『仮名手本忠臣蔵』(歌舞伎座12月) (2)

「道行旅路の花婿」は「落人(おちゅうど)」とも呼ばれる。塩冶判官にお供してきた勘平と、師直に顔世御前からの手紙を届けにきたおかるが出会い、相思相愛の若い二人が二人だけの世界に入ってしまい不忠となり、人目を忍んで落ちて行く人となるのである。

浅葱幕が落とされるとそこには、おかる(玉三郎)と勘平(海老蔵)が寄り添い笠で顔を隠し立っている。玉三郎さんは何か月ぶりであろうか。今回は「落人」の歌詞に一応目を通しておいた。舞台は遠目に富士が、桜と菜の花の明るい場面であるが、夜の設定なのである。場所は神奈川県の戸塚。東海道です。<気も戸塚はと吉田橋> 気もあせっていると土地の戸塚とをかけている。次のこちらの東海道の旅は保土ヶ谷から戸塚なので、嬉しくなる。広重の浮世絵〔戸塚 元町別道〕の橋が吉田橋らしい。しかし、鎌倉から落ち延びてきているのでややこしいのだが、そこのところは深く考えない。<墨絵の筆に夜の富士> そう夜なんです。難しいところは三味線と語りの調子と美しいお二人の動きとで楽しむだけ。

<泊りとまりの旅籠やで ほんの旅寝の仮枕 嬉しい仲じゃないかいな> おかるは少し浮き浮きした心持も。おかるのクドキは難しいようだ。おかるが世話女房になってはいけないらしいのである。実際観ていた時は、玉三郎さん静かに優雅に演じられたので感じなかったのであるが、時間がたち思い出していると、玉三郎さんは大きな役者さんなので、海老蔵さんより玉三郎さんの方が印象が大きくなりちょと困った現象の中にいる。おかるは腰元であるからそれなりの風格もある立場であり、単に可憐さだけでは駄目な役でもあろう。観ていた時はその振袖の扱いかたなどただただ美しいと見とれていたのである。<野暮な田舎の暮らしには 機(はた)も織り候 賃仕事>では、縫い物をする仕草がリアルで可笑しかった。所々に微笑ましいさを加え、打ち沈む勘平の気をひこうとするのが娘らしさの表れか。

<ねぐらを離れなく烏 かわい かわいの女夫(みょうと)づれ> かわい、かわいはカアカアと鳴く烏の声で、それを愛しいにかけている。反射的に「かわい かわいと烏は鳴くの かわい かわいと鳴くんだよ」(七つの子)が浮かぶ。作詞家の野口雨情さんこのあたりの歌詞も引き出しに入っていたかもしれない。

勘平が気を取り直したところに鷺坂伴内(権十郎)と花四天(はなよてん)が勘平を捕らえに現れる。権十郎さんは武士のいでたちから例の派手な着物姿に引き抜きのように変身でした。このかたちは初めて見た。勘平も噴き出す、洒落の効いた伴内の台詞。気分を変えさせる詞の力。

表情を変えず憂いを残す海老蔵さんと花四天の流麗な所作ダテ(舞踊味の強い立ち回り)があって、伴内を殺さずに逃がしてやり、勘平とおかるは花道から再び足を早めるのである。華麗な中にも悲愁と支え合う若い二人の面影を残す舞台であった。一幕見でもう一度見たかったが都合がつかないのが残念。