文楽 『夏祭浪花鑑』

『夏祭浪花鑑』の録画はないかと探したところ、文楽のが出てきた。何時のかは調べればわかるであろうが、無精をして調べていない。嬉しいことに、竹本住大夫さん、吉田玉男(故)さん、吉田蓑助さんが出られている。ビデオテープからDVDにダビングし直したらしく、終わりのほうが画像が乱れている。見返すのに影響はない。

住大夫さんは、<釣船三婦内>の切りである。三味線は、野澤錦糸さん。お辰が蓑助さんである。太棹のべんべんという音から入って大夫さんの語りがあり、人形が出てくると、人形の遣い手は誰々さんだなと気に留め、人形遣いの方も視野から消え、物語に入っていく。映像のためか、住大夫さんの状況説明の語りと、それぞれの登場人物の使い分けがわかる。登場人数分の人になって語っているのである。4人出てくるとすれば、その4人を一人で語られる。

アニメの声優さんが4人の登場人物があれば4人担当者がいるが、これを一人でやるわけである。4人担当のときは、それぞれを語りわける。声色を変えるだけではなく、その人の心情も持続していなければならない。こちらの人の気持ちを伝え、次にこちらの人の気持ち、次にこちらの人と飛びつつ、一人の一人の人間性と人物像は住大夫さんの中で繋がっているのである。物語は佳境に向かうわけであるから、それを想像すると、気が遠くなるような芸である。であるからして、この演目を録画したころは、勿体ない事にも全然聞き分けてもいない。ただ、筋を追っているだけである。

住大夫さんが語りわけたのは、釣舟三婦、おつぎ、お辰、若い者二人である。若い者二人もきちんと分けている。笑い声一つとっても、どういう心情であるかが伝わる。お辰は薄墨のような着物に博多帯。帯揚げ襟、髪飾りが薄い水色で傘も同系色である。歌舞伎では、傘は薄墨の透ける地であった。文楽の場合、人形を使うかたが、人形の衣裳を着せるのである。その役によって、着物の着せ方を工夫するわけである。蓑助さんのお辰もきっちり女を立てる。歌舞伎では、お辰が花道を去るので、鉄棒は左頬に押しつけたが、文楽では、上手に去るので、右頬で、頬よりも顔の右側の髪の生え際に近い部分であった。歌舞伎では、三婦が若い者を雇った佐賀右衛門に会いに行くとき、雲龍の柄の着物に着かえるが、文楽ではそれがない。

歌舞伎のほうが、演じる役者により、その役を印象つけるための工夫を多くする。役者に意思があるからである。人形は意思はない。全てやってもらい、やってもらう事により成り立つ役者である。人形を役者にするための切磋琢磨が日々行われているわけである。浄瑠璃は人形がなくても語りとしての芸を楽しむことは出来る。ただ人形が、人間よりも心根を伝えてくれることもある。人形に対する思い入れではなく、人形遣い、大夫、三味線の三位一体の融和が、観客の思い入れとなる。

<長町裏長屋>は、浄瑠璃は義平次が竹本伊達大夫(故)さん、団七が豊竹英大夫さん、三味線が鶴澤寛治さんである。人形遣いは義平次が吉田玉夫さん、団七が吉田玉女さんである。来春、玉女さんが二代目玉男さんを継がれる。豪快な人形遣いが得意なので楽しみである。玉男さんは義平次について、好きな役の一つといわれている。

<私は三十三歳の時からこの役を持っています。まだ若いのに、おじいさんで、しかも悪人の役だから嫌じゃなかったか?その反対です。こういう特殊な役柄ならではの面白さがある。・・・敵役としても、老人としても、他にはない異色の人物像に興味が湧きました。><平成十三年 夏の国立文楽劇場公演では、蓑太郎(現勘十郎)君と弟子の玉女がダブルキャストで勤めたのにも、義平次でつき合いました。>(「吉田玉男 文楽藝話」)ということは、録画は平成12年のものであろう。

<私が団七を持ったのは六十を過ぎてからである。><殺し場になってからは、三人遣いの利点を生かして、さまざまなかたちを見せる。ここは足遣いにも大きな責任があります。人形全体の形が崩れないよう、よほど踏ん張ってもらわんと。初演は吉田文三郎で、三人遣いを考案した人だけに、思い切った演出を施している。>舅を殺して最後に団七が去る演技を韋駄天といい、左手を腰に当てたまま、右腕を胸の前で左右に振る動きである。

録画では、花道を作り、神輿を上手に送り出し、団七は一人、花道を韋駄天で「八丁目さして」引っ込むのである。文楽の花道は初めてである。

歌舞伎では、神輿に紛れて、舅を殺した複雑な気持ちで花道を引っ込むのである。

『夏祭浪花鑑』は実際にあった魚屋の殺しの事件を人形浄瑠璃がやって当たり、歌舞伎でも上演したものである。

帷子を初めて人形浄瑠璃につかったのが『夏祭り浪花鑑』で、大きな格子模様は団七格子というのだそうである。そして団七を語る大夫さんと三味線の方も、上の衣装がこの茶の団七格子で<夏>を思わせる。

重要無形文化財保持者の竹本源大夫さんも引退を表明されたようで、次の世代の奮闘に期待することとなるが、一朝一夕でできる仕事ではない。観劇する側も、どういうことなのかと常に首を傾げるのであるから。

大坂三昧の次の世界は、路地裏から浄瑠璃が聴こえていたであろう、オダサクの町である。