映画 『破れ太鼓』

『舟木一夫特別公演』の芝居『八百万石に挑む男』に出演されてる役者さん達の中に大スターの血筋の方がおられる。田村亮さんは、阪東妻三郎さんの息子さん。長谷川稀世さんは、長谷川一夫さんの娘さん。その娘さんの長谷川かずきさんも出られていて長谷川一夫さんのお孫さんである。親の七光りという言葉があるが、七光りがいつまでも通用する世界ではないので、それぞれの道を切り開かれての今である。 長谷川一夫さんの映画については数本書き込みしているが、阪東妻三郎さんの映画の書き込みがなかったので『破れ太鼓』を。

この映画は木下恵介監督で阪妻さん(阪東妻三郎さんの愛称として素敵だと思うので使わせていただきます)には、珍しい現代ものの喜劇である。この映画は、阪妻さんとは関係なく、その周辺で面白い現象を起こしているのでその話から。 川本三郎さんと筒井清忠さんの対談『日本映画隠れた名作(昭和30年前後)』で『破れ太鼓』のことが出てきた。阪妻さんが演じた父親役のモデルは、映画監督・川頭義郎さんの父親がモデルとあり驚きである。高峰秀子さんは、木下恵介監督から金持ちだから川頭監督と結婚してはどうかと勧められたという逸話があり、高峰さんは松山善三監督が好きなので「あたし、金持ちアレルギーですから」「そういうところへ嫁に行くのは嫌ですよ、あたしゃ」と断っている。

高峰さん、そういえば『破れ太鼓』の出演を断っているなと思い出し『わたしの渡世日記』を読み返したらありました。<『破れ太鼓』事件>。高峰さんのところに『破れ太鼓』の脚本が届き読んでみると面白い。「木下監督の『お嬢さんに乾杯!』も原節子、佐野周二のキャラクターを実に要領よく生かした、その新鮮で巧みな演出に、私は感心するよりさきにビックリしたものである。」そして『破れ太鼓』も「文句なく面白くて、私は脚本を読みながら思わず笑い出してしまったくらいだった。」「しかし、面白いことと、自分が出演することとは話が違う。」松竹の映画に出るなら主演でなくては。実は、プロデューサーによって新東宝から松竹に売られる話が出来上がっていて高峰さんは木下監督に駆け込み訴えをする。木下監督は納得し、これで木下監督との縁もおしまいと思っていたら、その後、日本最初の総天然色『カルメン故郷に帰る』の本が届くのである。阪妻さんと高峰さんの競演も見たかった。

『破れ太鼓』には、木下監督の弟・木下忠司さんが音楽担当で、次男役で映画にも出演している。音楽家の卵でいつもピアノを弾き、頑固親父(阪妻)の歌「破れ太鼓」も作ってしまい父親の居ない時は、皆で楽しく歌うのである。津田軍平は、苦労に苦労を重ねて土建屋として成功する。豪邸も建て、当主として君臨していて、子供6人は親父を恐がりつつもそれぞれの道を模索している。(高峰さんは長女役の予定であったが小林トシ子さんに交替) 軍平の愛情は、苦労して成功した自分の生き方からの処世術で子供の行く末を思っているが、その横暴さに家族に反乱を起こされてしまう。

事業にも失敗し、苦しい時代にカレー・ライスを食べれる楽しみを糧に頑張った自分を顧み、泣きながらカレー・ライスを食べる。バックには、「破れ太鼓」の音楽が流れる。残っている次男が、ピアノを弾きつつ父親に伝える。「会社が潰れたってがっかりすることはありませんよ。お父さんはするだけのことはしてきたのですから。立派な人生です。」「わが青春に悔いなし。」「英雄おのれを知る。」「セントヘレナのナポレオン。」次男の一言一言に自信を取り戻していく阪妻さんが可笑しい。それをチラチラ振り返る次男。長男も叔母のところで始めたオルゴール制作会社が軌道に乗ったが、やはりお父さんの力が必要だと乗せる。子供達はしっかり自分の道を見つけ、父親を慰める立場になっている。

誰が捨てたか大太鼓  雷親父の忘れ物

ドンドンドドンと ドンドドン ドンドンドドンと ドンドドン

このカレー・ライス、木下監督の 映画『はじまりのみち』でのカレー・ライスを食べる真似の場面では、『破れ太鼓』を見た者は阪妻さんのカレー・ライスを思い起こす。カレー・ライスは庶民の御馳走である。

監督・木下恵介/脚本・木下恵介、小林正樹/助監督・小林正樹/撮影・楠田浩之/音楽・木下忠司/出演・坂東妻三郎、村瀬幸子、森雅之、木下忠司、大泉滉、小林トシ子、桂木洋子、宇野重吉、沢村貞子、

阪妻さんのドキュメンタリーとしては、『阪妻ー阪東妻三郎の生涯』がDVDで発売されており、タップリの剣劇映画の名シーンも見せてくれる。田村高廣さんが、『破れ太鼓』が父の素顔ではと思われているがその反対であったと答えられている。阪妻さんとは関係なく映画の外では違う「破れ太鼓」が鳴っていたようである。

 

新橋演舞場 『天一坊秘聞 八百万石に挑む男』

『舟木一夫特別公演』の芝居とコンサートの二部構成の芝居のほうである。徳川吉宗のご落胤(らくいん)と称して世を騒がせた天一坊という実在の人物がいたようで、ご落胤かどうかの詮議は定かではなく、他の罪で処刑になったようである。

この事件をもとに歌舞伎、講談、映画など様々な描き方の物語へと広がって行く。今回の舞台『天一坊秘聞 八百万石に挑む男』は、東映映画『八百万石に挑む男』(監督・中川貞夫/脚本・橋本忍/主演・市川右太衛門)を元にしていて、斎藤雅文さんが脚本を担当している。(演出・金子良次)天一坊については、ほとんど真っ白で観たのであるが、面白かった。歌い手さんの公演はコンサートもあるので、芝居には時間的制約があるが、それが効を奏して、1時間45分で休憩なしである。幕もなく<場>で進むから暗転で、その間が待たせない。そして、目は舞台の闇を見つめさせつつ、耳の方に音楽を与えるため、待たせるという感覚ではなく、まだ見ぬ次の<場>を好奇心旺盛に音楽に身を任せる。

天一坊が、徳川吉宗の子なのか、それとも偽物なのか。このところが、2転3転する。若い天一坊は、名乗り出るための後見の軍師として、山内伊賀之亮と出会う。この伊賀之亮に出会うことによって、天一坊は、山内伊賀之亮、徳川吉宗、松平伊豆守、大岡越前、の政治の渦に巻き込まれていく。それは、一人では挑めぬ徳川幕府に対する軍師・伊賀之亮と結束しての上での事であったが、伊賀之亮には、天一坊に話していない、若き日の吉宗との関係があった。そして、天一坊にも、伊賀之亮に話していないことがあり、それが露見しても崩れない二人の関係は、天一坊の育てた和尚の出現によって、思わぬ事態を生ずる事となる。

天一坊のご落胤の審議を避け、違う罪で罰しようとする松平伊豆守との<網代問答(あじろもんどう)>も見どころであり、吉宗と伊賀之亮の若き日の二人の約束の場もこの芝居に面白さを加えた。

さらに、徳川吉宗の私的な感情を思いながらも崩してはならない徳川家について、妻・りつに食事の膳で説明する大岡越前。妻・りつでなくてもよくわかる。小道具の使い方も上手い。

若い天一坊は、自分の存在価値がわからなくなる。そして伊賀之亮は、この大きな事態に今だ対応できない若者の行く末を考え、大岡の役宅を訪ねるのである。

大岡は、娘の手毬で紀州の道成寺から清姫、安珍の話へと持っていき、動かせぬ事態を伊賀之亮に悟らせ、伊賀之亮は、ことの真相を話、天一坊のことのみ託すのである。ここがあるので、吉宗と天一坊の対面では涙してしまう。伊賀之亮、吉宗、大岡の三人は立場が違っても、天一坊に対する思いは、皮肉にも同じ気持ちで結ばれる。天一坊を、もう一度野に放ち、自分の力で生きて行く道筋をつけるために。

この本は残ると思う。配役も良い配置である。

山伏とご落胤を装う変化と、変動する事態に戸惑う心の動きの天一坊を若さで演じた尾上松也さん。面白がって八百万石に挑む男が実は、果たせぬ夢を心に秘めていて、その私的な思いを天一坊に担わせた不覚を悔い、最後は自分の死に場所を見事に作る山内伊賀之亮の舟木一夫さん。登場は少ないが、伊賀之亮との事も天一坊のことも解っていても、将軍の立場を崩せぬ徳川吉宗を田村亮さん。伊賀之亮と吉宗の関係、吉宗と天一坊の関係を知っても、将軍吉宗の地位をあくまでも前面に出し、親子の対面も吉宗の個人的な振る舞いとして、そっと背中を向け見ない立場をとる大岡越前の林与一さん。

見捨てられた親子の辛さを口にし、一般の世のならいを夫に告げる大岡の妻・りつの長谷川稀世さん。自分の過ちを直接伝え心から侘びる和尚の尾上徳松さん。何んとか別件で葬り片を付けたい松平伊豆守の林啓二さん。皆さん堂に入った立ち居振る舞いで、安心して台詞を堪能し、真実が明かされていく過程を楽しんだ。この天一坊のご落胤の話に乘った人々の閉塞された社会からの脱出も伺い知れる。そして血筋とは何なのであろうかという疑問も。

一番面白いのは、舟木一夫さんが、俺がスターなんだから俺を見てくれよではなく、芝居の面白さを観てくれよ、と言っているように思える芝居であるということである。コンサートでは、どうして芝居の後にこんな声がでるのかと不思議に思える声量であった。