歌舞伎座 秀山祭九月 『連獅子』

法界坊さんが、『連獅子』の紹介をしてくれたので、夜の部はこの大曲の舞踏からにする。

中国の清凉山に架かる石橋の先に文殊菩薩がおられ、その御仏が現れる前触れとして文殊菩薩を守る獅子が現れるという。その獅子を舞わせる能からとり、獅子を親子で登場させるのが、『連獅子』である。最初から獅子として現れるのではない。狂言師に扮し、左近は白い毛の手獅子を(親獅子)、右近が赤い毛の手獅子(子獅子)で下手揚幕から前後並んで登場する。

獅子は子供を谷底に蹴落とし、自分の力で這い上がって来る力のある子を育てるという言い伝えがあるらしく、『連獅子』にもその場面がある。そういう事でも実際の親子共演が好まれるのである。今回は仁左衛門さんが親獅子で、お孫さんの千之助さんが子獅子である。歌舞伎座六月 『お祭り』 『春霞歌舞伎草紙』 『お祭り』の千之助さんをみて、少し身体がきゃしゃであるなと思ったので、獅子はどうであろうかと危惧していたが、どうしてどうして下半身が思いのほかしっかりされていた。側転を加えシャープな動きである。

子獅子を谷に突き落とした後、子獅子は谷底である花道にうずくまり、親獅子は心配そうに谷底を覗き込む。この親獅子の表現が、演じられる役者さんのそれぞれの色合いで、様々な方の表情が浮かぶ。仁左衛門さんの表情もまたまたインプットされた。その親獅子の姿を見て子獅子が頑張って登ってくるのである。花道の谷底から、子獅子は元気に舞台に移動してくる。親子は再会を喜び合う振りとなり、その後花道へ入って行く。

『連獅子』の長唄も良い詞が続くが、親子獅子の情のつながる部分の長唄。

登りえざるは臆せしか あら育てつる甲斐なやと 望む谷間は雲霧に それともわかぬ八十瀬川(やそせかわ) 水に映れる面影を 見るより子獅子は勇み立ち 翼なけれど飛び上り 数丈の岩を難なくも 駈け上がりたる勢いは 目覚ましくもまた勇ましし

下手揚幕くから、今度は宗派の違う坊主が二人登場し、それぞれの宗派の擁護をするが、自派を熱弁するうちに、<南無阿弥陀仏>と<南無妙法蓮華経>を取り違えて唱えてしまうという間狂言が演じられる。浄土僧専念が錦之助さんで、法華僧日門が又五郎さんで、基本がしっかりされてるので安定していて、おかし味も程よく伝わりこれからの獅子の登場前の緊張を和ませてくれる。

花道からの獅子の出は、ドキドキとワクワクである。花道の入りと出で芝居の味も違って来ることがチラッと頭をかすめる。舞台空間に花道を考えた人は何がきっかけだったのであろうか。客の眼を芝居に引き付けようと考えたのであろうか。芝居の時間的空間を操作したり、登場人物が違う者になって再登場したりと様々な役割を担ってくれる魔法の道でもある。そうそう、舞台中央に登場させる時、その裏をかいて花道の灯りをつけてそちらに客の眼を移動させて、その間に舞台中央に出終わっている時もある。

狂言師として入った花道から、親子獅子が登場する。その出によって、今回の獅子は大丈夫かどうかを客は判断するのである。大丈夫である。それからは、獅子の動きに気持ちも動かされる。獅子には牡丹である。<牡丹は百花の王>で<獅子は百獣の長>である。千之助さん、華美な衣装にも負けていない。仁左衛門さんの脇にしっかり位置している。獅子の<狂い>の毛振りも無事終わる。『お祭り』から3ケ月目である。お祖父さんと共演できる『連獅子』を経験できる役者さんは何人おられるであろうか。その選ばれた経験を後々の糧として成長されることを期待したい。仁左衛門さんは、今後も歌舞伎界の獅子として身体的無理を押し通さず活躍して頂きたい。

法界坊さんの紹介された『連獅子』堪能させてもらった。