歌舞伎座5月 『天一坊大岡政談』

歌舞伎観劇前に読み終わるであろうと思っていた柴田錬三郎さんの『徳川太平記 吉宗と天一坊』が半分までしか進まなかった。小説では悪の強い山内伊賀之介と、これまた悪にまみれそう天一坊である。<徳川太平記>とあるように、赤穂浪士のこと、紀伊國屋門左衛門らの商人のこと、庶民の生活模様も出てきて調べたくなり寄り道続きで時間がかかる。読み進むと小説と歌舞伎の登場人物が重なりそうなので、歌舞伎も『天一坊大岡政談』から始めて、心おきなく小説の続きにはいることにする。

それにしても、歌舞伎役者さんは、今の芝居を演じつつ、来月の芝居のセリフを覚え役の探究をするのであるから凄いことである。

『天一坊大岡政談』は、解かりやすい。紀州の法澤(ほうたく・菊之助)という坊主が、娘が吉宗の子供を産みそのお墨付きと短刀を持っていた老婆(萬次郎)を殺し自分が御落胤に成りすますのである。吉宗の子とその母親もすでに死んでいる。法澤は自分の師も殺し、下男の久作(亀三郎)に師と老婆殺しの罪を被せ紀州を出立する。

法澤は、自分の計略のために仲間を増やす。その一人の僧(團蔵)は、名前が天一坊という名前の子坊主を殺し、法澤を天一坊と改め、法澤という人間をを消し去る。さらに、九条関白家の浪人・山内伊賀亮(海老蔵)を味方とする。

江戸では、偽物であると看破している大岡越前守(菊五郎)の対決となるが、大岡の追及を伊賀亮が見事かわし、大岡は責任を取って息子(萬太郎)と切腹する寸前、紀州に天一坊の素性を調べにいっていた池田大助(松緑)が久作を連れて帰り、天一坊とは全くの偽りで、法澤であることが露見し、大岡の名お裁きとなる。

人の良さそうな法澤が、ご落胤と同じ年月日のうまれで、孫のように思って漏らしてしまった老婆の昔話が、法澤の中に火を灯す。何んという美しい短刀であろう。自分と違う世界がある。鼠殺しの薬。法澤の周りに燃える火の種が増えて行く。どういうわけか、法澤の左腕には<天>の一字の赤いアザがあるのである。菊之助さんが次第に悪の炎を見せて行く。

山内伊賀亮が九条関白家の浪人という事で、公家のほうに仕えていた浪人ということであり気位も高く、知恵もありそうである。海老蔵さんが着流しで座って着物の端を手のひらを見せて整える仕草に、こういう正しかたがあるのかと目が止った。その所作が美しかった。すでに、天一坊は自分の意思でご落胤に化けようと決心しているので、芝居では天一坊と伊賀亮関係が希薄である。そこが残念である。芝居では伊賀亮の役目は大岡との対決である。<網代問答>は朗々とよどみなく答える。ただ言葉が難しい。

窮地に追い込まれた大岡は息子と共に切腹の支度をしている。妻(時蔵)も自刃覚悟である。大岡は、介錯として家来平石(権十郎)を呼ぶ。権十郎さんの台詞のトーンがいい。突然切腹の場面で入り込めなかったのが、この方のセリフで次第にことの重大さが伝わてくる。大岡の腹は決まっているが諦めきれない心持ちを家来の権十郎さんが引き受ける。必ず役目を果たすと誓って紀州に向かった池田大作の松緑さんが到着する。大岡の目に狂いはなかった。

ここからは、大岡越前守の菊五郎さんの見せ場である。久作という生き証人を出してのお裁き。天一坊が白を切っても黒である。白黒はっきりのお裁きは、庶民にとってはいつの時代も人気があったようで講談で評判を呼び、河竹黙阿弥が明治に入って歌舞伎として書き下ろした。

男子高校生の観劇の日で、『天一坊大岡政談』の休憩の時、「俺ダメだよ。ことばが分らない。なんかダメなんだよな。」「滑舌がダメなのか。」「いや、滑舌はいいんだと思う。言葉なんだろうな。」と、もどかしく思っている気持ちの学生さんがいた。<滑舌>という言葉に、今の若い人のほうが、音に対する敏感さがあるのかもしれないと思った。もどかしいとそこまで引っかかっただけでも凄いことである。

この芝居の前が『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』である。『天一坊大岡政談』を見終わった後は、どんな感想だったのであろうか。聞きたかった。