大坂天王寺七坂 <織田作さんの坂道> (1)

大坂の四天王寺から生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)までの間にある七坂とお寺を巡る道であるが、一心寺から生國魂神社をさらに北に進み、高津宮までを<織田作さんの坂道>とする。

一心寺から東に四天王寺があり、西に今宮戎神社がある。そこはすでに周っているので、一心寺から始める。七坂とは、<逢坂><天神坂><清水坂><愛染坂><口縄坂><源聖寺坂><生玉真言坂>である。

<口縄坂>には、織田作さんの文学碑があり、<生玉真言坂>を登り生國魂神社に入ったところに織田作さんの像があり、どちらも『木の都』の一文が彫られている。

寺町でもあり、一心寺の前の国道25号線の一部が<逢坂>となる。一心寺は、「お骨佛の寺」とあり、門が美術館かと思わせるようなデザインである。あうんの像は彫刻家・神戸峰男さんで、扇の四人の天女は秋野不矩さんの絵である。ここに収められたお骨は十年ごとにそのお骨で仏様を一体つくるのだそうである。大坂夏の陣では徳川家康の本陣となっている。このお寺で天王寺七坂のスタンプラリーがあると知る。定価100円である。簡単な絵地図ものっているので、スタンプラリーをしていくことにする。地図で見ると、谷町筋(東側で坂上)と下町寺筋(西側で坂下)の道が平行していて、そこに坂が梯子段のようにあるわけである。ただ私の所持した地図には、下町寺筋ではなく、松屋町筋とあるが、地元のかたの書かれた下町寺筋とする。

逢坂を下って下寺町筋に出て北に向かうと安居神社がある。ここは、大坂冬の陣で活躍した真田幸村が戦死した場所なのだそうで、このあたりは、大阪城の戦いの足音を聴いていた場所でもある。この神社は菅原道真公も祀っていて北側の坂が<天神坂>である。社務所の近くにかんの虫の治まる水がかつて湧き出ていて、道真公もここで水を飲まれたらしい。ここで2個目のスタンプを押す。樹木の茂るこじんまりとした神社である。

この辺りは伶人町と呼ばれ、「伶人」とは舞楽を奏する人のことで、四天王寺に仕える楽人が多く住んでいたらしい。

<天神坂>を降り切らないで北に向かうと清水寺があるのだが工事中で道がよくわからなかったので、お墓の上のほうから、境内に入る。ここには、天然の玉出の滝があり今でもこの滝に打たれる修行者があるらしい。坂だけのつもりが、歩いてみるとなかなか歴史的に面白い神社仏閣が多い。清水寺の横にあるのが<清水坂>で、坂上左手にある高校の校庭辺りに昔料亭浮瀬 があり、芭蕉や蕪村も訪れたとあるがそこまでは上がっていない。芭蕉と料亭はなぜか結びつかないが、東北の旅で、バスガイドさんが、芭蕉さんはお金持ちのところでは比較的長く滞在しているんですよと言われたのを思い出す。馬と一緒の家では何日も滞在することはできなかったであろう。清水寺のスタンプが芭蕉さんが大杯からお酒を口に流し込んでいるユーモアな絵である。<清水坂>は近年整備されたらしい巾の広い石段の坂である。ここから振り返ると通天閣が見えるそうだが、降りてくるときも次の<愛染坂>へと気持ちはいっているので見ていない。

<清水坂>から北に向かうと<愛染坂>があり、少し急な坂を上って行くと大江神社があり愛染明王が本尊の愛染堂があり「愛染さん」と呼ばれている。ここの夏祭りは有名らしく、織田作さんも、「7月1日は夕陽丘の愛染堂のお祭りで、この日は大阪の娘さん達がその年になってはじめて浴衣を着て愛染様に見せに行く日だと、名曲堂の娘さんに聴いていたが、私は行けなかった。」とある。なるほど、文楽の人形に『夏祭浪花鑑』で初めて帷子を着せたというのもわかる。愛染堂で、縁結は愛染さんのスタンプを押す。四つ目である。大江神社は、<愛染坂>を下る時に寄る。聖徳太子が四天王寺の鎮守として創建した神社と言われている。