東北の旅・青森~盛岡 (三内丸山遺跡)(7)

この旅の途中で、秋田県立美術館の情報の他に、他の仲間の高野山の旅行中のメールも入った。山歩きをする人なので、南海高野線の九度山(くどやま)駅から高野山の大門そして奥ノ院までの道を勧めたのである。大門までが19キロで、自分は歩きたくても無理である。メールには<6時間かかって登り、充実した気持ちで、これから夜行バスを待って帰ります。>とある。

達成感がこちらにも伝わる。 帰ってから、高野山の旅とこちらの東北の旅との情報交換で、資料などもあちらに行きこちらに行きで混乱している。嬉しいことに、高野山町石道<慈尊院から大門を経て奥ノ院>も、途中電車を使えそうで、私向きのコースを教えてもらえた。

東北の旅を早くまとめなければならない。

三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は、県立美術館から歩いて10分以内である。ここは、一時間おきくらいにボランティアガイドがあるので、それを利用させてもらう。集合時間までの空いた時間に展示室のほうを見学する。板状の土偶は初めてである。装飾用のヒスイや玉なども大きいものがある。外での見学は暑い日で、日蔭がなく頭の中は集中力が散漫であった。

この三内丸山遺跡は、江戸時代から知られているらしい。1992年から本格的な発掘調査が始まり、縄文時代の前期から中期の大規模な集落跡がみつかったのである。縄文文化は、約一万年間にわたって継続している。100年が100回である。であるからして、そこの土地の地層を深く深く掘って行くと、そこに埋められたものが解かり、その実際の断面図をみることができるようになっている。その他、床を掘り込んだ竪穴式住居、集会所、共同作業所、冬の間共同で住んで居たであろう、大型竪穴住居、地面に穴を掘り柱を立てた高床式住居などが、その遺跡あとに建てられていて、中に入り広さなどを体験できる。

写真でよく見る6本の柱の建造物は、あそこに直径、深さともに2メートルの穴が6つあり、穴の中に直径1メートルのクリの柱が残っていたのである。大きなクリの木の下で、ではなく、大きなクリの柱の下である。祭神用の建物だったのではないかといわれている。発掘していくと、住居があり、お墓があり、ごみ捨て場がありと一つのムラの形が解ったのである。ここで、先人達は、縄の模様の土器なども使いながら、長い間暮らしていたわけである。空を見上げると、夜は星が綺麗なような気がする。北海道、北東北を中心にした、縄文遺跡群を世界遺産へつなげようと、地元の方達は頑張っておられる。

 

 

 

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18の遺跡があって、三内丸山遺跡はその一つということになる。もし世界遺産になったら、18の遺跡を制覇しなければ、全部を把握したことにはならないということである。世界遺産受講講座などが必要となるかもしれない。

今も黙々と遺跡の発掘は行われている。発掘現場を見て、三内丸山遺跡を後にする。そして夕方には、盛岡である。次は、最後の一ノ関から平泉の旅である。

 

2014年7月13日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)