におもえてくるのですから不思議です。

この奥殿の場で様式美的で好きなのが、八汐が千松を手にかけたとき局の沖の井と松島が、懐刀に手をかけ抗議して打掛を翻して横向きになるところです。くるっとそろって向きを変えます。きましたとおもいます。

この『伊達の十役』は『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』を基にしてます。『新版 伊達の十役』もそこを大切にしました。奥殿(御殿)の場では有名な「飯炊き(ままたき)」があります。政岡は警戒を自分でご飯を炊いて若君に差し上げるのです。茶道具を使って炊きます。これがまた政岡の見せどころなわけです。今回はありませんし、やったりやらなかったりです。

2019年8月納涼歌舞伎で、『伽羅先代萩』がかかり七之助さんが初役で政岡で「飯炊き」もされました。七之助さんの政岡は芯の強さが透けて見えるような感じでこれまたよかったです。勘太郎(千松)さんと長三郎(鶴千代)さんも長いのによく頑張っていました。仁木弾正と八汐が幸四郎さんで、巳之助さんが荒獅子男之助した。あの頃はまさか喜多さんの政岡と二木弾正らを観ることになるなど予想だにしていませんでした。

これからも予想のつかない若手の活躍が一層必要とされています。皆さん覚悟はかなりありそうです。

DVDの竹本は葵太夫さんで、いかに伝統芸能というものの芸の山道が長いかが思い致されます。

12月歌舞伎座『新版 伊達の十役』(4)

早変わりは高尾太夫の霊が現れる所から忙しくなります。高尾太夫の霊は妹の(かさね)にのりうつり与右衛門に殺されます。はやわざにどうなっているのとおもわれることでしょう。当然影武者がいるのですが、その役者さんも動きが綺麗で、猿之助さんだと思って鑑賞してもいいくらいでした。

とくれば『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)~かさね』の幸四郎さんとの累を思い出しどうするのか期待するところですが、『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)~かさね』と『伊達の十役』の累とはもとの設定が違うのでさらりとかわされました。さすが思い切りが良いです。

いよいよ渡辺外記左衛門と民部之助親子が仁木弾正の悪事を問注所で裁いてもらい勝訴します。負けた仁木弾正は外記左衛門を待ち伏せして切りつけるという場面があるところですが、今回はそこはなく、民部之介が仁木弾正を見事に討つのです。

民部之介は門之助さんで、巨大なネズミと対峙します。いくら若い民部之介の門之助さんでも巨大ネズミには勝てません。ではどうして勝てたのかといいますと、与右衛門の生血は仁木弾正の術を破る条件がそろっていて、与右衛門は自刃し、その刀をネズミに投げつけます。巨大ネズミから仁木弾正が現れ、民部之介が討つのです。

これで八汐、仁木弾正は討たれました。では栄御前はといいますと足利家の乗っ取りはできなくなります。

細川勝元が現れ、鶴千代に家督相続の許しがでた書状が外記左衛門の寿猿さんに渡されるのです。これで、めでたし、めでたしです。

1986年の『伊達の十役』と十役が一つ違っています。それは、赤松満祐がなくて三浦屋女房が入っているのです。

赤松満祐は仁木弾正の父で、赤松家に伝わる旧鼠の術を弾正に授けるのです。その場面はないので、三浦屋女房にしたのでしょう。

三浦屋女房は、高尾太夫をかかえている廓・三浦屋の女房なわけです。そこへ、頼兼がやってきます。頼兼の履物が、高価な香木の伽羅(きゃら)でできているのです。三浦屋女房はその履物をお盆にのせて大事にあつかうのです。その場もありませんし、頼兼が姿をあらわしてもそのまま連れ去られますし、伽羅の下駄はどこじゃです。

しっかり三浦屋女房が盆にのせてでてきました。伽羅の下駄を猿之助さんが自分でもってこられたのですから、こうくるのかと参りましたような次第です。

無い無い尽くしでありながら充分に満足させてくれた『新版 伊達の十役』です。

もう少し『伊達の十役』のほうに触れますと、赤松満祐は野ざらしのロクロとなっているのですがその眼には鎌が刺さっているのです。この鎌が重要な役割を果たし累も鎌で殺されるのです。この赤松満祐がでてこないのですから鎌もなしとなります。しかしきちんと話は出来上がっています。

それから京潟姫が登場します。鶴千代の母は亡くなっていて、そのため乳母の政岡が鶴千代を守っているのです。京潟姫は頼兼の新たな許嫁なのです。演じているのが先代の門之助さんです。息子さんが局でお父さんがお姫様です。歌舞伎の面白いところです。親子で恋人になったりもしますし、考えてみれば不思議な世界です。女形の芸があるからでしょう。

時代の流れの中で培われてきたわけで、『新版 伊達の十役』が出来上がったのも時代の流れの一つの産物です。

それにしても、今回、何かまだ仕掛けがみえないところで仕組まれているような気がします。考えすぎでしょうか。第六感でしょうか。

12月歌舞伎座『新版 伊達の十役』(3)

栄御前の夫は管領で将軍の次の位なのです。その人が下されたお菓子を千松は食べてお菓子箱を蹴散らすのですから、許される行為ではありません。毒を仕掛けておいてそれが発覚する前に千松ののどを八汐は刺すのですが、千松の無礼な態度として八汐の行為はゆるされてしまいます。

政岡は千松の様子を見れば毒が入っていたのはわかります。とにかく若君の命は助かったのですから下手な抵抗はせずにじっと耐える政岡の猿之助さん。難癖をつける機会を狙うように、千松ののどを懐刀でえぐる八汐の巳之助さん。じっと見つめている栄御前。

弱々し気に声を上げる千松の右近(市川)さん。誰も手出しができません。ついに千松は息絶えます。母と子の忠義は完結します。忠義にはいつも犠牲が伴います。

千松と二人になったとき、政岡の嘆きのくどきがはじまります。竹本は葵太夫さんで、三味線は鶴澤宏太郎さん。猿之助さんのくどきは三味線にのっていました。現代の演劇からすると大げさでおかしいと思うかもしれませんが、これが義太夫狂言の見せ場で、この独特のリズムに乗せた演技で観客の心をゆさぶるしかけなのです。

鶴千代の松本幸一郎さんも、千松の右近さんも行儀よく務められました。顔のつくりもよかったです。右近さんはじっとしているのは大変でしょうが、竹本と猿之助さんのセリフを毎日耳にすることでどこかに蓄積され、いつか何かにつながるかもしれません。

さて後半は「間書東路不器用(ちょっとがきあずまのふつつか)」となり清元となります。

よく考えたと思います。お家騒動の原因でもある、足利頼兼が寵愛した高尾太夫は亡くなっているのです。それをおしえてくれるのが大阪から来た尼僧の猿弥さんと弘太郎さんです。大磯で高尾の墓参りをしようとしているのです。そこに飛ぶのかと笑ってしまいました。このお二人は、尼僧の弥次さんと喜多さんです。

猿弥さんは『図夢歌舞伎 忠臣蔵』で口上をしているのですが、息の長いのに気が付きました。どこで息継ぎしているのかわからないところがあります。なめらかな弁舌はそれも関係しているのでしょうか。

弘太郎さんは珍しい女形ですが、もう少し世間一般の女形を次に期待します。

頼兼は花道で駕籠から姿を現しますが時間がありませんので駕籠から出ないで弾正一味に連れ去られます。ではあの伽羅の履物はとなります。それを三浦屋女房が届けようとしていたときネズミの若武者の玉太郎さんが現れるのです。それが平塚花水橋です。またまたでました。

そうそう頼兼が姿を見せた場所は鴫立沢で西行さんが「心なき身にもあはれはしられけりしぎたつ沢の秋の夕暮」と詠んだ場所です。

江の島の弁財天前での道哲の猿之助さんの踊りには魅了されます。尼僧の妙珍と妙林は道哲に弁当を盗まれたのですが、同じ僧だからと許します。まったくのんきなおふたりですが、このややこしい人間関係の中に出てきて気分転換をしてくれるのですから不思議な力の持ち主さんたちです。

ところが祈りのほうは手を抜いたのか、高尾太夫のお墓にお参りしてくれたようですが、高尾太夫は成仏できずに亡霊となってあらわれるのです。

12月歌舞伎座『新版 伊達の十役』(2)

とにかくチームワークがいいです。安心して観ていられました。

普通であれば幕開きは腰元たちがいて状況を説明しつつ会話をするということでしょうが、短縮ですので局・沖の井の笑也さんと局・松島の笑三郎さんが座られていて、一気に事の重大さを感じさせ二人の心構えもみせてくれます。

そうした中での猿之助さんの政岡の登場。きりっとしています。

1986年には右團次(右近)さんと笑也さんはともに高尾付きの新造でした。小米時代の門之助さんが沖の井で先代の門之助さんと共演されているという珍しい舞台映像です。松島が錦之助さんで信二郎時代です。見間違いでなければ笑三郎さんが腰元で出られています。

腰元ですが、栄御前がお見舞いに来たことを告げるのが腰元・澄の江の玉太郎さん。政岡に皆に知らせるようにと言われ舞台を横切りますが、いい姿と動きです。お姫様役では解らなかった女形のうごきです。

米吉さん、新悟さん、玉太郎さんのリレーインスタライブで、米吉さん、新悟さんは澄の江を経験済みで奥殿は特殊な状況なのですごく緊張したと言われていました。新悟さんが腰元の立場で演じるようにと教えられたそうで、そのことが頭にありました。

腰元は本来、状況にすぐ対応できる立場にいるわけです。そのリアルさ、心構え、敏捷さなど、その場その場で臨機応変に美しく表現できる身体能力が必要とするわけです。だからといってわさわさしていては美しくありません。注目してしまいました。

長刀を持った時の緊張感とその形など。笑野さんの長刀の構えが美しかったです。友人は栄御前についてお菓子をもってきた腰元がよかったといっていました。どなたでしょうか。

玉太郎さんはネズミもやっております。ネズミが化けた若衆姿で三浦屋の女房の猿之助さんと踊ります。猿之助さんと対でこんなに軽やかに踊れることに驚きました。三浦屋女房のゆとりにどちらが遊ばれているのかわからない雰囲気で観ているほうを愉しませてくれました。ネズミさんの着物の文字にもご注目。

着ぐるみのネズミさんの動きも抜群でした。いつもは荒獅子男之助がネズミを踏み押さえているのですが、今回は松ヶ枝節之助でした。初めて聞く役なんです。男之助よりも若々しくきらびやかで猿之助さんにあっていました。文楽では松ヶ枝節之助のようです。

吉右衛門さんが本(『物語リ』)のなかでとんぼのことを書かれていて、30歳すぎまでよくとんぼをやっていたそうです。着ぐるみをかぶってネズミになったことも書かれています。おじさんである十七代目勘三郎さんの舞踏『鳥羽絵(とばえ)』にネズミで出たとき、頭までかぶると頭が重く高くなり、とんぼを切るのが難しいので、顔は出してお化粧をして出たそうです。

今回のネズミさんはそんな難しさを感じさせない動きで、猿之助さんの出番までの楽しい時間を作ってくれました。このネズミの動きで、巨大ネズミとなるのが納得いきます。それぐらいのことはやりそうです。

このネズミさんはどなただったのでしょうか。先月の間者さんかな。先月のとんぼをきる瞬間見逃しているのです。歌昇さんと尾上右近さんの演技に気をとられていて、猿之助さんが当身か何かをしてやっつけるのであろうと思いましたが、立ち上がって消える姿をチラッとみましたがとんぼはみれませんでした。女形でのとんぼです。見逃して残念。

さて栄御前は中車さんです。出に貫禄があります。希望を言えば舞台に上がって客席に向って立つときもう半呼吸じっと立っていただきたかった。歌舞伎の衣装は格を出してくれる役目もしてくれます。裾が富士山のように美しく開いていてその白が立つ人の大きさをあらわしてもくれるのです。そういうものまでも利用することによってより効果を生みます。

お菓子を拒む政岡との対決は面白かったです。栄御前は自分の権力を知っている底意地の悪い典型です。

一方巳之助さんの八汐の憎々しさは、もろに表面にだせる役どころです。仁木弾正の妹だけあります。忠義な千松の市川右近さんがかわいそうでした。それがお芝居のねらいですが。

追記: 玉太郎さんのインスタで、ネズミの着ぐるみの役者さんが判明。尾上まつ虫さんでした。名コンビ!! 名変身かな。