『小石川の家』 

「小石川の家」は、幸田露伴さんのお孫さんであり、幸田文さんの娘さんである、青木玉さんの著書である。

幸田文さんが離婚され、玉さんを伴われて小石川の露伴さん宅へ戻られてからの、祖父・露伴さんと母・文さんと玉さんとの三人の生活から書き始められ、文さんの死で終わっている。文さんは露伴さんから愛されていないとずーっと思われていて、それでいながら父と博識の文豪としての露伴さんと正面から受けて立っている。(露伴さんとの最後の会話で文さんは自分が父のいとしごであったことを確信し歓喜する) 玉さんはそんな間に居られながら、祖父・露伴さんの孫としての甘やかしではなく、一人の人間として対峙してくる勢いに、母の背中に隠れたり、その母からも援助してもらえない状況のなかで、祖父・露伴さんに対し、それは無理というものですと心の内を子供の時の感覚に戻して書かれている。

たとえば、「風邪ひき」では、露伴さんが風邪の症状が出て、文さんから薬を持っていくよう頼まれ持ってゆくと、それは何か、お隣の先生がよこした薬かと尋ねられ、はいと答える。

「何のためのものか、おっ母さんは言っていたか」「いえ、お上げしてくるようにって」「うむ、それでお前は何も聞かずに持ってきたのか」

「申し訳ありません、聞いて来ます」「何を申し訳ないと思っているんだ、お前は何も考えないで、ただふわふわしている、申し訳などどこにもありはしない。薬というものは恐ろしいものだ、正しく使われれば命を救うが量をあやまてば苦しみを人に与える。何の考えも無しに薬を良いものとだけ信じて人にすすめるとはどういうことだ。昔、耆婆(ぎば)は釈迦の命が危うかった時に秘薬を鼠に投げて釈迦の元へ走らせた、なのにバカな猫がその鼠を食ってしまったから間に合わず釈迦は亡くなったというが、しかし薬は劇薬でそれを飲んだために命を縮めたという説もある。そもそも釈迦が死ぬような目に逢ったのは、信心深い婆さんが托鉢の鉢のなかへ献じた食物の中に毒きのこが入っていて、釈迦はそれを知っていながら承知で食べて、苦しみ死したとも言われている。愚かな者は、自分がよいことをしたつもりで恐ろしいことを平気でやってのける、お前は自分のしていることを、どう考えているのだ」

お釈迦様の話にまでいくのであるから、玉さんも答えようもない。文さんが入ってきてそこから逃れることができたが、今度は文さんからもぐずぐずしているからよと小言をもらう。玉さんは自分の部屋で気が納まるまで泣く。そして、毒と知りつつ釈迦はきのこを食べるなんておかしい。薬だって鼠ではなく千里を走る虎の首につけてやればよいのに。でも虎は他の生き物を食べたくなってお使いを忘れるから駄目かなどと露伴さんの説教を負かそうと子供なりに考えるのが微笑ましい。露伴さんは時として気に染まぬ時、玉さんにもその気持ちをぶつける。しかし、結果的には考えさせる機会を与えている。文さんと玉さんは年齢的な違い、感性の違いからそれぞれの考えを培われていかれ、露伴さんの手の内で育てられたように思われる。それは結果的には素晴らしい手の内であった。