前進座 『番町皿屋敷』『文七元結』

前進座五月国立劇場公演である。

『番町皿屋敷』は、平塚市のお菊さんの<塚>と<お墓>を訪ね終えたばかりでの観劇である。さらに、1月には、松竹歌舞伎で歌舞伎座でも上演されている。今回前進座は、『番町皿屋敷』では従来女形を当てて来た役に女優さんを起用した。

お菊には、今村文美さん、青山播磨に嵐芳三郎さん、播磨の伯母に妻倉和子さんである。女形での『番町皿屋敷』は何回か観ていて、さらに1月の芝雀さんが脳裏にのこっているので、始まってしばらくは、女優さんに違和感があった。歌舞伎を最初に観た方は女形のほうが違和感があるであろうが、女形に見慣れてしまうと、女優さんの女の生身がどうも苦手になってしまう。感覚的で説明のしようがないのであるが。お菊が登場した時から潜在意識が作用したが、後半からの播磨のセリフ劇あたりからは芝居に集中できた。

この芝居自体が、少し無理な所もあるのである。皿屋敷伝説を土台にして、純愛にしたて、純愛としてお菊を手打ちにしなくてはならないのである。終演後にトークショーがあり、芳三郎さんは、お菊が手打ちとなる哀れさから、播磨の気持ちの純粋さを感じてもらうのが難しいと言われていた。

殿様と腰元の恋である。お菊は、播磨に妻にすると言われても播磨に縁談の話しもありどこかに信じきれない部分がある。それをお手打ちもあり得る家宝の皿を故意に割ることで、試したのである。そこをお菊の一途さとしている。しかし、自分の純粋な恋ごごろを疑われた播磨の無念さがお菊を手打ちにする。解釈として、単なる播磨のプライドではないかとも考えられる。播磨は最終的には、自分の気持ちを疑われ皿で試されたプライドが許さなかったのではないかとすると、この物語もガラガラと崩れるのである。そして、町奴との喧嘩も播磨のプライドだけの問題であるとなる。そこを、恋にたいしては、純真な一人の男として設定しており、そう思わせるのが難しい。

岡本綺堂さんは、事実が判った時点で、お菊に残りの皿を出させ、播磨はそれを自らの手で割り、お菊に皿の枚数を数えさせる。その部分は、文美さんのお菊は恐れおののき、芳三郎さんの播磨は怒りを静めてもう一度自分のお菊に対する自分の感情を確かめようとしている。このあたりが若いお菊と播磨の感情に写った。

吉右衛門さんと芝雀さんの時は、この時すでに、お互いがお互いの気持ちを読み取り、最後は二人で自分たちの大切な恋を一つ一つ壊していくようであった。

役者さんによって、心の内が違って見えるのが面白い。芳三郎さんは、自分の気持ちを高らかに思い存分語る。お菊の文美さんは納得し静かに手を合わせる。お菊は弁解するセリフはなく、身体で語らなければならない。

お菊の死体は井戸へ投げ込まれ、家宝のお皿を壊した者への成敗と、恋の消えた一人の男の闘争心が残る。純愛だけに、この作品を消化するのは大変である。女優さんにしたことで、また一つの見方が増えたのかもしれない。

萬屋錦之介さん主演の映画『江戸っ子繁盛記』というのがある。これは、『芝浜』『魚屋宗五郎』『番町皿屋敷』の三つを上手く組み合わせたもので、この青山播磨とお菊の関係と播磨がなぜ町奴と喧嘩をするのかの理由がはっきりしていて面白かった。そのことは後日。

人情噺『文七元結』は、これが、前進座の前進座たる芝居の面白さなのかと思った。松竹歌舞伎と前進座の歌舞伎との面白さがそれぞれ違うと言われるのを耳にしてきたが、それが具体的に分らなかった。『文七元結』で初めてこういうところなのかも知れないと感じたのである。

そこに江戸時代の長屋の住人がいる。気持ちの切り替えの必要がない。上手い噺家さんの実写に自然に入り込まされていく流れである。娘・お久が見つからず、左官の長兵衛と女房・お兼は不安の中で喧嘩である。これがいつもの喧嘩と調子が違うのが感じ取れる。お久は父のバクチとお酒から借金でどうすることもできないのを知って自分から吉原の遊女屋佐野槌に身を売ったのである。

佐野槌は長兵衛が仕事をしたお店でもあり、女将さんは事情を知っていて、一年はお久を店には出さないと言ってくれる。娘に母親のことを頼まれ、父親として形無しの長兵衛であるが、涙を流して仕事に励むことを約束する。ここでの長兵衛とお久は、駄目な父親でありながら、その心根は悪くなくお久の気持ちを素直に汲む実直な親子関係を表す。藤川矢之輔さんの長兵衛と本村祐樹さんのお久親子の情愛が伝わる。この場面を、お金を取られて川に身を投げようとする文七に語って聞かせるところは、聞かせどころで、涙が浮かぶ。

文七の忠村臣弥さんと長兵衛の弥之輔さんの川に飛び込むところを止めるやり取りの動きがいい。主人の信用を受けて今は死しか頭にない若者と、散々迷惑を掛けておきながら江戸っ子気質は生きている職人の対比を身体のからみで見せてくれる。

なんでこんなところに選りによって遭遇してしまったのかという、長兵衛の気持ちも、他人ごとではない可笑しさでこちらに跳ね返ってくる。ついに、お久が身を切って作った50両のお金を若者に投げつけて立ち去る。

一晩、長兵衛とお兼はすったもんだである。お兼の河原崎國太郎さんの声が声高にキンキン響かせないのが良い。国太郎さんのお兼が、どこともわからない若者に死ぬというのでお金を渡したと言われても信じられないの怒りに、現場を見ているこちらも、それはもっともだと思わせる。その二人の聞き役が、大家さんの中村梅之助さんである。

しかしその若者は、主人の嵐圭史さんと共に現れる。使い先の屋敷にお金は置き忘れてきていたのである。文七はとお久は夫婦として結ばれることとなり、文七は暖簾分けも許され、元結を切り売りする工夫を話す。商売もうまくいくであろうとハッピーエンドである。庶民感覚と動きが無理な誇張ではなく一致していて、<人情噺>としての情と軽さが程よい味わいであった。

前進座の人気演目とあったが、納得である。今回、本村祐樹さんと忠村臣弥さんは大抜擢だそうであるが、大先輩たちに囲まれ十二分に自分の力を発揮されたような出来映えであった。