平成25年12月国立劇場 歌舞伎公演 (2)

『弥作の鎌腹』は、千崎弥五郎と百姓をしている兄・弥作の話である。仮名手本忠臣蔵で千崎弥五郎は、山崎街道で勘平に会い、勘平に討ち入りを打ち明けた人物である。勘平はその時同志への拠出金を約束し、猪を撃ったつもりが人でその人の懐から50両盗んでしまい、そのお金を弥五郎に渡す。おかるも一文字屋へ引き取られ、姑に舅を撃ち殺したと責め立てられているところへ弥五郎と不破数右衛門が訪ねてくる。罪の責任をとり勘平は切腹。しかし、舅の傷は刀傷で、疑い晴れた勘平は連判状に名を連ねるのであるが、あの場面にいた、千崎弥五郎と兄の話である。江戸時代の歌舞伎好きの人であれば、芝居談義花盛りであったろう。

実直で他の百姓仲間からも慕われている弥作は、お世話になっている代官の七太夫(しちだゆう)から、弟の弥五郎を養子にとの申し込みがある。その後、隣村の代官の娘を娶るという。浪々の身となっている弟にとってこんな良い話はないと弥作は喜んで承諾する。

兄(吉右衛門)を訪れた弥五郎(又五郎)はそんな話に乗るわけにはいかないのである。これが、弥作が武士なら弟よ、武士の本懐とは何かと詰め寄るところであるが、百姓の弥作にとって、弟が良い職が見つかり生活が成り立てば良いのである。なぜ弟が断るのかわからない。弥五郎は仕方なく訳を話し、その話は内密にして代官(橘三郎)に養子の事を断ってくれと頼む。弥作は弟の固い決意を知り、代官のもとへ行く。ここから悲劇と喜劇の背中合わせが始まる。どんどん弥作は追い詰められていく。弥作が悪いわけではない。その正直さゆえに嵌められていってしまう。その辺の罪なき百姓の考えもつかない罠に嵌められていく悲しさと可笑しさを吉右衛門さんは明確に表現された。橘三郎さんも自分の利益のために脅したり賺したりその緩急が憎たらしくて、それでいながら、こういう人はいつの時代もいるなと思わせる。

弥作は本当の事を弟に言えない。仲の良い妻(芝雀)も間に入り弥作は益々混乱してしまう。そして、切腹の仕方を弟に聞くのである。この時弥作は武士なら切腹に値する事をやってしまったと思ったのであろう。塩冶判官の切腹の場は様式美で武士だから心構えということもあってか、痛いという感覚よりも、悔しさのほうが伝わるが、弥作の場合は観ている側も痛いのである。心構えもなく、その場に立たせられてしまった人の可笑しさと悲しさ。忠儀の名のもとに殉死しなければならなかった一人の百姓の物語である。

長閑な村にも、赤穂事件は侵入してきたのである。

話すつもりは無かったものを。聞くつもりは無かったものを。言うつもりはなかったものを。聞けるとは思っていなかったものを。それを何処へ伝えようか。伝えられてなるものか。ズドーン!である。そうなれば、稲を刈るかわりに鎌で・・・・・悲し・・・・