平成25年12月国立劇場 歌舞伎公演 (1)

今回の国立劇場の歌舞伎公演は、忠臣蔵の幹から伸びた枝葉の面白さであろうか。演目もそうであるが、出演者の役者さんも枝葉の伸び盛りの方達が多い。木枯らしにも負けず、折れそうでしなり、落葉しても色づいて風を舞う頑張りを見せていた。

『主税と右衛門七(ちからとえもしち)』『弥作の鎌腹』『忠臣蔵形容画合(ちゅしんぐらすがたのえあわせ)』

『主税と右衛門七』は、討ち入り前夜の主税と右衛門七のお互いの高ぶる気持ちの高揚を打ち明ける話である。主税(隼人)は15歳、右衛門七(歌昇)は17歳である。右衛門七は、主税が世話になっている大野屋の娘・お美津(米吉)に結婚をせまられている。今日は13日。明後日、15日に返事をすると約束する。討ち入りが終わった翌日である。それは、当然断りの返事であるが、返事をすることの出来ない事態となっていることであろう。お美津は何も知らず、右衛門七に金の鈴を渡し、自分は銀の鈴を嬉しそうに鳴らす。

少し横道に逸れるが、劇団民芸 『八月の鯨』でサラが、戦争で亡くなった夫の写真を前に一人結婚記念日を祝うところがある。ワインと白と赤のバラ二本。白のばらは真実、赤のばらは情熱とあなたは言ったとつぶやく。金と銀の鈴も和風のアクセントでお洒落である。この芝居の初演は昭和34年(1959)である。

右衛門七とお美津のことも感じ取り、主税は、恋も知らずに死んでいく自分を顧みる。右衛門七は足軽の息子である。父も死に、母は右衛門七の討ち入りの邪魔になってはいけないと自害している。自ずと、主税と右衛門七の立場は違う。そのことを踏まえて二人は、友人のように、兄弟のように打ち解け合い語り飲む。欲をいうなら、歌昇さんには、足軽の立場から友人、あるいは兄の立場となるところの変化が欲しかった。心理を語るのは上手い。歌舞伎の場合、この立場、階級的雰囲気が大切と思う。それは隼人さんにも言えることで、この形を分らせて初めて、歌舞伎の心理劇は成立すると思う。そこが歌舞伎の厄介なところである。米吉さんは町娘の愛らしさを段取りよく動いていた。時間がたつと考えずに動けるようになるのであろう。お琴、足軽踊りなど心理にかぶせる音、動きも加わり若手としては遣り甲斐のある作品と思う。短すぎる青春である。

そんな若者二人に対して、大石内蔵介(歌六)は、二人の気持ちを沈める言葉を伝え花道より迷いのない平常心で消える。

この作品の作者は、多くの映画脚本を書かれている、成澤昌茂さんで、私が見た映画(DVD)だけでも「雁」「噂の女」「新・平家物語」「赤線地帯」「浪花の恋の物語」「宮本武蔵」などがある。初演の時、右衛門七が染五郎(現幸四郎)さんで主税が萬之助(現吉右衛門)さんであった。筋書に成澤さんが当時の染五郎さんと萬之助さんの芝居に対する違いを書かれている。なるほどとその表現に納得する。初演から半世紀を超えているのである。

追記: 成澤昌茂さんがとらえた当時の染五郎さんと萬之助さん。「染五郎は、持ち前の勘の良さで役の性根をパッと掴む。萬之助は、役の性根を、じっと握りしめて、苦闘する。」

劇団民芸 『八月の鯨』

『八月の鯨』は映画にもなった。たしか岩波ホールで見て、リリアン・ギッシュとベティ・デイヴィスが共演し、それも高齢になってからの共演で老年をあつかった映画として話題になった。よくわからなかった。リリアン・ギッシュは可愛いおばあさんでベティ・デイヴィスは皮肉屋のおばあさんといった印象で、若い頃の映画の役柄をも表しているのだろうかと思ったものである。鯨を待っていて、待っている鯨は現れない。「ゴドーを待ちながら」を重ねているのだろうかなどとも考えたりしたものである。

今回舞台の『八月の鯨』を観て、こんなに静かな心もちであろうか。もっと老いとはドロドロした内面なのではないだろうかと考えた。マグマは見せなかった。歳をとると諦める、諦念の心境に入ると思われがちだがそうとも言い切れない。

アメリカのメイン州沿岸の島の別荘で夏だけ過ごすことになっている二人の老いた姉妹の、ある夏の話のようである。ここに住み着いている二人と思っていたのでその点でも捉え方が違ってきた。姉のリビー(奈良岡朋子)は目が不自由らしく、さらに動きも思うようにはいかないため、妹のサラ(日色ともゑ)が面倒を見ている。サラは老いてはいるが、家事一般をするにはまだ大丈夫のようで、体を動かせる喜びを感じつつ楽しそうに家事に勤しんでいる。バザーに出す品物の制作もし人との付き合いも上手くいっている。リビーのほうは、老いる前からそうだったのかどうかは定かではないが、サラのやることに皮肉を言ったり人付き合いも上手いほうではないようだ。人に頼まなければ出来ないという立場は辛いことで、老いとともにそうなったのかもしれない。

周りには、毎日訪ねてきてくれる友人・ティシャ(船坂博子)や家の修繕などをしてくれるジョシュア(稲垣隆史)がいて、二人の話仲間となってくれている。そこへ、マラノフ(篠田三郎)というロシアから亡命してきた貴族が、釣った魚を持参してディナーとなる。マラノフは紳士的で話方も優雅でサラは次々質問するがリビーは早々と自分の部屋に入ってしまう。

サラは姉の仕打ちを謝るがマラノフは言う。<お姉さんは見抜かれている。> それはマラノフの本心を見抜いているということである。ある意味、リビーとマラノフは同じ立場なのである。誰かのお情けを必要とするのである。それを上手く取り入るか、それが嫌さに依怙地にならざるおえない老いの悲しさと闘いがある。お互いにそれを感じているのであるが、言葉で説明するのは難しいことである。時間とともにそれぞれの問題となってくるのであるから。リビーも自分のためにサラを縛っておくわけにはいかない。サラもこのままだと姉に対する愛情がなくなってしまうかもしれない。と二人が感じたかどうかは解らないが、そう受け止めた。

時間と状況が変ると二人の関係もまた変ってくるのかも知れない。ただかつて見た鯨の訪れた時は去ってしまったのである。だからといって時間は止まるわけではない。時間はもう前に進んでいるのである。どうやってその時間を埋めていくのか。それぞれの課題である。

奈良岡さんはもっとマグマを爆発させるのかなと思ったが、意思の強さをだしつつ、老いとの闘いを内に秘めつつ演じられていた。日色さんは、リビーの老いの状態までいっていない若さを明るく、今の老いを楽しんでいる様子を表現された。海を感じ、風を感じ、その自然の風景を観客に見せてくれた。過ごしやすい所なんだろうなあ。それだけに、リビーの老いの状態からくる心のやり場のなさが解るのである。

芝居が終わってから出演者との交流会があり、訳・演出の丹野郁弓さんが、「作者であるデイヴィッド・べリーが今回の舞台を観てくれて今までで最高のシチュエーションだと言ってくれた。」「バックから鐘の音が聞こえていたと思いますが、これは、パンフレットの表紙の写真にありますが、舞台となった海にあった浮標ベル(ブイベル)の鐘の音です。」と教えてくれた。その音を出すために波の音が小さめだったのかもしれない。教会が遠くにあるのかなあと思たりもしていた。客演の篠田さんの役は、詐欺師としたくなかったと丹野さんは言われた。映画のマラノフの人物像は忘れていたので、マラノフの台詞にはハッとさせられた。漂泊。パンフレットの写真を見つつ、浮標ベルは漂いながらも海の道標で、小さくても意味のあるもので、忘れられそうで忘れられない存在である。

奈良岡さんは、「是非生の舞台、ライブを見てください。音楽でも芝居でも民芸だけでなく他の芝居も。それから自分の好きなことを見つけて下さい。何でもいいんです。小さなことで。好きなことをやるのが元気の素です。」と話された。

(2013年12月4日~19日 三越劇場)

 

 

加藤健一事務所 『Be My Baby いとしのベイビー』

どこから押してもふかふかのコメディである。セットからして、幼稚園のお楽しみ会と思わせられるが、そのわけありのわけは次第に解明していく。スコットランドを車で走り、スコットランドからサンフランシスコまで飛ぶのである。きちんと飛行機で。そのつど、観客は自分のCGの洗剤?いや潜在能力を駆使して舞台背景を作りあげるのである。時々、黒い帽子とお洋服のちょろちょさんが見え隠れするが、それは洗剤を使って綺麗にする。

誰が主人公かと言えばそれはもう<BeMyBaby>である。本当は赤ちゃんなんですが、生まれたばかりですから舞台には出せないので、お人形の赤ちゃんですが、侮れない。最後は、観客全部の<BeMyBaby>にチャッカリなってしまってる。これだけの作り物を大奮闘で奮闘している様子は微塵もなくやってのけてるのが役者さんたちである。あらすじを少し。

ロンドン育ちの19歳の娘(グロリア)が恋をして、結婚するためにスコットランドへ育ての親である叔母さん(モード)と車で向かう。その相手はお屋敷に住み執事のような人(ジョン)に育てられた青年(クリスティ)。若い二人はホットでも、ジョン(加藤健一)とモード(阿知波悟美)は、若い二人の親代わりで、スコットランドとイングランドでは生活に対する考え方も違い、逢ったときから非友好的である。クリスティ(加藤義宗)とグロリア(高畑こと美)は無事結婚。ところがわけあって、グロリアの従妹の生まれたばかりの赤ちゃんをサンフランシスコまで、ジョンとモードが引き取りにいくこととなる。その珍道中が笑わせてくれる。その珍道中に何役もの変化芝居を楽しませてくれるのが、粟野史浩さんと加藤忍さん。さすがジョンとモードはその変化にまどわされることなく自分たちの役に徹していて笑わせつつも、粟野さんと忍さんには負けてはいない。ここで崩れると筋のないただのお笑いになってしまうがその点はさすが押さえている。

加藤健一さんと阿知波悟美さんは初共演ということだが、息が合っている。飛行機の座席での場面からして間が上手い。阿知波さんは座席を倒して同じ失敗を数回するのであるが、その突然の動きが会話のペースの中で動きのギャグと言えば良いのか、お笑い芸人さんより面白い。台詞も必要でそれを聞いてるだけで面白いのに、そこに良くありそうな動きが可笑しさを倍増する。それでいて相手が失敗すると本人の見えないところで、バックアップするのが微笑ましい。

この二人の間に赤ちゃんが加わる。この赤ちゃんはお人形である。ところが、抱いたりミルクを飲ませたり、ベビーカーに乗せてるときの赤ちゃんの可愛らしい表情や様子を台詞で伝えてくれる。その表現が観客に乗り移ってしまうのである。お人形でなくなるのである。ホテルの部屋に赤ちゃんを閉じ込めてしまい合い鍵を待てずにドアに体当たりするジョンの真剣さ。芝居の笑いというものは、登場人物が困っていれば困っているほど可笑しいものである。その喜劇芝居のツボをおさえつつ、大人の恋もくり広げてくれる。

この赤ちゃん、若い二人の気まぐれさを最初から見抜いていたのか、自分の一番良い居場所を獲得するのである。なかなかである。

この芝居の作者は劇中歌も指定していて、それも浮き浮きした気分にさせてくれる。

「Be My Baby」(ザ・ロネッツ) 「Hound Dog」「Heartbreak Hotel」「Let Me Be Your Teddy Bear」(エルビス・プレスリー)

作・ケン・ラドウィッグ/訳・小田島恒志、小田島則子/演出・鵜山仁

 

『菅野の記』と白幡天神社

「菅野の記」は幸田文さんが、千葉県市川の菅野での父・露伴さんと娘・玉さんと暮らし、露伴さんを看取ったことを書かれた作品である。生半可な情緒的な文ではない。その町の人々をも観察し、介護の事、そこで生じる人間としての葛藤、ふと目にする自然のことなど、細部に神経が鋭く自分にも他人にも家族にも動いていて文学者の神経であり目である。

その中で、白幡天神社のことが出てくる。この神社の裏にあたる所に住まわれていたのである。「白幡神社の広場の入口に自動車がとまっている。いなかのお社さまはさすがに、ひろびろと境内を取って、樹齢二百年余とおぼしい太い榎が何本も枝を張っていた。海岸が近いから若木のときには相当揉まれて育ったのだろう、皆それぞれに傾斜をもって節だっていた。ものはその収まるところどころによる。榎はこんな広い処ではなかなかよかったし、枝のふりにはおもしろい趣きがあった。」「小石川蝸牛庵の前にも二百何十年とかいわれる大榎があった。」「小石川伝通院の榎は孤独で焼け傷んでいた。」白幡神社の榎から三か所の榎について語られる。

白幡天神社は、もとは白幡神社といい、源頼朝が源氏の御印の白幡を掲げたことに由来し、祭神は竹内宿禰(たけのうちすくね)で菅原道真を合祀して、白幡天神社と称された。幸田文さんが住まわれたころは、白幡天神社となっていたが、土地の人は古い呼び方で親しんでいたのかもしれない。この神社は永井荷風さんも出没したところで、水木洋子市民サポーターのかたも子供の頃そこで荷風さんを見かけたと言われていたので、訪ねてみた。

京成八幡駅ホームから荷風さんがかつ丼を食べに通われた大黒家が見える。踏切を渡ると荷風の散歩道として小さな荷風さんの顔が並ぶ京成八幡商美会通りである。狭い道幅に車と人が通り、その横を自転車が慣れているのかスイスイ通って行く。水木洋子さんが利用したうなぎ屋さん。荷風さんが利用した文房具屋さん。幸田文さんが利用し「菅野の記」にも出てくる魚屋さんなどが今も商売をされている。荷風さんが通われた銭湯の高い煙突も見える。文さんが利用したお酒屋さんを左に入ると白幡天神社である。文さんや荷風さんが住まわれた頃は田舎であったのであろうが、今はびっしり住宅があり、神社もこじんまりとしていて、掃除が行き届いて落ち葉も掃き清められていた。

鳥居を潜った左手に幸田露伴さんの文学碑があり、裏には<幸田露伴は小説「五重塔」「運命」等の作者である。昭和12年第1回文化勲章を受章、同21年に白幡天神社近くに移り住み菅野が終焉の地となった。露伴の晩年の生活をしるした娘の幸田文の「菅野の記」には当時の白幡天神社が描かれている。 平成22年8月吉日>とある。

東側の入口の左手には永井荷風さんの碑もあり、永井荷風の名の右側に<松しげる生垣つづき花かおる 菅野はげにも美しき里>とあり、左には<白幡天神社祠畔の休茶屋にて牛乳を飲む 帰途り緑陰の垣根道を歩みつゝユーゴーの詩集を読む 砂道平にして人こらず 唯鳥語の欣々たるを聞くのみ(断腸亭日記)>と記されている。こちらも建立されたのは平成22年夏吉日である。

同じ白幡天神社でも文さんと荷風さんとではその位置関係は相当違うであろう。文さんは露伴さんの介護のために氷を求めたり、食材やその他のものを求めて何回このそばを通られたことだろう。それは荷風さんの散歩とは違うのである。

文さんは文化勲章をもらい、文豪と奉られている露伴さんを介護しているが人はそのことに目がいっている。そのことは解ってはいるが、私は父を看ているのであると言うことを主張される。その世間の目からくる重圧。なにかがあると全て自分に係ってくる責任。そのことをしっかり受け、吐き出しつつ日々の仕事をされている。さらに露伴の名前を出せば便利を図ってくれることは解っていることでも、それを潔しとはしない。そんな中でも榎を見ると、三か所の榎を思い描くのである。

菅野での住まいの長屋のあったところには違う住宅が建ち、入り組んだ住宅街の道となっている。そこから駅まで歩きもどりつつ、何度も仕立て直した浴衣に男帯を締め父のために氷を求めて歩く文さんの姿と、人とは違う生命を感じて木を見つめている文さんの姿が前を歩いているように思えた。やはり凛とされていた。

 

 

 

『小石川の家』 

「小石川の家」は、幸田露伴さんのお孫さんであり、幸田文さんの娘さんである、青木玉さんの著書である。

幸田文さんが離婚され、玉さんを伴われて小石川の露伴さん宅へ戻られてからの、祖父・露伴さんと母・文さんと玉さんとの三人の生活から書き始められ、文さんの死で終わっている。文さんは露伴さんから愛されていないとずーっと思われていて、それでいながら父と博識の文豪としての露伴さんと正面から受けて立っている。(露伴さんとの最後の会話で文さんは自分が父のいとしごであったことを確信し歓喜する) 玉さんはそんな間に居られながら、祖父・露伴さんの孫としての甘やかしではなく、一人の人間として対峙してくる勢いに、母の背中に隠れたり、その母からも援助してもらえない状況のなかで、祖父・露伴さんに対し、それは無理というものですと心の内を子供の時の感覚に戻して書かれている。

たとえば、「風邪ひき」では、露伴さんが風邪の症状が出て、文さんから薬を持っていくよう頼まれ持ってゆくと、それは何か、お隣の先生がよこした薬かと尋ねられ、はいと答える。

「何のためのものか、おっ母さんは言っていたか」「いえ、お上げしてくるようにって」「うむ、それでお前は何も聞かずに持ってきたのか」

「申し訳ありません、聞いて来ます」「何を申し訳ないと思っているんだ、お前は何も考えないで、ただふわふわしている、申し訳などどこにもありはしない。薬というものは恐ろしいものだ、正しく使われれば命を救うが量をあやまてば苦しみを人に与える。何の考えも無しに薬を良いものとだけ信じて人にすすめるとはどういうことだ。昔、耆婆(ぎば)は釈迦の命が危うかった時に秘薬を鼠に投げて釈迦の元へ走らせた、なのにバカな猫がその鼠を食ってしまったから間に合わず釈迦は亡くなったというが、しかし薬は劇薬でそれを飲んだために命を縮めたという説もある。そもそも釈迦が死ぬような目に逢ったのは、信心深い婆さんが托鉢の鉢のなかへ献じた食物の中に毒きのこが入っていて、釈迦はそれを知っていながら承知で食べて、苦しみ死したとも言われている。愚かな者は、自分がよいことをしたつもりで恐ろしいことを平気でやってのける、お前は自分のしていることを、どう考えているのだ」

お釈迦様の話にまでいくのであるから、玉さんも答えようもない。文さんが入ってきてそこから逃れることができたが、今度は文さんからもぐずぐずしているからよと小言をもらう。玉さんは自分の部屋で気が納まるまで泣く。そして、毒と知りつつ釈迦はきのこを食べるなんておかしい。薬だって鼠ではなく千里を走る虎の首につけてやればよいのに。でも虎は他の生き物を食べたくなってお使いを忘れるから駄目かなどと露伴さんの説教を負かそうと子供なりに考えるのが微笑ましい。露伴さんは時として気に染まぬ時、玉さんにもその気持ちをぶつける。しかし、結果的には考えさせる機会を与えている。文さんと玉さんは年齢的な違い、感性の違いからそれぞれの考えを培われていかれ、露伴さんの手の内で育てられたように思われる。それは結果的には素晴らしい手の内であった。

 

 

映画 『少年H』

寒い時期に、今年の夏に観た映画『少年H』の映像が浮かぶ。戦争の中で家族肩を寄せ合い生きていく話である。戦争の時代は皆そうであったわけだが、少年Hの父母はキリスト教(プロテスタント)の敬虔な信者で、戦争という異常な中では敵国の宗教として白い目で見られる。さらにお父さんは洋服の仕立て職人で、住まいは神戸のため外国人の洋服の仕立てを請け負っているため、戦争が始まると外国人と接触していたというだけで疑いの目を向けられる。

少年のHは、お母さんがセーターに少年の名前、肇の頭文字Hを編み込んでくれたことからのニックネームである。アルファベットは消えていく時代が来る。少年は友達からHは敵国の文字だと言われる。少年は、同盟国ドイツのヒトラーの頭文字と同じだと反論する。疑問に思う事の多い少年は、それを遮られるのが嫌である。そんな少年を父親は冷静に優しく、世の中が変わりつつあり少年が思うままに意見を発することの危険性を諭していく。お母さんは自分の信じる宗教の道を日常生活でも貫く人で、当時の日本人としては、少し違う価値観を持っていた家族である。妹の好子ちゃんがまた愛らしい。泣き虫であるのにその家族の中で皆のことを見つめ自分なりに一生懸命である。

本当にこのお父さんは聡明な人で、自分が引き受ける仕事先の外国人の家に息子を連れていき、洋服の採寸したりする様子をみせ、家ではひたすらミシンに向かう。そんな職人さんなのに、教会の牧師さんたちや、外国人のお客さんが本国に帰ったあと、憲兵に連れて行かれスパイ容疑で拷問にあう。少年はその原因は、アメリカに帰った人からのエンパイアステートビルの写った絵葉書を一番仲の良かった友人に見せ、アメリカは凄いと話したことで、その友人のせいだと思う。その友人に挑もうとして家を出ようとするとき、父親が言う。その写真を見せたのは誰か。少年ではないか。少年が見せなければ、その友人も人に話さなかったであろう。今一番心を痛めているのはその友人だと話す。ここは本当に驚いてしまった。あの状況でそのように冷静に話せる大人は多くはなかったであろう。

神戸の空襲被害の凄さ、終戦。その中で生きる希望を失う父親。あれだけ少年の道標だったのに不甲斐無い父親となり、苛立ちをぶつける少年。少年は学校での軍事訓練、終戦による大人たちの変貌に自分の見る目を持ち始めていた。やっと焼けたミシンを運び修理をして、ミシンを踏み始める父親。少年は看板屋に職を得て自立することにする。火の鳥が今飛び立つのである。

実際のご夫婦である水谷豊さんと伊藤蘭さんが、映画でも夫婦役となり話題となった映画である。原作はベストセラーとなった、妹尾河童さんの「少年H」である。静かにいつの間にか自分の意見を自由に云えない状況となり、それがモンスターとなって戦争に進み、一般市民の多くが空襲のため犠牲になるさまを、一つの小さな光に導かれたように生きていった家族を通して声高ではなく描かれている。

監督・降旗康夫/原作・妹尾河童/脚本・古沢良太/音楽・池頼宏/出演・水谷豊、伊藤蘭、吉岡竜輝、花田優里音、小栗旬、早乙女太一、原田泰造、佐々木蔵之介、國村隼、岸部一徳

 

世田谷文学館と蘆花恒春園

世田谷文学館の『幸田文展』から、蘆花恒春園に行き大宅壮一文庫、賀川豊彦記念松沢資料館そして、京王線の上北沢駅に向かうつもりが、文学館で思いがけない催し物があった。

多摩美術大学・世田谷文学館共同研究『清水邦夫の劇世界を探る』第三弾で、リーディングシアター『楽屋』の公演が自由参加で見れるというのである。朗読劇のようなものである。3年間つづけられ今回で終了らしい。それが始まる前の短時間に蘆花恒春園に行き開演時間に合わせて急いでもどる。

清水邦夫さんの名前は知っているが、その戯曲と公演は初めてである。『楽屋』は、そのまま楽屋が舞台なのであるが、そこに主演女優となれなかった女優の亡霊が住んでいることである。その亡霊は二人いて、現在の主演女優が舞台に出て行った後に話始める。主演女優の悪口もいいつつ、自分たちがプロンプターだったことや、やっと採れた端役のこと、あこがれの役の台詞など話は尽きない。恨みつらみもたっぷりである。そこに枕を抱えた若い女優が現れる。その女優は病も治り舞台復帰しようとするが果たせず、二人の亡霊と同じ世界にいることなる。三人の女優は三人そろったところで「三人姉妹」の台詞の世界の中に入って行く。

作者がこれを書こうと思いついたのは、女性達の楽屋の壁にアイロンの焼け焦げた跡を見たからだそうで、それを、亡霊を出すことによって演じる者たちの舞台、台詞、役に対する嫉妬、挑み、喜び、挫折などあらゆる感情や思いを傷口も見せつつ表にしたのである。

そのあと、「清水戯曲の魅力」と題して井上理恵(桐朋学園芸術短期大学教授)さんの講演があったが、新劇の全盛時代にそれとちがうものを目指し向かって突進してきた、若き演劇人の中の一人の清水邦夫さんについて語られた。時間が短かったのであるが、その時代のエネルギーが伝わってきた。面白かったのが、井上先生、クラシックなワンピースと上着のスーツを着られていて、大学の先生だからかなと思ったら、<今日は私も演出してきました。十年前のクラシックな服を引っ張り出し、つけているクチナシの花はかつては白かったのですが、こんな薄汚れた色になってしまいました。でも一点ものですのでつけてきました。>演劇を愛する方のようにお見受けし遊び心が楽しい。アイロンの焼け焦げも、美しい茶の模様に見えてくる。

時間の無い蘆花恒春公園。徳富蘆花が愛子夫人とともに恒春園と名付け晴耕雨読の生活を送られた地で、母屋が公開されている。大逆事件で処刑された幸徳秋水を思い書院に秋水書院と命名している。

蘆花記念館もありざーっと見ていたら、新島八重さんの兄・山本覚馬の娘・久栄さんと恋愛し別れるとある。ちょっと驚いたら、その日の大河ドラマ「八重の桜」がその事をやったので2度びっくりである。年譜によると、明治19年に恋愛感情を抱き、明治20年、兄の猪一郎が上京し、民友社を設立。久栄さんに訣別の手紙を送っている。明治25年久栄さんとのことは「春夢の記」としてこの頃書いたらしい。明治26年に久栄さんは亡くなっている。明治27年愛子さんと結婚。愛子夫人談話の聞き書き「蘆花と共に」によると、久栄さんのことは、蘆花の中でも上手く収拾がつかず、夫人も久栄さんの影に相当心を悩ませたようである。しかし、愛子夫人の日記から、大逆事件に関しても、蘆花には保身がなく、人道主義者であることが解るようである。

特定秘密保護法案が国民の間で充分に考える時間もなく国会で決められそうである。どうしてそんなに急ぐのか非常に疑問である。皆がもっと考える時間が必要と思う。