歌舞伎座 秀山祭九月 『絵本太功記』

『絵本太功記(えほんたいこうき)』の十段目<尼ケ崎閑居の場>で通称<太十>ともいわれる。説明するまでもないが、『絵本太功記』の<太>と十段目の<十>を合わせて<太十>である。この通称は誰が考えたのか。響きが重いのと芝居の内容があっている。歌舞伎は長い年月が経っているので、少しづつ、あるいは大幅に変えられて続いている部分がある。この<尼ケ崎閑居の場>でも誰が考えたのであろうかという場面に出くわした。この演目は一回か二回は観ているのであるが、あまり好きではないのである。今回も気は引いているのだがそれだけに、しっかり観ておこうと思った。

『絵本太功記』は明智光秀を主人公にしているが、<太十>しか舞台に上がらないのである。光秀を主人公にしている通称<馬盥>(『時今桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』)の光秀の方が気が入るし、素敵である。

<太十>の光秀は、明智ではなく武智光秀となっている。主君の織田信長は小田春永で、羽柴秀吉は真柴久吉となる。光秀の母・皐月(さつき)は息子の謀反を怒り、尼ケ崎の奥深きところに引込んでしまった。そこへ、西国から駆け付けた久吉が、旅僧となってこの家に入り込んでいる。このことからして唐突である。そして、光秀の妻・操と息子の許婚・初菊も尋ねてきて、さらに孫の十次郎も出陣の許しを得るためやってくる。皐月は、十次郎と初菊に祝言をさせる。初菊は大喜びである。しかし、それは死出への盃でもある。

十次郎(染五郎)が初菊(米吉)に、鎧びつを持って来いと告げる。この時からである。注目したのは。赤姫の可憐な初菊がどうやってあの鎧びつを持ってこれるのかと思ってしまった。初菊は嫌だと言って首を振る。戦の支度をすることは、それだけ早く十次郎と別れなくてはならないのである。それからこの二人にピンポイントである。十次郎は急がなければと鎧びつのそばに移動する。初菊も仕方なく鎧びつの蓋を取る。重そうに。それがまた可憐さを誘う。十次郎は鎧と具足を持って裏の部屋に消える。残された初菊は重い兜を取り出す。重くて持って部屋まで運べない。しかし、初菊が妻らしきことが出来るのは、戦支度だけである。米吉さんの初菊をみているとそう思ってしまった。さあどうしよう。床に長い振袖の二つの袂の先を重ね、三角の山にする。その上に兜を載せ、前向きで後ろに身体をずらしながら袂の兜を運ぶのである。そのいじらしさと可憐さが、初菊の切なさを一層加味するのである。誰が考えだしたのであろうかこの兜の運びかた。恐れ入る。

戦の支度の出来た十次郎と初菊。十次郎は左手に兜を持ち、右手に赤い兜の紐を持っている。感極まって泣く場面では、その赤い紐を持った手が目頭を押さえる。若者の悲しさが強調される。

この家の悲劇はこれからなのである。光秀(吉右衛門)の出で、吉右衛門さんの出は時代がかっていて大きい。光秀は家の中を伺っていて、僧が久吉だと解かっていて、久吉が風呂に入っていると思い竹やりで突く。ところがそれは、母の皐月(東蔵)であった。ここで、母と妻・操(魁春)の嘆きと光秀に対するいさめがはいる。東蔵さんも魁春さんもきちんと役どころを押さえていて演じられる。そこへ深手を負った十次郎がもどり負け戦である事を告げる。悲劇は最大限に拡大される。物見をしている光秀の前に久吉(歌六)と佐藤正清(又五郎)が現れ戦場での再会を約束するのである。吉右衛門さん、母を間違って突いてしまう不覚さ、子へも思いを表すが、その振幅が薄かったように感じる。

今回は、若い二人の悲劇の前哨戦が先に胸にきてしまった。

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