世田谷文学館と蘆花恒春園

世田谷文学館の『幸田文展』から、蘆花恒春園に行き大宅壮一文庫、賀川豊彦記念松沢資料館そして、京王線の上北沢駅に向かうつもりが、文学館で思いがけない催し物があった。

多摩美術大学・世田谷文学館共同研究『清水邦夫の劇世界を探る』第三弾で、リーディングシアター『楽屋』の公演が自由参加で見れるというのである。朗読劇のようなものである。3年間つづけられ今回で終了らしい。それが始まる前の短時間に蘆花恒春園に行き開演時間に合わせて急いでもどる。

清水邦夫さんの名前は知っているが、その戯曲と公演は初めてである。『楽屋』は、そのまま楽屋が舞台なのであるが、そこに主演女優となれなかった女優の亡霊が住んでいることである。その亡霊は二人いて、現在の主演女優が舞台に出て行った後に話始める。主演女優の悪口もいいつつ、自分たちがプロンプターだったことや、やっと採れた端役のこと、あこがれの役の台詞など話は尽きない。恨みつらみもたっぷりである。そこに枕を抱えた若い女優が現れる。その女優は病も治り舞台復帰しようとするが果たせず、二人の亡霊と同じ世界にいることなる。三人の女優は三人そろったところで「三人姉妹」の台詞の世界の中に入って行く。

作者がこれを書こうと思いついたのは、女性達の楽屋の壁にアイロンの焼け焦げた跡を見たからだそうで、それを、亡霊を出すことによって演じる者たちの舞台、台詞、役に対する嫉妬、挑み、喜び、挫折などあらゆる感情や思いを傷口も見せつつ表にしたのである。

そのあと、「清水戯曲の魅力」と題して井上理恵(桐朋学園芸術短期大学教授)さんの講演があったが、新劇の全盛時代にそれとちがうものを目指し向かって突進してきた、若き演劇人の中の一人の清水邦夫さんについて語られた。時間が短かったのであるが、その時代のエネルギーが伝わってきた。面白かったのが、井上先生、クラシックなワンピースと上着のスーツを着られていて、大学の先生だからかなと思ったら、<今日は私も演出してきました。十年前のクラシックな服を引っ張り出し、つけているクチナシの花はかつては白かったのですが、こんな薄汚れた色になってしまいました。でも一点ものですのでつけてきました。>演劇を愛する方のようにお見受けし遊び心が楽しい。アイロンの焼け焦げも、美しい茶の模様に見えてくる。

時間の無い蘆花恒春公園。徳富蘆花が愛子夫人とともに恒春園と名付け晴耕雨読の生活を送られた地で、母屋が公開されている。大逆事件で処刑された幸徳秋水を思い書院に秋水書院と命名している。

蘆花記念館もありざーっと見ていたら、新島八重さんの兄・山本覚馬の娘・久栄さんと恋愛し別れるとある。ちょっと驚いたら、その日の大河ドラマ「八重の桜」がその事をやったので2度びっくりである。年譜によると、明治19年に恋愛感情を抱き、明治20年、兄の猪一郎が上京し、民友社を設立。久栄さんに訣別の手紙を送っている。明治25年久栄さんとのことは「春夢の記」としてこの頃書いたらしい。明治26年に久栄さんは亡くなっている。明治27年愛子さんと結婚。愛子夫人談話の聞き書き「蘆花と共に」によると、久栄さんのことは、蘆花の中でも上手く収拾がつかず、夫人も久栄さんの影に相当心を悩ませたようである。しかし、愛子夫人の日記から、大逆事件に関しても、蘆花には保身がなく、人道主義者であることが解るようである。

特定秘密保護法案が国民の間で充分に考える時間もなく国会で決められそうである。どうしてそんなに急ぐのか非常に疑問である。皆がもっと考える時間が必要と思う。