映画 『Frances H フランシス・ハ』(1)  

映画館でキャッチしてきたチラシの中に 『フランシス・ハ』があった。紫系のセピア色の写真である。女性が普通の白のシャツブラウスにタイトスカート。左手はスカートのポケットに入れ、右手を上げジャンプしている。金髪の髪は躍動して獅子のよう。   <ハンパなわたしで生きていく>

映画のフランシスは、チラシでみたイメージと全然違っていた。駄目系のレギンスで走り回る、映画の主人公には成りづらい20代の女性。ニューヨークを舞台にしてのモノクロ映画である。モダンダンサーを目指しているが、少し太めで映像でも無理かもと思わせる。人生を前向きに楽しもうとしているが、一番気の合うルームシェアである女友達は、自分の住みたかった少し高級な地域で他の友人と住むという。

この友人ソフィーの言葉にこちらもビックリ。フランシスはソフィーとの関係から恋人との同居をことわって破局となったのである。それは、フランシスが選んだ事でソフィーがそうするようにと言ったわけではない。フランシスとソフィーの関係は、フランシスにいわせれば「私たちってプラトニックなレズカップルみたい」となり、言ってみれば「女の親友」ということである。ソフィーに恋人が出来、落ち込んでフランシスは実家に帰る。その両親がとてもいい感じで、居心地も良さそうである。しかし、フランシスは故郷から前に進む。

知人宅の夕食の席でフランシスは愛の形を語る。その時はよく解らなかったが、ソフィーとの自分の理想としている愛の形を語っていたのである。最終的には、この理想の形は映像で表現され、これだったのかと納得させられる。。そこまでのフランシスの日常の旅が、可笑しくもあるが、意見をしたくなったり、イライラさせられたりもするのである。お金もないのに知り合いに部屋が空いてるから使ってといわれてパリに行ったり、それでいて落ち込むがまた前に進む。

フランシスとソフィーは、それぞれの落ち込む状況で再会し、お互いを認め合い、ソフィーは彼のもとへ去って行く。

フランシスはまた走り出すのであるが、彼女は、彼女を客観的に見てアドバイスしてくれる、バレエカンパニーの経営者なのであろうか、その人の意見を受け入れるのである。このアドバイスした人が、私には魅力的であった。大人なのである。きちんとフランシスの特質を見抜いていて、お説教するのではなく、彼女の才能の方向を示すのである。この人がいなければフランシスの望む愛の形もなかったのである。

そのことによって、フランシスとソフィーの理想の愛の形が出来上がるのである。「沢山人のいるパーティーで、離れていても私と相手の気持ちが通じ合うの。特別な関係が出来上がっているの。」それは、「私たちってプラトニックなレズカップルみたい」な世界の延長上にある。

フランシス、そういうことであったのと頷いてしまう。そして『フランシス・ハ』の意味も。     <ハンパなわたしで生きていく>

主演のフランシス役のグレタ・ガーウイングは共同脚本に参加している。映画の中での帰省する実家の両親は実の両親だそうで、とてもよい雰囲気でなるほどと思う。

監督・脚本・制作がノア・バームバックで全然知りません。共演のアダム・ドライバーが2015年公開の『スターウォーズエピソード7』で悪役をやるそうなので公開されたら見ようかなと思う。いい悪役が出来そうな予感。

予告編にて。あのむさくるしい二人が帰ってくるそうな。『まほろ駅前狂騒曲』。